偏見や排除を感じさせない「公平な言葉遣い」の翻訳を考える【翻訳の不思議】

日本ではLGBT理解増進法やジェンダーニュートラルの考え方が話題になっています。一方、アメリカでは特定の本を排除する「禁書」運動が盛んになり、特権、階級、バイアス、排除を感じさせる言い方を避けていこうとする試みも進んでいるそうです。今回は、翻訳家の樋口武志さんに、「公平な言葉遣い」(equity language)についてお話しいただきます。

アメリカで活発化、「禁書」運動

今回は雑誌「The Atlantic」の記事を紹介したい。1857年にアメリカで創刊された総合月刊誌で、主に文化や政治をテーマに扱っている。詩人のジェイムズ・ラッセル・ローウェルが初代編集長で、かつては思想家ラルフ・ウォルドー・エマソンなども執筆していた。2022年のピューリッツァー賞特集記事部門を受賞したジェニファー・シニアは、同雑誌のスタッフ・ライターである。

アメリカでは近年、学校の図書館や公立図書館で特定の本を排除する「禁書」運動が活発になっている。主に保守系の親たちが中心となり、子供の教育に不適切だと見なされた書籍の撤廃が要望されるようになったのだ。この1年で1500冊以上が「禁書」とされ、そのうち4割程度がLGBTQや有色人種をテーマ・主人公にした書籍であるという。保守派のキリスト教徒の中には同性愛・同性婚などに抵抗感を持つ人々がおり、有色人種の苦境を描いた作品は白人への逆差別につながるというのである。

大統領選をにらんで、これを支援する保守系の議員がいる一方、バイデン大統領は禁書の動きを批判し、政治問題化しつつある。しかし反対に、同性愛や人種差別というテーマの「排除」ではなく、そうした多様な人々への「配慮」から出版社によって表現の「修正」が行われるケースも生まれてきており、それはそれで問題になっている。

アガサ・クリスティ、イアン・フレミング、ロアルド・ダールらの作品において、ジェンダーや人種に関して不快に感じる恐れのある表現が修正されたという。ユダヤ人やジプシーという表現が削除されたり、「native」という言葉が「local」に修正されたり、『チャーリーとチョコレート工場』の有名なキャラクター「ウンパルンパ」も「small men(小さな男たち)」ではなくジェンダーニュートラルな「small people(小さな人たち)」へと表現が変更されたりした。

公平な言葉遣いのガイドライン

そして「The Atlantic」2023年4月号の記事によれば、このような配慮を取りまとめた「Equity Language Guide(公平な言葉遣いのガイドライン)」というものが一部の機関や組織に広まりつつある。

例えば、環境保護団体シエラ・クラブのガイドラインでは「stand」という言葉も避けるべきとされている。

「Sierra Club stands with LGBTQI communities(シエラ・クラブはLGBTQIのコミュニティーを支持する)」という言い方も、自分たちはそうしたコミュニティーの人間ではない他者のような響きがあるため、「Sierra Club supports civil rights and human dignity for our LGBTQI staff, members and supporters(シエラ・クラブは市民の権利と人間の尊厳のため、LGBTQIのスタッフ、メンバー、支援者たちをサポートする)」と変えるべきなのだという。

ガイドラインには、シスジェンダー(生まれた性と性自認が一致している状態)で、白人で、異性愛者で、経済的に困っていないことを前提とした言葉遣いは避けていくべきだと記されている。

また、全ての人が物理的に立ち上がったり、声を上げたりすることができるわけではないため、「stand up for our rights(権利のために立ち上がる)」という表現も「protect our rights(権利を守る)」という表現に変わり始めているという。

偏見や排除を感じさせない言葉とは?

他にも、戦地にも行ってないのにそうした比喩を使うのは良くないとして、minefield(地雷原/リスクある状況)→complex situation(複雑な状況)や、under fire(炎上)→unfairly criticized(不当なまでの批判)といった言い換えを勧めたり、ジェンダーレスな言葉としてyou guysではなくall of youであるとか、ladies and gentlemenをeveryoneにしたりといった言葉の使用を推奨している。

記事でも指摘されているように、特権、階級、バイアス、排除を感じさせる言い方を避けていこうとする試みはさまざまな機関で進んでおり、アメリカがん協会、アメリカ心理学協会、コロンビア大学大学院School of Professional Studies、そしてワシントン大学などで、こうしたガイドラインが導入されている。さらにサンフランシスコでは、出所した「convicted felon(有罪となった重罪犯)」のことを「justice-involved person(司法に関わった人)」と呼ぶようになっている。

こうした取り組みはもちろん、公平で多様性を重んじた世界を目指したものだが、各ガイドラインが少数の人間たちによって作られ、互いに参照し合ったものであり、多くの人の経験から自然発生的に生まれてきた言葉でも、議論の末に生まれてきた言葉でもないという問題もあると執筆者のジョージ・パッカーは言う。

何より、この種の言い換えは「厳しく、ときに不快な現実」を覆い隠すものであり、抑圧やハンデを抱えた人々に対する真の理解や共感を阻むものだ。パッカーの言うように、刑務所に入っている人のことを「person experiencing the criminal-justice system(刑事司法制度を経験している人)」と言い換えたからといって、刑務所という場所の厳しさが変わるわけではない。

記事の中では、こうした言葉遣いがいかに「厳しく、ときに不快な現実」を覆い隠すかを伝えるために、あるノンフィクション作品の一節を取り上げて、それを「公平な言葉遣い」に書き換えている。その例が面白かったので紹介したい。

公平な言葉遣いが真実を包み込む?

