多くの方の調べものに役立っているオンラインの大事典「ウィキペディア」。どうせ使うなら、その本当の姿をよく理解して使いたい――。ウィキペディアの執筆者・編集者のお一人である北村紗衣さんに、今回はウィキペディアンが集まって記事を編集したりするイベント、エディタソンについて教えていただきます。
エディタソンとは
前回の連載ではウィキペディアの仕組みやコミュニティについて簡単に説明しました。最後に「エディタソン」の話が出てきたと思います。今回の連載では、エディタソンというのはなんなのか・・・というお話をしたいと思います。
エディタソンとは「edit(エディット、「編集する」)+marathon(マラソン)」のかばん語です。ウィキペディアなどのみんなでウェブサイトを作るようなプロジェクトで、利用者が集まって編集を行うイベントです。新型コロナウイルス感染症が流行する以前は大半が対面で開催されていましたが、最近はオンラインエディタソンも増えています。対面のエディタソンは他のウィキペディアンと交流でき、初心者の場合はベテランから編集のやり方を教えてもらえるという利点もあります。
エディタソンにはいろいろな種類があり、テーマを決めて記事を書くものが主流です。日本ではウィキペディアタウンという地域おこしを兼ねたエディタソンが人気で、毎月日本のどこかで開催されています。
ウィキペディアタウンでは、地方公共団体の図書館などに集まり、地元の人がベテランウィキペディアンや司書の指導を受けながら地域のことについて資料を調べ、記事を書きます。ウィキペディアの記事は必ずきちんとした出典を付けながら書かないといけないので、地方の図書館などが持つ郷土資料を最大限に活用します。
他にもいろいろな種類のエディタソンがあります。スウェーデン外務省が始めたウィキギャップは、ウィキペディア上でのジェンダーバイアスを解消するため、女性人物記事をみんなで書くイベントです。科学や文学がテーマのエディタソンもあり、神奈川近代文学館と神奈川県立図書館の協力を得て、近代文学館での特設展にあわせたテーマで執筆を行うWikipediaブンガクというエディタソンのシリーズもあります。
専門施設でのエディタソン
このところ、私を含めた何人かのウィキペディアンが盛んに企画しているのが、GLAM施設で専門的な資料を使い、ベテランウィキペディアンが集まって記事を書くエディタソンです。
GLAMというのはギャラリー(Galleries)、図書館(Libraries)、文書館(Archives)、博物館(Museums)の頭文字を取ったもので、ウィキメディア系のプロジェクトでは伝統的にこうした施設との協力が重視されています。海外ではGLAM施設でエディタソンが行われたり、一定期間ウィキペディアンがこうした施設に招聘(しょうへい)されて活動するウィキペディアン・イン・レジデンスという制度が実施されたりするなど、さまざまな企画が行われています。
一方で日本ではそこまでGLAM施設との協力は進んでいません。一番進んでいるのはLにあたる図書館ですが、他の施設はまだまだで、図書館についてもさらなる開拓の余地があります。
専門図書館との連携プロジェクトとして、2022年5月から雑誌の図書館である大宅壮一文庫でエディタソンを行うWikipediaOYAプロジェクトが始まりました。2022年8月には私が組織者をつとめ、東京国立博物館資料館でエディタソンを行いました。これは今年も8月に開催予定です。2023年6月には港区の三康図書館でエディタソンを行うWikipediaSankoのプロジェクトが始動しました。三康図書館は仏教書や江戸時代の資料、児童書、学習参考書、発禁本などを所蔵する専門図書館です。
エディタソンでは何をするの?~三康図書館エディタソンを例に
では、エディタソンでは具体的に何をするのでしょうか?初心者が多いウィキペディアタウンと、専門図書館で行うベテラン向けのエディタソンの手順はだいぶ違うのですが、ここでは6月に行われたWikipediaSankoを例に挙げつつ、専門図書館のエディタソンではいったいどういうことをするのか説明したいと思います。
専門施設で行う場合、参加者の大部分はベテランなので、事前にその図書館について簡単に調べてから行くことがほとんどです。何の記事を編集するかについてもプランを立てて行きます。通常、大きな記事はエディタソンの間には仕上がらないので、事前に下書きを作っていって、図書館にある専門資料を使って仕上げをすればいいだけの状態にして行く人もいます。
エディタソンの日、施設に着いてまずウィキペディアンがやるのは書庫見学です。閉架書庫がある図書館は司書の方に書庫ツアーをしていただき、この図書館はどういう資料に強いのか、何の資料がどこにあるのか・・・といったことを解説してもらいます。ベテランウィキペディアンは執筆に使えそうな資料を見るのが大好きなので、書庫見学ではよく時間が押します。三康図書館では江戸時代の版木から発禁本まで、いろいろなものを見学しました。
見学が終わって執筆開始となります。ほとんどのウィキペディアンはここで資料を使った執筆に入りますが、実はウィキペディアのエディタソンでは記事の執筆だけではなく、資料写真を撮影し、ウィキメディア・コモンズに上げる作業も行われます。ウィキメディア・コモンズは、さまざまなウィキメディアプロジェクトで使用できるメディアファイルを置いておける場所で、写真のみならず映像とか音源とか、いろいろなものが置かれています。
三康図書館のような古い一次資料をたくさん持っている図書館の場合、著作権が切れてパブリックドメインになっている貴重な資料を所蔵しているので、図書館の許可を頂いて写真を撮影し、ウィキメディア・コモンズにアップロードする作業も重要な活動になります。三康図書館で撮影した画像の一覧をここで見ることができますが、歌川国貞が描いた江戸時代の力士である生月鯨太左衛門の絵などがアップされました。
三康図書館での執筆
さて、ではWikipediaSankoで私は何を書いたのか・・・ということですが、私が書いたのは「○△□ (絵画)」という記事です。
なんだこりゃ・・・と思うかもしれませんが、これは江戸時代の有名な画家で禅僧である仙厓の代表作の一つです。出光美術館が所蔵しており、海外でもそこそこ知名度がある禅画です。
実は私は三康図書館ではいったい何を書けばいいのか全然思い浮かばず、悩んでいました。何しろ一次資料中心の図書館で、ウィキペディアでは一次資料はあまり使ってはいけないことになっていますし、私がふだん記事を書いている分野とは専門分野が違っているので、題材が思い付かなかったのです。
ところが、図書館に行って書架に鈴木大拙『仙厓の書画』(月村麗子訳、岩波書店、2004)があるのを見てひらめきました。ここは仏教図書館なんだし、仙厓の絵について書けばいいじゃないか・・・と思って2時間くらいの突貫工事で立ち上げたのが「〇△□(絵画)」のこちらのバージョンです(実は私の母の実家は禅寺なので、禅画は子どもの頃から見たことがありました)。
われながら時間内にできると思っていなかったので、うれしい驚きでした。図書館、特に専門図書館ではこうした思いもよらない資料とのセレンディピティ(偶然の出会い)があり、そこから記事執筆のヒントが得られることもあります。専門図書館でのエディタソンではこうした意外な成果がたくさん出てきます。
その後、大学図書館の資料などを使って加筆し、「〇△□(絵画)」はめでたくウィキペディアの珍項目及び良質な記事に選ばれました。「珍項目とか良質な記事って何?」と思われる方も多いかと思います。次回は、ウィキペディアコミュニティが珍項目や良質な記事などを選出するプロセスについて説明したいと思います。
本文写真:Ryunosuke Kikuno from Unsplash
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