翻訳家で通訳者の平野暁人さんの連載『通訳&翻訳 BEHIND THE SCENES』では、舞台芸術の仕事を中心に通訳翻訳の世界を語ります。第5回は、舞台芸術の通訳者ならではの「究極の関連業務」についてお話しいただきます。
観客の前に立つ通訳者
こんにちは。翻訳家で通訳者の平野暁人です。今回は、舞台芸術の通訳者でなければ決して経験しないであろう「究極の関連業務」についてご紹介します。ずばり「出演」です!
通訳者は概して黒子のような存在としてイメージされることが多いので、「たまに出演もします」と言うと非常に驚かれます。けれど通訳者が観客の前に立つのはこの業界ではそこまで例外的な事件でもなく、私の身近にも過去に出演経験のある通訳者は言語を問わず何人もいます。
もっとも、舞台俳優は高度な修練を要する専門職。出演と言ってもいわゆる伝統的な「演劇」作品でロミオやマクベスを演じるわけではありません。では、通訳者が舞台上に駆り出されるのはいったいどんなときなのでしょうか。
劇の展開を口頭で解説
まず、比較的よくあるのが「狂言回し」的な役割での出演です。人形劇のように未就学児が多く観に来る公演や、本番中に客席とのやりとり(お客さんにクイズを出したり、誰かを選んで舞台に上げたり)を行う公演など、字幕に適さない形態の作品では、通訳者が無声映画時代の弁士のように舞台脇で劇の大まかな展開を口頭で解説してみせたり、演者の隣に立ってお客さんとのやりとりを助けたりします。従来の通訳業務の延長という感じなので、読者の皆さんにも比較的イメージしやすいのではないでしょうか。
芝居やレクチャーを同時通訳
次に、「出演」度合いも難易度も一気にぐっと上がるのが「同時通訳」として舞台に上がるパターン。一人芝居やレクチャーパフォーマンス(講義のように直接観客に語り掛ける上演形態)など、出演者が一人で延々としゃべり続ける演目の場合、全て字幕で出してしまうとせっかく劇場に足を運んでくれたお客さんにひたすら文字を読ませるだけの時間になりかねないので、同時通訳形式で上演することがあります。観客全員にレシーバーを配布し会議通訳と同じ要領で通信するわけですが、通訳者はブースではなく舞台上の一角に陣取ったり、それどころか演者と並んで歩き回り、双子のように共に演じたりしながら通訳してみせることも。
通訳者の存在がどの程度まで押し出されるかは演出家のプラン次第ですが、現代の演出家の多くは通訳者を演者の一人として扱い、演出をつけて積極的に作品世界へ組み込んでゆくのを好む傾向にあります。ここまでくると立派に「出演」なので人を選びますし、先述の「狂言回し」とは違って難色を示す人、固辞する人も多く、オファーの段階で出演の可否について明確にしておかなくてはなりません。その点、なんでも引き受ける私は気付けば業界で「出演する通訳」の異名を取るまでになってしまいました。今年も1本出演を予定している作品が控えています。いわば独占企業状態です。単に誰もやりたがらないだけといううわさもあります。
「俳優」としてまさかのキャスティング
最後に、前述のどちらのパターンにも当てはまらない、極めて異色の出演経験についてお話ししましょう。実はわたくし、通訳を務めた作品にひょんなことから「俳優」として正式にキャスティングされてしまったことがあるのです。しかも「自分の役」で。
あれは2011年4月初旬。東日本大震災の混乱が続く日本に、1人のフランス人アーティストが作品づくりにやって来ました。来日自体は震災の前年から予定されていたのですが、状況の深刻さに鑑みて急きょ当初の計画を変更。被災地を巡って写真を撮り、現地の人たちと対話を重ね、原発の専門家に取材するなどした末に、非常にドキュメンタリー色の濃い脚本が出来上がりました。ドキュメンタリー風なので主人公は取材を行ったアーティスト本人です。
となると当然、アーティストと常に行動を共にしていた通訳者も物語の中に登場することになります。もちろん実話に基づいているとはいえ創作なのですから、普通なら俳優が通訳者の役を演じるところですが、そこは「普通」が大嫌いな現代アーティスト。「絶対おまえが自分でやった方が面白いから!」と口説かれ、いわゆる「天の声」方式で声の出演をすることに。あらかじめ録音しておいた自分の声が舞台上に響き渡るのを聞くのはなんとも妙な心持ちでした。
それだけでも十分風変わりな展開だったのですが、同じ作品をパリでも上演することが決まった際、フランス側から「今度は直接、舞台に出てもらうから」と事もなげに言い渡されたのです。面白そうなので二つ返事で引き受け、いざ渡仏して稽古を始めてみると、なんと私は他の2人の出演者と並んで最初から最後まで出ずっぱり。ちゃんとセリフもあればスポットライトまで浴びちゃいます。かくして、一介の通訳者がフランス国立演劇センターで5日にわたり毎晩舞台に立ったのでした。フランスの某演劇専門サイトには、現在も私の名前が「traducteur / interprète / comédien(翻訳家/通訳者/俳優)」と記されています。
次回は「舞台芸術の通訳者になるには?」についてお話しする予定です。どうぞお楽しみに。
※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2022年5月号に掲載した記事を再編集したものです。
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