ジェスミン・ウォードの『Sing, Unburied, Sing』は2017年に全米図書賞を受賞しています。今回は、この作品のキーワードとなるhomeという語から、homeに込められる意味や、houseとの違いを、翻訳家の有好宏文さんが考えます。
目次
homeがキーワードになる『Sing, Unburied, Sing』
homeは誰でも知っている言葉だが、実際に何を意味しているのか考えると実は結構難しいし、日本語に訳すとなると結構困ってしまう単語である。英和辞典を引くと、「家、自宅、実家、家庭、故郷、本国」など、たくさんの訳語が並んでいる。つまり、日本語には一語で表すぴったりの言葉がないということだ。ジェスミン・ウォードの『Sing, Unburied, Sing』は、このhomeという言葉がキーワードの一つになっている。
刑務所を出所する夫を、妻と子供たちが迎えに行くというのが一応の筋書きなので、come homeやgo homeみたいな形で、序盤からhomeがしきりに出てくる。これが大事なキーワードだと明らかになるのは後半に入ったあたり、登場人物の一人の幽霊がこんなセリフを口にする場面である。
Home ain’t always about a place. The house I grew up in is gone. Ain’t nothing but a field and some woods, but even if the house was stille there, it ain’t about that.
homeっていうのは必ずしも場所のことじゃないんだ。おれが育ったhouseはもうなくなってる。ただの原っぱと林になってるけど、でもhouseが残ってたとしたって、そういうことじゃないんだよ。
この幽霊は、homeとhouseが同じものではないと言っている。ではhomeとは一体なんなのか。ここからhomeという言葉が出てくるたびに、読者は考えを巡らせることになる。
そして、小説にとってすごく大切なラストにもhomeが出てくる。少女が“Go home”と語りかけるのに応えて、幽霊たちが言う。
Home, they say. Home.
帰ろう、彼らは言う。帰ろう。
これが最後の1行だ。ここまで繰り返されるのだから、homeがこの作品にとって重要な言葉であるのは間違いない。さて、このhomeをどんな日本語に訳せるだろうか。さまざまな文脈で使われる英語のhomeを、日本語でも、一貫した一つの言葉を使って訳すことはできるだろうか。
日本語版ではhomeはどう訳されているのか?
『Sing, Unburied, Sing』は、『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』(石川由美子訳、作品社)として日本語訳が出版されている。
日本語訳の手に入りづらい環境に住んでいるのでまだ読めていないのだが、インターネットで検索してみたら、日本語版の解説を書いている青木耕平氏が、このhomeという言葉について、学生の質問に答えているインタビュー記事が見つかった。
それによると、最初に引用した、homeとhouseを対比させた幽霊のセリフは、日本語ではどちらも「家」と訳されているようだ。英語のhomeとhouseの概念にそれぞれぴったり合う日本語はないので、訳者の石川さんはとても悩んだのではないかと拝察する。
英語のhomeとhouseが一般にどう使い分けられるのか、『ジーニアス英和辞典』(第6版)を引いてみると、houseは建物を指すのに対し、homeは「家族生活の中心となる場所」を指すと説明し、“Home is where the heart is.”(homeは心の宿るところ)ということわざを紹介している。ただ、人の「心の宿るところ」が自宅の建物というケースが多いからだろう、homeを建物の意味で使うこともできるとも書いてある。例えば、“New Homes for Sale”という広告は、売り出し中の「建物」を宣伝しているのである(と同時に、そこに宿る幸せな生活の場というイメージも売り出しているのかもしれないが)。
さらに青木氏はアフリカン・アメリカンの書き手であるウォードにとって、homeという言葉が、「祖先が強制的に連行されてきたアフリカ大陸」をも含み得ることを指摘しつつ、人種差別が根強いアメリカが、黒人の人たちにとって果たしてhomeと呼べるものなのかという、ウォードの批判的なまなざしを読み取っている。
ウォードにとってのhomeとは何なのか?
ウォードはMy True South: Why I Decided to Return Homeという記事で、西部や東部で成功を収めた黒人女性である自分が、どうして南部ミシシッピに帰ったのかを語っている。
もちろんウォードは、何世代にもわたる奴隷制や人種差別の歴史の記憶を忘れていないし、ミシシッピで日々直面する差別も直視している。投げ掛けられるNワードや、黒人地区の外での不動産購入を阻む社会、未就学の子供さえも無視する教師・・・。
それでも、この土地への嫌悪よりも愛の方が上回るのだとウォードは言う。ミシシッピとは、全身に喜びをみなぎらせてウォータースライダーを滑り降りるおいっ子であり、独立記念日の家族の集まりで鍋いっぱいのエビを煮る祖母であり、虫がささやく夏の夜にアル・グリーンの曲に合わせて踊る妹である。ウォードは子供たちにも、この土地にいる自分を最も自分らしいと感じてほしいと願っている。もしこの土地を離れても、家や空き地や森のことを夢の中で思い出してほしいと願っている。だから、homeであるミシシッピにウォードは「帰った」のだ。
英語のhomeと日本語の「帰る」
先ほどの青木氏へのインタビュー記事によれば、『Sing, Unburied, Sing』の日本語版で、物語のラストで少女が言う“Go home”は「おうちにおかえり」、 ラストの“Home”は「かえろう」と訳されているらしい。なるほど、go homeのように動詞にくっ付いた副詞として使われるとき、あるいは単独で動詞として使われるとき、homeという言葉と日本語の「帰る」という言葉はとても似ている。
上京した人が故郷に帰省したり、留学生が出身地に帰国したりするときに言う、日本語の「帰る」という言葉の感じは、homeという言葉が持つ「その場所に属しているという感じ」(『コウビルド英英辞典』)と共鳴する。故郷を離れてすぐは新たな土地よりも元々いた場所の方がhomeという感じがするが、時間が経つにつれて自分の今いる場所にhomeがだんだん移ってくる。すると、出身地を訪れる行為を「帰る」と呼ぶのがふさわしくないような気がしてくる。あるいは、故郷に帰省することも、東京に戻ることも、どちらも「帰る」と言えそうな気がしてくる。日本語の「帰る」や英語のhomeという言葉が自分の口から出るたび、自分がどこに結び付いていると感じているのかが明らかになって、時々はっとさせられる。
最初に引用したhomeとhouseを対比したセリフでも、名詞のhomeのところに動詞の「帰る」を使って訳すことはできないだろうか。無謀な試みかもしれない。この小説に使われた80個のhomeを全て「帰る」と訳すのはたぶん厳しそうだ。それでも、英語の原文でhomeが繰り返し使われていることから生まれるあの感じを、なんとか再現してみたい気持ちに駆られるのだ。
Home ain’t always about a place. The house I grew up in is gone. Ain’t nothing but a field and some woods, but even if the house was stille there, it ain’t about that.
「帰る」っていうのは必ずしも場所のことじゃないんだ。おれが育った家はもうなくなってる。ただの原っぱと林になってるけど、でも家が残ってたとしたって、そういうことじゃないんだよ。
今回紹介した本
本文写真:Hyundai Motor Group from Unsplash
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