『A Lost Lady』という100年前に刊行された著作を取り上げ、そのタイトルの「Lost」をどう訳すのが適切なのか、有好宏文さんが考察します。翻訳家のお二人がリレー形式で送る連載「翻訳の不思議」の第2回です。
タイトルが訳しにくい『A Lost Lady』
刊行100周年ということで、ウィラ・キャザーの『A Lost Lady』(1923)を読んでいて、訳しにくいタイトルだなあと思った。
難しい言葉が使われているわけではない。aもlostもladyも、中学校で習う単語だろう。冠詞のaは、ご存じの通り日本語は英語ほど数を気にしないから、よほど強調されていない限り省略すればいいので、大丈夫。ladyも「女性」「貴婦人」「レディー」など、ニュアンスの違いはあれど、まあ、なんとかなりそうだ。問題は、真ん中のlostである。
翻訳の話に入る前に、少しだけ、ウィラ・キャザーと『A Lost Lady』のことを紹介しよう。日本では最近だと、『マイ・アントニーア』の新装版(2017、みすず書房)や『大司教に死来る』の新訳(2018、河出書房新社)が出版されたので読んだ方もいるかもしれない。
アメリカではかなり知名度の高い作家で、特に『おお開拓者よ!』(1913、原題:O Pioneers!)や『マイ・アントニーア』(1918、原題:My Ántonia)は中学校や高校の学校の授業で読む定番ということもあって、書店で平積みになって売られている。
『A Lost Lady』もこれらに次ぐ人気の小説で、アメリカ文学史的にも、かの有名な『グレート・ギャッツビー』に影響を与えた本とされている。というか、『グレート・ギャッツビー』の著者スコット・フィッツジェラルド自身がキャザーに手紙を書いて、「明らかな盗作の件について説明致したく・・・」と模倣したことを認めているのだ。だから、そういうゴシップ的興味から手に取る読者もいるようだ。
「迷い猫」はLOST CAT?
さて、前置きはこれくらいにして翻訳の問題に戻ろう。『A Lost Lady』のlostが訳しにくいのは、この言葉が多義的だからである。辞書を引いてみると、いろいろな意味が載っているが、一番上には大抵、こんな訳語がある。
①道に迷った
②行方不明の、失われた
どちらも似た意味に感じられるかもしれないが、よく考えてみると、けっこう違っている。英英辞典の説明の方が、違いは鮮明だ。
①unable to find your way(道が分からない)
②unable to be found(見つからない)
つまり、例えばa lost catと言った場合、①の意味なら、猫自身が道を見失っていることが焦点なのに対し(道に迷った猫)、②の意味なら、猫を探している飼い主にとって、猫が見つからないことに意味の重点が置かれている(行方不明の猫)。
『A Lost Lady』を読みながら、こんなふうにlostの多義性を考えているのは、1匹の猫のせいである。去年の12月、買い物から帰ったらドアの前に猫がいた。「①道に迷った」猫だ。どう見ても飼い猫だったので、ビラを作って飼い主を探すことにした。
同じアパートに住むアメリカ人にビラの英語の文面を確認してもらうと(今、アメリカのアラバマに住んでいます)、僕が書いた「LOST CAT」よりも、「FOUND CAT」や「IS THIS YOUR CAT?」の方が分かりやすいと言う。いわく、「LOST CAT」だと、「①道に迷った猫」と「②行方不明の猫」のどちらとも読めてしまうそうだ。しかも、「LOST CAT」と書いたビラを貼って回る人は、「②行方不明の猫」を捜すケースが多いから、なんとなくこっちの感じがするらしい。
なるほど、勉強になった。おかげで、猫の飼い主は数日後に見つかった。
「迷える夫人」説
では、『A Lost Lady』のタイトルのlostは、どんな意味で使われているのだろうか。確認できる限り、この小説は4種類の日本語訳が出版されている。
『さまよう女』(林信行訳、ダヴィッド社、1956年)
『迷える夫人』(厨川圭子訳、研究社アメリカ文学選集、1957年)
『迷える夫人』(竜口直太郎・小林健治訳、荒地出版社、1957年)
『迷える夫人』(桝田隆宏訳、大阪教育図書、2001年)
どうして1950年代のほぼ同じタイミングで訳書が3つも出たのか大いに興味をそそられるが、あまり脱線するわけにはいかないので、とにかくlostの訳の問題に話をしぼると、最初の「さまよう」も、残り3つの「迷える」も、先ほどのlostの意味の分類で言えば①の系統である。自分の行く道が分からなくなっている状態だ。
物語の舞台は、いわゆる西部開拓で栄えた、アメリカ西部の小さな街。鉄道敷設事業者の夫と共に郊外の屋敷に暮らすマリアン・フォレスター夫人は、その美貌と優雅な振る舞いから、貴婦人として名をはせている。
しかし、1890年に「フロンティアの消滅」が宣言されて事業が衰退し、さらに夫が事故で寝たきりになると、マリアンは若くてたくましい男と不倫の関係を持ち始める。さらに夫の死後には、新興世代の成金風の男と関係を持ち、最後には南米の金持ちの男と再婚して生涯を終える。
マリアンのこうした行動に焦点を当てれば、確かにlostは「さまよう」や「迷える」と訳せそうだ。貴族のような暮らしから転落し、どうしてよいか分からなく、何人もの男の間を「さまよう」「道に迷った」夫人という解釈である。
「失われた貴婦人」説
しかし、マリアンは「迷って」などいないと考える人もいる。lostの①の意味で、マリアン自身が「道を見失い、迷っている」のではなくて、②の意味で、他の誰かから見て、マリアンが「見つからない、失われた」という解釈である。では、マリアンは、誰にとって「失われた」のか?
