連載「ウィキペディアの歩き方」の第8回。戦時下のウクライナで、ウィキペディアンたちは止まることなく活動を続けています。この記事では、彼らが直面する困難と、編集作業やコミュニティーイベントを通じて知識の共有を守るための取り組みを探ります。
侵略以前、ウクライナのウィキペディア
2022年2月24日、ロシアによる侵略が開始し(※1)、ウクライナは大きな被害を受けました。しかし、そのような状況においても、ウクライナのウィキペディアンたちは止まりませんでした。核シェルターからウィキペディアを編集した方もいれば、安全を確保した上でイベントを開催した方もいたのです。今回の連載では、戦時下のウクライナにおけるウィキペディアンたちの活動を紹介します。
2022年以前から、ウクライナのウィキペディアンたちは、精力的な活動を展開していました。2009年には「ウィキメディア・ウクライナ協会」を結成し、大学でウィキペディアのレクチャーを行うWikiStudiaというプロジェクトや、オンラインでの編集キャンペーンなどを展開しています。
また、ウクライナ協会はオンラインの写真コンテストも主催しており、特に自然遺産などの写真をウィキメディア・コモンズにアップロードするコンテスト“Wiki Loves Earth”は世界的に著名です。これは元々ウクライナ国内のローカルイベントだったのですが、2014年には各国のウィキペディアンが参加する国際的なコンテストへと発展しました。
ちなみに、ウィキメディア・コモンズとは、ウィキメディア財団が運営する画像・音声・動画プロジェクトで、ここにアップロードされた資料はウィキペディアの記事に活用されます。また、ウィキペディアに使われない資料も、市民アーカイブの一部として重要な役割を果たします。写真やデジタルアーカイブに興味がある方は、ぜひ参加してみてください。
2022年の侵略とウィキメディア財団の反応
2022年2月24日、ロシアによるウクライナの侵略が始まります。これを受けて、ウィキペディアを運営するアメリカ合衆国の非営利組織「ウィキメディア財団」は、ただちに2つの声明を発表しました。
1つ目は、2022年3月1日付の“Wikimedia Foundation calls for continued access to free and open knowledge as Ukraine crisis continues”です。財団はこの声明で、ウクライナへの侵略と、それに伴うディスインフォメーションの拡散を非難するとともに、編集を続けるウィキペディアンたちへ敬意を表しています。
2つ目は、2022年3月3日付で発表された“The Wikimedia Foundation stands with its communities around the world in defending free knowledge in the face of threats from the Russian government”です。この声明では、ウクライナ侵略に関連するウィキペディア記事の削除をロシア政府から要求されたものの、ウィキメディア財団はそれを拒否したことが報告されています。
これらの声明の背景としては「2022年のウクライナ侵略以前も、ロシアはウィキペディアを敵視する政策を実施していた」という事情を考慮する必要があるでしょう。例えば2015年には、ロシア語版ウィキペディアがロシア国内で短期間ブロックされました。また、2019年には、プーチン大統領がウィキペディアに代わる国営オンライン事典を作成する計画を発表しています。これらの政策はロイターなどの大手メディアで取り上げられ、世界的に注目されました。また、2022年のウクライナ侵略後のウィキメディア財団とロシア政府の対立も、CNNなどがたびたび報じています。
ちなみに、ロシアの国営百科事典 Ruwiki は2024年1月に正式にサービスを開始し、これまたロイターで報じられています。サービス開始の数日後には、ボランティアがウィキペディア記事「Ruwiki」を立項しているので、本サービスの概要を知りたい方はぜひご覧ください。
戦時下の活動:核シェルターからの編集
それでは、ウクライナで暮らす市井のウィキペディアンたちは、どのように過ごしていたのでしょうか。各種レポートを参照すると、さまざまな分野で活動していることが分かります。今回の連載では、個々のウィキペディアンの状況を記録する活動と、編集イベントの2つをご紹介します。
まずは記録活動について。ここで中心的な役割を果たしたのは、ウィキメディア・ウクライナ協会のスタッフであるアントン・プロティシュクさんです(※2)。アントンさんは、英語版ウィキペディア上の新聞プロジェクトSignpostや、ウィキメディア財団のブログDiffに、ウクライナの現状を世界に知らせる記事を何本も寄稿しました。
ハルキウの核シェルターで過ごしながら、侵略で犠牲になった方のウィキペディア記事を編集するヴャチェスラフ・マモンさん、被害の様子を収めた写真をウィキメディア・コモンズにアップロードするセルヒー・ペトロフさん、ボランティアとして人道支援物資の分配に協力するアナスタシア・ペトロワさんなど、アントンさんが取材を行ったウィキペディアンは多岐にわたります。これらの記録はメタウィキ(ウィキメディア・プロジェクト全体に関わる事項を記録するプロジェクト)の“2022 Russian invasion of Ukraine/Stories of Ukrainian Wikimedians during the war”というページにまとめられているので、関心のある方は他の記事もぜひご覧ください。
なお、アントン・プロティシュクさんによるこれらの記録活動は国際的に高く評価されており、ウィキメディア財団は2023年にアントンさんを「ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー2023」の1人に選出しています。
2022年の侵略開始後も、ウクライナでは編集イベントやミーティングが可能な範囲で実施されています。2022年は、先述の Wiki Loves Earth が中止になったものの、キーウで小規模なオフラインミーティングが開催されたり、ウィキペディア等における女性記事を充実させる WikiGap というオンライン編集キャンペーンが展開されたりしました。
また、世界各地のウィキペディアンも、編集活動を通したウクライナ支援を行っています。最も有名なプロジェクトは「ウクライナ文化外交月間」でしょう。これは、ウクライナに関するウィキペディア記事を充実させることを目的として毎年3月に開催されるオンラインキャンペーンで、ウクライナの外務省も後援しています。
このように、編集イベントや各種キャンペーンは復活したものの、侵略の影響でまだ制約が存在することも忘れてはなりません。例えば、2023年の段階でも、大勢のウィキペディアンたちが1つの建物に集まって会議を開催するのは危険と判断されており、毎年対面で行われていた、ウクライナ国内のウィキペディアンたちが集う会議は、各地での小規模な対面会議とオンラインによるハイブリッド開催となっています。
まとめ
今回の連載では、戦時下のウクライナにおけるウィキペディアンの活動についてご紹介しました。今回主に取り上げたのは、個々のウィキペディアンの生活記録と、編集キャンペーンの2つですが、それ以外にもさまざまな分野で活動が行われています。関心のある方はぜひ、メタウィキの“2022 Russian invasion of Ukraine”というページをご覧ください。末筆にはなりましたが、1日も早く平和が訪れることを祈るばかりです。
次回は、学生グループ「早稲田Wikipedianサークル」についてご紹介します。どうぞお楽しみに。