ウィキペディアの裏側は一般にはあまり知られていません。そこで今回の連載「ウィキペディアの歩き方」では、ウィキペディアンの北村紗衣さんとユージン・オーマンディさんの対談を行いました。ウィキペディアのユニークなコミュニティーの魅力とその裏側を探ります。この記事は、前・中・後編の3回に分けてお届けしている対談の「後編」です。
流行に合わせて関連記事が増える
ENGLISH JOURNAL(以下、EJ):ご自身が立項したものではなくて、最近、これが面白かった、というような記事はありますか。
ユージン・オーマンディ(以下、オーマンディ):実は私、ウィキペディアの記事はほとんど読まないんです。ケーキはたくさん作るけど、自分自身はケーキを滅多に食べないパティシエという感じです。もちろん、参考資料として読むことはあります。自分が日本語版ウィキペディアで立項しようとしている記事が、英語版でどのように書かれているか確認するときなどですね。
前置きが長くなりましたが、最近面白いと思った記事は「配膳ロボット」ですね。これは最近、北村さんが大宅壮一文庫の資料を使って書いた記事です。内容も面白いですし、大宅壮一文庫のレファレンス体制や独自の検索システムをウィキペディアの編集に活用した事例としても、大変意義があると思います。
北村紗衣(以下、北村):ファミリーレストランに行ったとき、そこにロボットがいて、「あれ?この記事あるかな?」と思って探してみたらなかったんです。ウィキペディアンは大体みんなそうだと思いますが、お店などに行って、店の名前や食べている料理の名前を見て、その記事があるかどうかを調べて作ることが多いんです。
昨年、マンガの『ゴールデンカムイ』に関連してなのか、アイヌの口承文芸などに関する記事がわりと立項されました。『パナンペとペナンペ』とか、アイヌの面白い昔話に関する記事ができたりして、そういうのはとてもいいと思いました。ただし、昔話の場合は出典の数が限られてしまいがちで、そこが難しい点かもしれません。
世の中ではやっているものに連動して記事ができるので、『ゴールデンカムイ』のときにはアイヌ関係の記事が増えましたし、競馬のゲーム『ウマ娘』がはやったときには、競馬関連の記事が増えました。たいていそういうはやりものの記事は粗製濫造なのですが、たまにそういう中に面白いものがあったりしますね。
流行に合わせて記事が増える一方、大きいものをテーマにした記事、たとえば「日本におけるコンピュータゲームの歴史」とか「エジプトの音楽」みたいな記事は、みんな立てようとは思わないですね。百科事典としてそういうものが欲しいと思いますが、どちらかというと流行の方に向かう傾向があると思います。
オーマンディ:大きなテーマに関する記事は、出典が多過ぎるので書くのが難しいんです。私は初心者に「メジャー過ぎるものは書かない方がいい」と勧めていて、その理由は出典の調査と取捨選択にエネルギーを要するからです。例えば、ナポレオンに関する本なんて、一生かかっても読み切ることはできないですし、どの資料をピックアップするかの判断もきわめて難しいですよね。
北村:英語だけで400冊もあるので読めっこないというようなことを最近、映画『ナポレオン』を監督したリドリー・スコットが言っていました。
オーマンディ:いわゆる「大項目」について書きたい場合、そこから、二つくらい飛ばして連想したものを書くとよい、と私はよくアドバイスしています。
例えば、ディープインパクトのような有名な競走馬について書こうとしたら、山のようにある資料の調査と取捨選択に、相当な時間がかかるでしょう。それに、経験を積むと分かってくるのですが、この手の有名な記事は、編集競合が起きる可能性も高い。それを避けるためにも、その調教師が修行した場所といった、いくつか飛ばしたトピックに関して書くことをおすすめしています。
EJ:競合というのは、同時に複数の人が編集し始める、ということですよね。
オーマンディ:狭義ではそうです。複数の人が同時に編集ボタンを押してしまい、自分の編集が反映されないということですね。広い意味で言えば、さまざまな意見があるものについて、「こっちだろ」「いや、こっちだ」という編集合戦も含むのかと。そのため、ベテランになってくると、編集合戦が起きそうなものには手を付けずに、少しマイナーなものをひたすら立項し続ける人が多い印象です。
北村:問題は、どこで編集合戦が起きるか分からないことです。戦争や宗教、新しくてみんなが関心を持つような話題ではよく起きますが、新しく公開される映画のタイトル表記とか、どこで起こるか分からないものも結構ありますね。
お互いの印象、お互いに期待すること
EJ:ここでいったん話を戻します。最初にお二方に自己紹介をしていただきましたが、お互いの印象について、まだお伺いしていませんでした。
北村:ユージンさんはコミュニケーションが上手で、イベントなどで友達の輪を広げ、それを次の企画につなげたりすることができるので、そこがすごいな、と。ファシリテーターとしての能力も高いですし、今後、いろいろやっていただきたいと思っている方なんです。
メディアからの取材依頼などは、大体決まった人に来ます。ウィキペディアには記事を書ける人、ウィキペディア自体に詳しい人はたくさんいますが、取材依頼というのはかなり少ない特定の人に集中してしまうんです。だから、いろいろな角度から取材依頼などに対応できる人を、もっと増やしたいという思いがあります。ベテランばかりで依頼が回っていると、話も偏りがちになりますから、新しい人にどんどんメディアに出てほしいんです。そういうわけで、若手で優秀で、ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーも取っているユージンさんを、連載の次の担当として紹介しました。
