ウィキペディアの裏側は一般にはあまり知られていません。そこで今回の連載「ウィキペディアの歩き方」では、ウィキペディアンの北村紗衣さんとユージン・オーマンディさんの対談を行いました。ウィキペディアのユニークなコミュニティーの魅力とその裏側を探ります。この記事は、前・中・後編の3回に分けてお届けしている対談の「前編」です。
誤字の修正レベルから徐々に編集にはまっていく
ENGLISH JOURNAL(以下、EJ):今日はお時間を頂きありがとうございます。多くの人は、ウィキペディアがフリーの多言語インターネット百科事典であることは知っていても、どんな人がどんなふうに記事を編集しているのかなど、よく知らないことばかりです。これまでの北村さんの連載記事にも知らない言葉がたくさん出てきて、普段は知ることのできない世界を垣間見ることができました。今回の対談でもまた、新しい世界が開けることを楽しみにしています。どうぞよろしくお願いします。最初に簡単で結構ですので、お二方それぞれに自己紹介をしていただきたいと思います。
北村紗衣(以下、北村):では、私から始めます。北村紗衣です。普段は大学でシェイクスピアを教えていますが、もう10年以上、日本語版ウィキペディアで活動しています。2015年からは大学で、ウィキペディアの記事を翻訳するプロジェクトを実施しています。ウィキペディアでの私の利用者名は「さえぼー」です。よろしくお願いします。
ユージン・オーマンディ(以下、オーマンディ):ボランティアでウィキペディアの記事を編集している、ユージン・オーマンディです。主に手掛けているのは、クラシック音楽の指揮者や名曲喫茶の記事です。
ウィキペディアの編集を始めたきっかけは、2018年に北村さんが武蔵大学で開催した講習会です。そこでウィキペディアの面白さを知り、当時私が通っていた早稲田大学で「早稲田Wikipedianサークル」を立ち上げました。また、数年後には卒業生で稲門ウィキペディアン会も立ち上げています。それ以外にも、今日、この対談をしている大宅壮一文庫や、東京都港区にある三康図書館、東京国立博物館で、ウィキペディアを編集するイベントを開催しています。
他にも、ウィキペディアを運営しているウィキメディア財団のブログ「Diff」にいくつか記事を投稿しており、ウィキペディアンへのインタビュー記事などを書いています。そして2023年8月、ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー2023の新人賞を頂きました。
EJ:お二方ともウィキペディアの利用者から編集者になったわけですが、利用はしていても編集をしたいと思う人はあまり多くないと思うのですが、いかがでしょう。
北村:私も最初は読んでいるだけで、やるとしても誤字を直す程度でした。記事を書くようになったのは、イギリスに留学していたときに、ウィキペディアの執筆コンテストに参加してからです。英語が使えるようになってきたので、この技術を使って少しでも社会に還元できないかと思っていまして、執筆コンテストをきっかけに、英語からの翻訳を中心に自分でも記事を書くようになりました。
オーマンディ:先ほどもお話ししたように、私が編集を始めたきっかけは、北村さんが2018年に開催した講習会です。もともとウィキペディアにすごく興味があったというわけではなく、知り合いから誘われたので軽い気持ちで参加したに過ぎないのですが、イベント後にはウィキペディアに夢中になっていました。
ちなみに、私はさまざまなウィキペディアンにインタビューをしているのですが、編集を始めたきっかけを覚えている人はあまり多くないんです。私や北村さんのように、明確なきっかけがあるウィキペディアンは、実は少数派なんですよね。
「ウィキペディアって誰でも編集できるみたいだし、やってみるか」と簡単な誤字修正をしていたら、どんどん深みにはまっていったという方が多いように思います。
ファシリテーションまでできる人を増やしたい
EJ:ユージンさんのきっかけは、北村さんの講習会への参加だったということですが、イベントのようなものを開催すると、実際、どのくらいの人が集まるものなのでしょうか。
北村:イベントの内容によります。
