アメリカ南部アパラチアの子どもたちが、なぜヒーローに熱狂するのか?【翻訳の不思議】

「世界が見える 翻訳の不思議」第14回。翻訳家の有好宏文さんがアメリカ南部アパラチア地方の子どもたちとそのヒーロー熱狂について解説します。バーバラ・キングソルヴァーの小説『デーモン・カッパーヘッド』を通して、なぜ彼らがヒーロー物語に強く惹かれるのか、そしてその背後にある社会的・文化的背景を探ります。「ヒーローになる夢」は、どのようにして彼らの現実と結びついているのでしょうか。

昨年のピュリッツァー賞を受賞した大作

2023年のピュリッツァー賞を受賞した、バーバラ・キングソルヴァーの小説Demon Copperheadを読みながら、ヒーローと悪役のことを考えていた。アメリカのAmazon.comでは9万件以上のレビューが付いているほどのベストセラーだ。日本語訳はまだ出ていない。

アメリカのアパラチア南部の田舎町で育つ、デーモン・カッパーヘッド少年の物語。トレーラーハウスの風呂場で産み落とされ、シングルマザーの母親は薬物中毒で死に、児童養護施設の農場では危険なタバコ栽培に従事させられ・・・といった、現実のアパラチアの様子をもとにした過酷な環境が描かれる。この地域はアメリカ有数の貧しい場所として知られ、90年代からはオピオイドという麻薬系鎮痛剤の中毒が蔓延した土地柄だ。デーモンはこのオピオイド禍のさなかに育っていく。(オピオイド禍については以下の書籍が詳しい)。

ヒーローに夢中になるアパラチアの子どもたち

このように、デーモンの生い立ちは極めて過酷ではあるけれど、物語には希望がある。彼に夢を見せるのは、アメコミのヒーローたちだ。「X-MEN」や「アイアンマン」のアニメやコミックとともに育ったデーモンは、自分や友達をヒーローにしたイラストを描き始める。農場で働かされている他の孤児たちも、デーモンが彼らを一人ずつヒーローに見立てて描いたイラストに夢中になる。だいぶ年上の、もう薬物に手を出し始めているような高校生たちでさえ、自分をヒーローにしたイラストを描いてくれとデーモンに頼み込む。普通だったらそんな子どもっぽい遊びに見向きしそうにない彼らまで、ヒーローになった自分の絵に目を輝かせる。どうして彼らはここまでヒーローに心を奪われるのだろうか。

たぶんそれは、自分たちが決して世の中の主役として扱われることがないからだろう。テレビを見ながらデーモンはこう考える。「僕たちのようななまりでしゃべる田舎者が登場する理由は、一つしかない。愚か者の役だ」。いや、それどころか、彼らは自分たちが存在さえしない者として扱われることに慣れ切っている。だから、「馬鹿な田舎者」というステレオタイプとして登場したときにも喜びさえする。「やったー。田舎の子どもがパーティーに招待されてるぞ」と。

子どもは自分がないがしろにされていることを敏感に感じ取るものだ。デーモンの過酷な人生とはもちろん比べられないが、北海道の田舎で育った僕も、自分の子どもの頃の気持ちを思い出しながら読んだ。窓の外は吹雪いているのに、「めざましテレビ」のキャスターが「今日はお散歩日和になりそうです」と言っていたことや、幕張メッセで開かれたポケモンのイベントに「子どもたちが集合」している写真が載ったコミック誌を眺めていたときの気持ちは忘れられない。メディアは自分に語りかけていなかった。

villain(悪人)とは誰のことか

主人公のデーモン・カッパーヘッドの名前の「デーモン」は悪魔のことだし、「カッパーヘッド」は猛毒を持つヘビの名前だから、彼は正真正銘の悪役の名を付けられている。そもそも、英語で悪役を意味するvillainという単語は、村を意味するvillageと語源を同じくする。街から外れた村落に住む、教養のない、野蛮な田舎者たちは悪人だという発想があるのだろう。都市のヒーローがそんなvillainたちを倒すのが、アメコミの基本の構図だ。

自分をヒーローに重ねたイラストに夢中になる田舎の子どもたちは、都市と田舎、ヒーローと悪役という上下関係をひっくり返す力を、デーモンの絵の中に感じ取っている。本書は芸術が持つ魔法のような力を、読者にはっきりと見せてくれる。

▽ディケンズの亡霊
『デーモン・カッパーヘッド』というタイトルのとおり、19世紀のイギリスの文豪チャールズ・ディケンズの『デイヴィッド・カッパーフィールド』が下敷きになっている。だからだろう、ディケンズ並みの大作(550ページ!)で、手にずっしり重たい。でも、アメリカの評者たちが『ハックルベリー・フィンの冒険』の語り手ハックルベリーや『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の語り手ホールデンにしばしば言及しているように、語り手デーモンの喋り言葉がドライブしているので、先へ先へと読ませる。デーモンは今の時代のアメリカの声だ。

著者キングソルヴァーは、自分が住んでいるアパラチア山脈の麓の社会ことを世に伝えたかったが、ずっと書きあぐねていたそうだ。そんなあるとき、現在は博物館になっているディケンズの屋敷に泊まったら、夜に文豪(の亡霊?)が現れ、アドバイスをくれた。そのおかげで書き上げることができたという。インタビューに答えて、そう語っている。

ENGLISH JOURNAL ONLINE編集部
文:有好宏文(ありよし ひろふみ)

アメリカ文学研究・翻訳家。新聞記者を経て独立。訳書にニコルソン・ベイカー『U & I』、メアリ・ノリス『カンマの女王』。現在はアメリカのアラバマ大学大学院に在籍。X(旧Twitter): https://twitter.com/ariyoshihirofum

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