オーマンディ:ありがとうございます。北村さんの印象は「日本語版ウィキペディアの歴史を語る上で絶対に外せない方」ですね。書籍やウェブ記事、講習会やエディタソンによるアウトリーチ活動の功績は、非常に大きいと思います。ともすればタコツボ化しがちなウィキペディアの世界を世の中に広めてくださったことには、感謝してもしきれません。実際、北村さんが講習会を開催していなかったら、私はウィキペディアの世界に足を踏み入れていませんからね。
また、ウィキペディアンの暗黙知を文字化していることも素晴らしいと思っています。例えばEJの連載で、三康図書館でのエディタソンを紹介した際、ウィキペディアンの事前準備について語っていたのが印象的でした。こういった文化はきちんと文字化しないと気づかれないですからね。
専門施設で行う場合、参加者の大部分はベテランなので、事前にその図書館について簡単に調べてから行くことがほとんどです。何の記事を編集するかについてもプランを立てて行きます。通常、大きな記事はエディタソンの間には仕上がらないので、事前に下書きを作っていって、図書館にある専門資料を使って仕上げをすればいいだけの状態にして行く人もいます。
オーマンディ:また、これは個人的な願望ですが、私は「批評家の北村紗衣」としてのウィキペディア論も読んでみたいと常々思っており、ご本人にもしばしばリクエストしています。
もちろん、北村さんは数多くのウィキペディア論を執筆されています。読み物としても大変面白いですし、ウィキペディアの動向を記録した参考資料としても一級品のものばかりです。しかし、僭越ながらそれらの記事は、批評家によるクリエイティブな論考というよりも、ウィキペディアンによる報告記事としての性格の方が強いように思われます。
私は、ウィキペディアン・さえぼーの編集仲間であると同時に、批評家・北村紗衣の著作のファンでもあります。
批評家としての北村さんが『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード』や『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』、『英語の路地裏』などの著作で展開する文学・映画批評の魅力は、様々な作品を結び付ける手つきの鮮やかさです。
実際、『批評の教室』という著作において北村さんは、批評家にとって大事な姿勢は「チョウのように読み、ハチのように書く」ことだと指摘しています。要は、チョウのようにさまざまな資料をさすらい、それをハチのように鋭く分析するということです。もちろんこれは、モハメド・アリの名言「チョウのように舞い、ハチのように刺す」をアレンジしたものです。
北村さんにはぜひ、映画や文学の批評で行っているように、チョウのように縦横無尽なウィキペディア批評をしてほしいと思っています。例えば、ウィキペディアの編集合戦とシェイクスピアの戯曲の共通点を分析した論考など書いてほしいな、と。
北村:私はウィキペディアを10年やっていますから、若い人たちと世代差があります。私より上の年齢だとhtmlが書けますが、今、メインで書いている若手は学校でhtmlを習わずにウィキペディアに入ってきていします。ユージンさんには、そういう人たちが読んで面白いものを書いてほしいと陰ながら期待しています。ブログ「Diff」はプロジェクト内の人しか読まないんです。でも、あそこに書いているようなことを、もう少し一般にアウトリーチする形で出せると、ウィキペディアに興味を持ってくれる人が増えるのではと期待しています。
文章だけでなく、写真や絵も求めています
EJ:最後に、読者の方にウィキペディアの面白さを伝えるメッセージをお願いします。
オーマンディ:「勉強は好きだったけれど、働き始めてからはあまり取り組めていない」という方や、「学生時代のようにリポートを作成したい」と思う方は、ぜひウィキペディアの世界に足を踏み入れてみてください。なかなか楽しいですよ。
「研究者になって論文を書くことだけが、人間の知を整備する方法ではない」ことを体現するメディアの一つがウィキペディアです。学ぶことが面白いと感じたことがある人は、ぜひ、ウィキペディアの世界へお越しください。ライフワークが見つかるかもしれません。
北村:ウィキペディアに貢献する方法はいろいろあります。記事を書くことにもぜひ参加していただきたいです。また、専門図書館や美術館、博物館には、エディタソンを開催したい場合に声を掛けていただきたいですね。今、お金に困ってクラウドファンディングをやる所もありますが、ウィキペディアのエディタソンなら、ほとんど費用はかかりません。資料さえ出していただければ、盛り上がるイベントが開催できます。
また、ウィキペディアは文章だけではなく、イラストや写真も必要としています。そういうところでも貢献してもらえたらうれしいですね。別に美しい写真や絵を求めているわけではありません。何かを説明するのに適切なものが必要なんです。特殊事例などを説明するのにふさわしい写真や絵が必要なので、写真を撮るのが好きな方、絵を描くのが好きな方にも、どんどん参加してウィキメディア・コモンズに提供していただきたいですね。ウィキペディア内に「画像提供依頼」というページがあるので、どんな素材が求められているか、そこから確認してみてください。
~了~
取材・構成・撮影:山本高裕(ENGLISH JOURNAL編集部)