人と人工知能(AI)が共生する時代。私たちが話すべき英語とは?【言葉とコミュニケーション】

茂木健一郎さんの連載「言葉とコミュニケーション」。第32回は、人と人工知能(AI)が共生する時代に、私たち日本人はどんな英語を話すべきなのかを考えます。人工知能が話す英語は、世界のトップ企業のCEOたちが話す英語と同じでなまりがある、とは?

ネイティブ英語の「標準」とは何か?

日本の中で英語の話をしていると、相変わらず「ネイティブ信仰」のようなものがあるように思う

しかし、そもそも、ネイティブの発音の、どれが「標準」なのかということを決めることが難しい。イギリスとアメリカでは違うし、地域や社会的なグループによっても違う。最近も、あるインターナショナルスクールで教えているイギリス、アメリカ出身の先生どうしが、お互いに「お前の英語はヘンだ!」と言い合っていたという話を聞いた。

ここで愉快なのは、イギリスとアメリカの先生の英語の「通訳」をしていたのが、同じ学校にいる日本の先生だったということである。もちろん、英語は第2言語である。もし、母語が英語であるということが最高の価値だとするならば、何か奇妙なことが起こっている。

人工知能の第1言語は「ネイティブ英語」ではない

最近は猫も杓子(しゃくし)も人工知能であるが、私自身も、人間と人工知能をどのように共生させるかという「アラインメント」(alignment)という分野に興味を持っていろいろと研究している。インターネットで公開されている人工知能研究者の講演、学会発表、ビジネス会議なども大量に聞いている。そんな中で、気付いたことがある。

それは、人工知能の世界での第1言語は、「ネイティブ英語」ではないということである。むしろ、英語が第2言語の人が話すような、少しなまっている英語が一番の中心になっている。例えば、ChatGPTの開発の中心になったイリヤ・サツケヴァー氏は、ロシアで幼少期、イスラエルで思春期を過ごし、その後カナダのトロント大学で学んだ。聞き取りやすい英語であるけれども、やはり少しアクセントに特徴がある。

サツケヴァー氏の指導教官で、「人工知能の父」とも言われるジェフリー・ヒントン氏(トロント大学名誉教授)は、ロンドン生まれでケンブリッジ大学を出た経歴からも分かるように、奇麗なクイーンズイングリッシュ(今ならばキングズイングリッシュ)を話す。その意味で、日本人が抱きがちな「ネイティブ英語」の定義に合うかもしれない

しかし、人工知能研究の世界では、サツケヴァー氏のような少し外国っぽい癖のある英語の方がむしろ「普通」である。人工知能やその関連分野で多くの視聴者を集めるポッドキャストの運営者、マサチューセッツ工科大学のレックス・フリードマン氏は、11歳のときにロシアからアメリカに家族と共に移住してきた。フリードマン氏の英語は、聞き取りやすいけれども、アメリカやイギリスの典型的な英語とは少し違う。サツケヴァー氏やフリードマン氏のような英語は、人工知能関連分野にあふれている。そのような視点から見ると、ヒントン氏のような英語は、むしろ「少数派」であるとすら感じられる。

日本なまりの英語が世界標準になる?

研究の世界からビジネス寄りに注意を転じると、英語を母語とはしない人の話し方の方がむしろ主流であるとすら感じられる。ChatGPTの応用で最先端を走るMicrosoftのCEO、サティア・ナデラ氏は、インドのテルグ語を母語とする家庭に生まれ、インドの大学の学部を出た後にアメリカの大学院に行った。GoogleのCEOのサンダー・ピチャイ氏は、インド工科大学を卒業した後、アメリカの大学院で学んだ。ナデラ氏、ピチャイ氏の話す英語は、独特の個性があるけれども、それは同時に人工知能を中心として発展しつつある現代のビジネスにおける「トップ」の英語のニュアンスでもある。

残念ながら、日本人は、今のところロシアやインド出身の研究者、技術者ほどの存在感を示せていない。しかし、日本でも、若い世代には、物怖じせずに、世界に出ていこうという気質の人たちが出始めている。そのような人たちが活躍すれば、「日本なまりの英語」こそが、その分野の標準だというような時代が来るかもしれない。

既にアニメや武道など、日本が強く、影響力を持っている分野では、日本なまりの英語は魅力的で吸引力がある。空手の達人、ミスター宮城が出てくる映画『ベスト・キッド』(1984、原題The Karate Kid)では、日本なまりの英語が権威とカリスマの象徴である。その続編で、YouTubeやNetflixで公開されて話題を呼んだシリーズ『コブラ会』(でも、日本語から派生した「ハイ、センセイ!」のような表現が魅力ある形で扱われている。

英語多様性の時代に大切なこと

私が最近いろいろな人に言っているのは、英語の発音やイントネーションがヘンだと言って引け目に感じる時代はとっくの昔に終わっているということである。そんなことよりも、むしろ大切なのは英語で伝える「中身」。もちろん、いわゆる「ネイティブ英語」がどのようなものであるか理解し、必要であれば使えることにも価値はあり続ける。しかし、一番大切なことはそこにはない。

いろいろな言語的バックグラウンドの人が、さまざまな英語を話す。そのような世界的な英語の多様性の坩堝(るつぼ)の中にこそ、飛び込んでほしいと思う。

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)

1962年東京生まれ。脳科学者、作家。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学大学院客員教授。東京大学大学院物理学専攻課程を修了、理学博士。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。

写真:山本高裕(ENGLISH JOURNAL 編集部)

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