オーマンディ:そうですね。ウィキペディアのイベントは多種多様です。初心者にウィキペディアの仕組みを知ってもらうことを主眼とするイベントもあれば、私がよく開催する、専門図書館を徹底的に活用する中級者向けイベントもあります。また、郷土史など地域の情報をウィキペディアにアップロードし、その地域の魅力を発信することを目的とする「ウィキペディアタウン」というイベントも有名です。
ですから、参加者数はさまざまですね。私が主催するイベントは10人程度ですし、多いものでは40、50人だったりします。
北村:レクチャーの場合は100人くらい集まることもありますが、実際に記事を編集するイベントでは40、50人来たこともあります。ただ、1人のウィキペディアンが一度に指導できる初心者は多くて5人、どんなに苦労しても10人です。初心者の参加が多いイベントでは、指導できるウィキペディアンの数を増やさないといけないので、実施するのは大変です。
EJ:実際、今、日本に記事を編集するウィキペディアンはどれくらいいるのでしょうか。
オーマンディ:統計で調べてみましょうか。例えば、今日時点(編集部注:2023年11月18日取材当時)で登録利用者数は213万人。活動中の利用者が1万3000人程度という感じですね。
北村:でも、継続的に5、6年やっているウィキペディアンは、恐らく数百人程度だと思います。さらに、イベントのファシリテーション、つまり教えることができる人は20人に届くか届かない程度だと思います。
オーマンディ:そうですね。そのため、初心者が編集を継続してくれること、そしてある程度キャリアを積んだ編集者がファシリテーターになることを、ウィキメディア財団は重視しているようです。
北村:私も、文章は書けるけれどウィキペディアの記事は書いたことがない学生や研究者に向けて、多くのイベントをやってきましたが、今でも継続して活動しているのは数人です。ファシリテーションまでできるようになったのは、ユージンさんだけだと思います。
オーマンディ:イベントへの関わり方には、さまざまな種類があると思っています。まずは記事の執筆者という関わり方。次に、ファシリテーターとして初心者を教えたり、司会進行をしたりするという関わり方。そして、プロデューサーとして企画書を作成したり施設と交渉したりするという関わり方です。北村さんもおっしゃったように、ファシリテーターやプロデューサーの数は、現状あまり多くありません。私はたまたまウィキペディア以外の分野で、似たようなことをやっていたので、それを生かすことができました。
北村:私も、大学教員を経験しているからできた、というのはあると思います。
ウィキペディアンが活動を発表する場「Diff」
EJ:オーマンディさんが受賞した、ウィキメディアン・オブ・ザ・イヤーというのはどういうものか、詳しくお聞かせいただけますか。
オーマンディ:ウィキメディア財団は年に1回、その年に活躍したウィキペディアンを世界中から何人か表彰するんです。以前は年に1人しか選ばれませんでしたが、数年前からは桂冠賞や選外賞といった、複数の賞を設定するようになりました。今年は6人が選出され、私は新人賞を頂きました。受賞理由はおそらく、サークル活動やイベントを主導してきたこと、そしてウィキメディア財団のブログ「Diff」に、記事をアップロードし続けたことだと思います。実は、日本からの受賞者は私が初めてです。
北村:「Diff」(ディフ)というのはdifferenceの略で、専門用語で「差分」のことです。ウィキペディアではこの「差分」というのは大事な概念です。ウィキペディアでは全ての編集履歴が保存されているので、同じ記事でも過去のあるバージョンと今のバージョンは違ったりするのですが、その違いが「差分」つまりdiffで、ブログ名はそこから取られています。ところで、このブログが始まったのはいつでしたっけ。
オーマンディ:2020年です。ウィキペディアを編集するボランティアたちが、自分たちの活動を発表できる場として生まれたのが「Diff」ですね。可能性のあるメディアだと思ったので、自分が開催したイベントや勉強会のリポート、日本語版のウィキペディアンたちが作った面白いコンテンツを紹介する記事などを寄稿しています。私は英語でも記事を書いていますが、世界各地のボランティアが他言語に翻訳してくれることもあるので、やりがいがあります。ありがたいことに、マレー語やトルコ語、ドイツ語に翻訳されています。
取材・構成・撮影:山本高裕(ENGLISH JOURNAL編集部)