機械翻訳の進化が変えた翻訳者の仕事【翻訳者のスキルアップ術】

連載「翻訳者のスキルアップ術」の第3回。前回に引き続き「機械翻訳」の話です。翻訳の仕事に機械翻訳を導入し、実際に何がどう変わったかについて、翻訳者の丸山清志さんに教えていただきます。

機械翻訳を使って仕事をする、ということ

前回、翻訳の世界ではIT(情報技術)を使った、いわゆる機械翻訳というものが使われ始めており、将来はどのようになっていくのかについて、私の考えをお話ししました。

私自身、現在は日常業務でほぼ100%機械翻訳を使って翻訳作業をしているという状況です。しかし、そんな私も、最初から機械翻訳を使っていたわけではなく、むしろ、割と最近まで機械翻訳のアンチだったのです。

今回は、そんな私がどういう経緯で機械翻訳をほぼ100%使うようになったのか、そして私の仕事がどう変わったのか、機械翻訳は本当に役立つのか、といったことをお話しいたします。

翻訳業界に普及したコンピューター翻訳支援(CAT)ツール

私が翻訳の仕事を始めた20年前、既に翻訳ソフトが存在していましたし、検索エンジンの翻訳サービスも既に世の中にありました。しかし、その翻訳能力は今のものと比べてもかなり低く、とても仕事で使える代物ではありませんでした。誰の目から見てもへんてこな訳文しか出てこなかったのです。

そのようなソフトやサービスを使って翻訳をしようものなら、すぐにばれてしまい、そのような「楽」をした翻訳者には、その先のキャリアの保証はありませんでした。私自身、1次翻訳(下訳)を翻訳ソフトにやらせて、自分で仕上げの編集をすれば、少しは作業の効率化につながるのでは、と考えたこともありました。

ところが、実際に翻訳ソフトにやらせてみると、とても使えるような訳は出てきませんでした。それどころか、原文と訳文を照合し、「使える/使えない」の判断などにかえって手間とストレスがかかるという本末転倒なことが起こっていました。それ以来、私は「機械翻訳」というものに対してアレルギー反応を示し、導入をかたくなに拒んでいました。

ちなみに、いわゆる翻訳ソフトには、実は2つの種類があります。1つは、原文を入力すると別の言語に変換して出力してくれる、一般的に想像するような翻訳ソフト。もう1つは、翻訳作業は人が行うものの、その人が翻訳したデータを蓄積し、次回以降に同じ単語や似たような表現が出てきたときに、蓄積されたデータを参照したり活用したりするなど翻訳の支援をしてくれるもの。プロの翻訳者が使っているのは、主に後者です。

翻訳業界ではこの10年ほどで、後者のコンピューター翻訳支援ツール、いわゆるCAT(=computer assisted translation)ツールの方が一気に普及してきた感じです。CATツールの利用が普及してきた背景として、クラウド環境が整ってきたことが挙げられます。クラウドにより、複数の翻訳者による分業が可能になり、人材が確保しやすくなったことと、そのおかげで、より大型の翻訳案件を翻訳会社が引き受けられるようになったことが、業界全体でCATツールの利用が主流となる大きなポイントだったと言えます。

長いものに巻かれて翻訳支援ソフトを導入

10年ほど前、私が取引していた翻訳会社でもCATツールの使用を必須とする案件が増え始め、かたくなに導入を拒んでいた私にも、いよいよ観念するときが来ました。

当時、翻訳会社がCATツールを導入した背景には、翻訳作業自体の効率化という理由以外にも、発注するワード数の管理や請求システムの自動化への対応など、いろいろな目的がありました。この観点からも、私にとって機械翻訳の導入は避け難い選択でした。

しかし、CATツールを導入すると、仕事が一気に増えました(実は、ツールを使っていない私に対する依頼は減少傾向でした)。そして、ツールの使い方に慣れてくると、私もその意義や重要性を認識するようになっていきました。

もちろん、CATツールには下手なところや苦手な作業がたくさんあります。しかし、得意なこともあるのです。その得意な部分は使うべきではないかと思うようになり、今では必ず使うまでになりました。

最近のツールの中には、翻訳自体をしてくれる「翻訳ソフト」を組み合わせたものも出てきており、そのソフトも以前とは異なり、だいぶナチュラルな翻訳ができるようになった上、専門用語を調べたり、特に長文の意味を把握したりする際にも役立つようになっています。

結果的に、このツール自体がとても複雑な仕組みになり、うまく使って優れた訳文を作るには(機械的にも言語的にも)高度なスキルが求められます。しかし、作業の効率と成果物の質を高めるのに役立つものになりつつあります。今、ようやく人の役に立つ「機械翻訳」の原型のようなものができつつある気がしています。

機械翻訳を導入して得た最大のメリット

当初はCATツールを使うことに消極的だった私でしたが、導入してから約10年で、手放せなくなるまでに機械翻訳への依存度は高まりました。

機械翻訳を導入して最も大きく変わったのは、「入ってくる仕事の数が増えた」ということです。賛否両論があるとはいえ、業界の流れとして機械翻訳を取り入れた案件が増えており、今後も増えていくということを考えれば、導入していないときよりも仕事が増えるのは当然ですね。

CATツールを導入すると、蓄積されている翻訳を他の人と容易に共有することができるので、複数人で1つの案件を担当することができます。みんなで用語や表現を統一しながら作業ができるのです。