実はこの小説は、マリアンに恋焦がれるニールという青年の目線から語られている。ニールはマリアンを、美しく清らかな貴婦人として理想化してあがめているのだが、情事に気が付くと一転して幻滅し、理想の「貴婦人」を失うのである。
こうした物語の構造に注目して読むと、貴婦人としてのマリアンは、そもそも虚像に過ぎなかったことが分かる。その奥に隠されているのは、あまりにもリアルな女性の姿である。女性が一人で働いて生きていくという選択肢がほとんど許されなかった時代に、マリアンは生き延びるために、「迷う」ことなどなく再婚を追い求めていく。
ジョン・ホランダーという研究者は、「フォレスター夫人は、方向や状況を見失って途方に暮れた、『迷える』夫人ではない。ニールにとって、彼女の貴婦人らしさが失われただけだ」と述べている。
このようにアメリカの学者たちでさえ、『A Lost Lady』のlostがどんな意味なのか議論しているくらいだから、このlostはさまざまな読みを可能にする、広い意味で使われているのだろう。となると、日本語でも同じように、どちらの解釈も許すすてきな訳題を付けたいところだが、しかしちょうどいい言葉が見当たらない。
これが、英語と近いヨーロッパの言語に訳す場合、それぞれの言語でlostに当たる言葉に置き換えれば、どちらの意味もカバーできることが多い。例えば、フランス語版は『Une Dame Perdue』、スペイン語版は『Una Dama Perdida』と訳されているが、perdueもperdidaも、ちゃんと①と②の両方の意味を持っている。
しかし、英語と言語的にとても離れている日本語の場合、どちらかの意味を選ぶしかなく、翻訳と解釈は紙一重である。
「娼婦」説
さらに文献をあさっていると、『A Lost Lady』は「娼婦」の物語である解釈もあった。マリアンがたびたび訪れるコロラド州の街や当時の時代背景を合わせて読むと、マリアンの行動はある種の娼婦なのだという。この解釈にはびっくりしたが、『リーダーズ・プラス』英和辞典を引くと、
lóst lády
n. «米»«口» [euph.] 娼婦.
という訳語が載っている。lost ladyという言葉自体が、アメリカの口語で「娼婦」の遠回しな表現として使われるのか。そういうことなら、「マリアン=娼婦」説もあながち無茶な解釈でもないのかもしれない。
すると、タイトルには「娼婦」の意味もそれとなく込めたくなるが、こればかりは、日本語はおろか、さすがのヨーロッパ言語の訳者たちもお手上げだろう。
「日本語訳者の苦しみを知るがいい!」そう思って、一応、仏和辞典と西和辞書を引いてみたら、なんと。フランス語のperdueにも、スペイン語のperdidaの項にも、「娼婦」や「身を持ち崩した」という意味が載っていた・・・。
ここまで来ると、もういっそのこと、解釈を投げ出して、カタカナで『ロスト・レディ』としてしまいたくなってくる。フィッツジェラルドが本作を「盗作」して書いたという『The Great Gatsby』だって、『華麗なるギャッツビー』やら『偉大なギャッツビー』やら、さまざまな日本語訳が付けられてきたが、最近の新訳では『グレート・ギャッツビー』とカタカナになっていることだし。
今回紹介した本
本文写真:Toa Heftiba from Unsplash
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