ジャーナリストのキャサリン・ブーがインドのスラム街に暮らす二家族に密着取材をし、2012年に全米図書賞などを獲得した『いつまでも美しく:インド・ムンバイのスラムに生きる人びと』(石垣賀子訳、早川書房)には次のような文がある。

The One Leg’s given name was Sita. She had fair skin, usually an asset, but the runt leg had smacked down her bride price.

片足の女は、生まれたときの名をシータといった。色白の肌は普通なら価値の高い財産になるが、足が悪いせいで花嫁候補としての評価はかなり低かった。

(日本語訳は『いつまでも美しく』より)

これを「公平な言葉遣い」に変えると、次のようになるという。

Sita was a person living with a disability. Because she lived in a system that centered whiteness while producing inequities among racial and ethnic groups, her physical appearance conferred an unearned set of privileges and benefits, but her disability lowered her status to potential partners.

シータは障がいと共に生きていた。彼女は人種や民族グループのあいだに不公平を生み出すような白人性を中心としたシステムのなかで暮らしていたため、彼女の身体的外見は、労せず数々の特権や恩恵を得られる種類のものだったが、障がいを持っていることにより、パートナーとなりうる人々に対する彼女の地位を低下させた。

(日本語訳は筆者によるもの)

こうした「配慮」により、なんだか奥歯に物が挟まったような言い方となり、どんなハンデを持ち、どんな残酷なシステムに身を置いているかが見えにくくなる。本当に伝えるべき現実を覆い隠してしまうというわけだ。もちろん、ここに挙げた文はパッカーが考えた架空の例であり実際には存在しないが、知らぬ間に少しずつ大手メディアや出版社に浸透していくことだってあるかもしれない

person-first language(人第一言語)という考え方

英語で執筆している人は「注:この文章は多様性に配慮した公平な言葉遣いで書かれています」なんて言わずに「equity language(またはequitable language)」を使うだろうから、翻訳者としては、そうした表現に注意を払っておく必要が出てくる。

例えば「equity language」の主要な概念に「person-first language(またはpeople-first language)」というものがある。ある人を属性で語るのではなく、一人の人間であることを強調する言葉遣いだ。その考え方では「homeless person」ではなく「person without housing」だし、「addict(中毒者)」は「person with a substance use disorder」となる。

英語と同じように日本語でも「人」や「者」を前に持ってくるのは厳しいため、「ホームレス」や「中毒者」と固有名詞で語るのではなく、「家がない人」や「物質使用障害を抱えた人」という形で「人」の部分を強調する表現が精いっぱいかもしれない。

難しいのは、まず英語で読んだときに「equity language」であると気付くかどうかだ。「person without housing」は素直に訳せば「家がない人」となるが、「person with a substance use disorder」と書かれていたら「物質使用障害者」と訳しそうな気がする。

しかも、その言葉遣いが意図したものなのか、流れのなかで偶然そうした表現になっているのかも判断しなければならない(意図的であれば文章全体から感じ取れそうだが、例えば発言の一部だけが引用されているような場合、判断はかなり難しくなる)。さらに、そもそも「物質使用障害者」とは日本語として「公平でない言葉遣い」なのかという問題も生じる。

執筆者のジョージ・パッカーは、「当事者が呼ばれたいとおりにその人のことを表現するのは書き手の仕事ではない。書き手は読者に、そして真実に忠誠を尽くす義務がある」と指摘している。それは確かにそうだが、公平な言葉遣いのガイドラインに載っているような表現は、その使用の是非にかかわらず、いつか記事や書籍で出合うことになるかもしれない。こうした表現が、例えばジェンダーニュートラルな代名詞「they」のように広く使われるようになっていくのか、それとも一部の人々の取り組みにとどまるのか、動向に注目していきたい。

文:樋口武志(ひぐち たけし)
文:樋口武志(ひぐち たけし)

翻訳家。訳書に『ウェス・アンダーソンの風景』(DU BOOKS)、『insight』『異文化理解力』(共に英治出版)、『ノー・ディレクション・ホーム』(ポプラ社/共訳)などがある。
Twitter: https://twitter.com/Takeshi_Higuchi

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本文写真:Patrick Tomasso, Samuel Ramos from Unsplash

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