そのため、以前は1人の優秀な翻訳者が長い時間をかけてやっていた大規模な案件も、多人数で分担して短期間でできるので、業務として成立しやすくなりました。そうすると、大手企業からの翻訳依頼も増えますし、業界として大規模な仕事が増えていきます。私もその恩恵を受けて、国際的な大手金融機関やコンサルティング会社、製薬会社などの超大型案件を担当することができるようになりました。

大きな仕事が増えると、まとまった収入が得られるようになるだけでなく、収入が安定してきます。単に仕事が増えるだけでなく、大規模な案件や重要な案件を担当できるようになったことは、機械翻訳と付き合うようになってからの最も大きな意味を持つ変化だったと思います。

やはり、時代の流れに乗って、機械翻訳を導入して良かったと思うわけです。

機械翻訳を導入した最大のデメリット

一方で、機械翻訳を導入して、悪い意味で変わった点もあります。それは翻訳業界全体にとってのデメリットと言いますか、翻訳という仕事の価値観の変化と言いますか、「機械翻訳を導入すれば仕事が楽になるだろう」と世間に思われるようになったことです。

「機械で自動翻訳されるようになれば、翻訳者の仕事はちょっと手を加えたり、添削したりするようなものだろう」という考えが少なからずあるようです。「その分だけ翻訳料をカットしてくれ」とか、「今までの半分の時間で作業をしてくれ」と求められることも増えています。機械翻訳の導入により、仕事の条件は随分と厳しくなりました。

しかし、ここで声を大にして言いたいことは、機械翻訳の導入により作業が楽になるというのは大きな間違いだということです。

既に述べたように、CATツールは翻訳そのものをしてくれるわけではありませんし、仮に翻訳ソフトが翻訳してくれたとしても、それを使える表現にするために修正したり、前後関係に合わせてなじませたりする作業が増えます。自分で一から翻訳するよりも、むしろ手間がかかるのです。

添削が簡単な仕事と考えている人もいるかもしれませんが、実は他人が書いた文を添削して、1つの調和のとれた文章として完成させるのは、とても高いスキルを要する作業です。普通の言語運用レベルでは難しいです。

このように、機械翻訳の導入で人間の翻訳者の作業が軽減されると考えるのは大きな間違いであり、むしろ機械を導入したからこそ、機械翻訳を操るスキルの分を上乗せしていただきたいと思うほどです。

機械翻訳の導入は、翻訳で食べている私の強い味方だった

ただ、翻訳作業以外で(良い意味で)変わった点がもう1つあります。機械翻訳の導入に連動して、請求から支払いのプロセスまでが自動化されたことです。

私たち翻訳者の仕事は、特に産業翻訳の場合、作業対象となる原文の単語数に基づいて報酬が計算されることが多いのです。それが機械翻訳の導入により単語数の計算も自動化され、発注から支払いまで、プロジェクト全体が人の手を介さずに処理されるようになってきました。

もちろん、自動化を導入していない翻訳会社はまだたくさんありますし、このような自動化が良いと言い切れないところはあります。しかし、私が取引しているある翻訳会社では、ほとんどの案件が発注から支払いまで自動的に流れます。プロジェクトマネジャーが払い忘れるということもありませんし、自分が請求書を出し忘れるということもありません。

人の手を介さないことはプロセスの時間短縮にも寄与し、月末に締められて1カ月後には銀行口座に振り込まれるというスピード感です。月末締めの翌々月末払いなんていう20年前のシステムはもう昔話。翻訳料の支払いがスムーズかつ迅速になったことは、翻訳者として食べている私にとっては強い味方となりました。

機械翻訳のさらなる進化に期待を寄せて

今回お話ししたことは、機械翻訳と付き合うようになって翻訳者の仕事が変わった点のほんの一部です。また、翻訳者によってはもっと違う体験をしていらっしゃることでしょう。機械翻訳には良い点もあれば悪い点もありますし、まだまだ発展途上。何よりも、私たち人間がまだ十分に使いこなせていない技術です。

しかし、私個人にとっては既に欠かすことのできないツールになっていますし、まだまだこれから進化してもらって、もっと使いやすくなり、私たち翻訳者の仕事を楽にしてもらいたいと思っています。

今後の機械翻訳のさらなる進化に、期待に胸が膨らみます。

丸山清志(まるやま きよし)
丸山清志(まるやま せいし)

通訳、翻訳家(日本語、英語、スペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語)。ファイナンシャルプランナー。一橋大学法学部卒業後、カリフォルニア州立大学スタニスラス校政治学科卒業。米国現地生命保険会社に勤務後、日本の語学・留学関連会社を経て、通訳・翻訳家として独立。その後CFPの認定を受け、ファイナンシャルプランナーとして個人事務所を設立。現在、通訳・翻訳業務、個人・法人向けFP業務(ライフプラン、相続、事業承継など)、講演活動などを幅広く行う。訳書『株式投資が富への道を導く』(パンローリング)、『WHOLE がんとあらゆる生活習慣病を予防する最先端栄養学』(ユサブル)など多数。通訳担当番組『世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ!!視察団』(テレビ朝日系列)他。
Twitter:https://twitter.com/marusan_jp
ブログ:https://ameblo.jp/honyaku-pro/

本文画像:Gerd Altmann, Gerd Altmann from Pixabay

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本書の構成
Chapter 1 AI翻訳の進化の核心を掴む
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Chapter 5 AIと英語学習の未来予測

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