あらゆる面からサポートする通訳者【通訳&翻訳 BEHIND THE SCENES④】

翻訳家で通訳者の平野暁人さんの連載『通訳&翻訳 BEHIND THE SCENES』では、舞台芸術の仕事を中心に通訳翻訳の世界を語ります。第4回は、稽古や公演の通訳業務から少し離れて、劇場の内外で発生するさまざまな関連業務についてお話しします。

予習が必要なイベント通訳

こんにちは。翻訳家で通訳者の平野暁人です。今回は稽古や公演の通訳業務から少し離れて、劇場の内外で発生するさまざまな関連業務についてお話しします。

イベント系で最も多いのが終演後のトークの通訳です。演出家や俳優が登壇し、創作の裏話や客席との質疑応答などを行います。時間は平均30〜40分くらい。当該作品に長く関わっていたり、登壇者と旧知の間柄だったりすれば、さほど負荷の高い業務ではありませんし、裏方のくせに目立つのが好きな私のような人間にはむしろ楽しみの一つでもありますが、場合によっては稽古や本番の合間を縫って泣きながら予習に励む羽目になります。そういうときは本番中もトークのことばかり気になってしまい生きた心地がしません。

演出家の来日を記念してシンポジウムやワークショップが開催されることもあります。こちらは本来、本番後のトークなどよりはるかに腰を据えて準備する必要があるのですが、アーティストの本領は出たとこ勝負。事前にレジュメをくれるような人はまず存在しません。仕方がないので休日を犠牲にしてインターネットに上がっている過去のイベント動画を片っ端から視聴し書き起こしたり、翻訳して資料集にまとめたりと、涙ぐましい努力を重ねます。

打ち上げや会食での通訳

疫禍ですっかり縁遠くなってしまいましたが、舞台の世界には初日の公演終了後に劇場内の施設で簡単な打ち上げを行う「初日乾杯」という慣習があります。乾杯のあいさつに始まり、入れ代わり立ち代わり話しに来る人たちの相手で演出家は(つまり通訳者も)大忙し。大使館、文化庁など公演を支援してくれている諸機関や大小さまざまな劇場の関係者も多く、重要な話がポンポン出てくるので気を抜けません。

そうした人たちとは別途「会食」の席でご一緒することもあります。静かなお店でごちそうに舌鼓を打ちながら機嫌良く今後の展望について語り合うわけです。日程案や大まかな予算など通訳に慎重を要する数字が飛び交い、通訳者には食事を楽しんでいる余裕などないのが普通。しかし私はとても食いしん坊であるため「今食べてるのでちょっと待ってください。通訳してるとおなかが減るんです」と臆せず伝えるようにしています。笑って待ってくれるのがこの業界の人たちの良いところです。

観客の感想を伝えるサポート

上演後に声を掛けてくれるお客さんの感想を通訳するのも大切な業務です。感動に顔を上気させて語る人々の、その思いの丈を伝える手助けをするのは心楽しく、やりがいがあります。

アンケートに記入された内容を口頭で訳す場合もあります。あまりに膨大な量があるとくじけそうになりますが、作り手なら誰しも感想が気になるもの。それに、思えば紙のアンケートはフランスやイタリアではあまり見たことがありません。わざわざ時間を割いて書いてくれているお客さんたちの姿を目の当たりにして深く感銘を受けるアーティストもいるほどで、おのずと訳してあげようという気持ちが湧いてきますし、通訳者にとっても発見が多く興味深い作業です。

突発的に頼まれる通訳と翻訳

思いがけず通訳や翻訳が必要になるケースもあります。突然「お客さんにあいさつしたい!」と言い出した演出家を追って舞台に上がり、マイクもなしに大声で通訳したり、パンフレットに演出家の言葉を載せたいので翻訳してほしいと頼まれたり。もとい、後者に関しては依頼する側にとっては突発案件ではないのでしょうが、依頼される側は、特に通訳者として参加している場合は必ずしも心の準備ができているとは限らないので少し慌てます。通訳業務と翻訳業務の間に明確な線を引きづらいのも、舞台芸術業界の特徴の一つかもしれません。

生活面のサポート

劇場を完全に離れて日々の生活のお手伝いをする局面も枚挙に遑(いとま)がありません。その際たるものが食事の世話です。短期のホテル滞在は外食中心になりますが、アレルギーや宗教上の理由などで口にできるものが限られている人もいますし、特にヨーロッパのアーティストにはこの10年ほどでベジタリアンやヴィーガンも急激に増えています。そうした人々が混在するチームに全員が満足する食事を手配するとなると、東京ならまだしも地方ではかなり難易度の高いミッションになります。無事にお店を見つけたら、待っているのはメニューの翻訳。「ネギぬた」でも「梅水晶」でも「揚げ出し餅」でもなんでも訳します。居酒屋に行き過ぎなのは見逃してください。

長期滞在の場合、宿舎の洗濯機の使い方、リネン類の交換やごみ出しに関する規則などを逐一訳して説明する必要があります。休日の観光ルートやお土産の相談にも乗るので、気分はほとんど修学旅行の引率の先生です。

こうして見ると舞台芸術の通訳者がいかに全人的な関わりを求められる職種なのかが分かります。語学力はもちろん、人間が好きで、変わり者のお世話も苦にならない人でないと難しいかもしれません。

次回は今月言及できなかった「究極の関連業務」についてご紹介する予定です。どうぞお楽しみに。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2022年4月号に掲載した記事を再編集したものです。

ENGLISH JOURNAL 2022年4月号

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平野暁人(ひらの・あきひと)
平野暁人(ひらの・あきひと)

翻訳家(日仏伊)。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手掛ける他、舞台芸術専門の通訳者としても国内外の劇場に拠点を持ち活躍。主な訳書に『隣人ヒトラー』(岩波書店)、『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)など。Twitter:@aki_traducteur

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