翻訳家で通訳者の平野暁人さんの連載『通訳&翻訳 BEHIND THE SCENES』では、舞台芸術の仕事を中心に通訳翻訳の世界を語ります。第1回目は、舞台現場でアーティストチームと良好な関係を築くための心得をお話しいただきます。
2通りある通訳の仕事
さて、一口に翻訳や通訳といってもさまざまな分野がありますが、私の場合、翻訳は文芸全般(戯曲、小説、ノンフィクション、劇評など)、通訳は舞台芸術(演劇、ダンス、インスタレーションなど)専門と名乗って活動しています。対応言語はフランス語とイタリア語。ただし日本にイタリアの舞台作品が招聘されるのはオペラを除きかなりまれであるため、通訳に関してはフランス語が業務のほとんどを占めています。また、企画によってはドラマターグという役割を兼任する場合もあります。日本ではまだまだ知られていない職種なので、そのうち改めてご紹介できればと思います。先ほどフランス語での通訳と書きましたが、もう少し詳しくご説明すると、以下の2通りに分けることができます。
【A】来る人を受け入れる(来日外国人アーティストチームの通訳)
来日し、日本の劇場や舞台芸術フェスティバルなどで公演、稽古およびこれに付随する業務(フィールドワーク、資料集めなど)を行う外国人アーティストチーム(演出家、俳優、ダンサー、舞台美術家、照明家、音響家、衣装デザイナー、制作など)に随行し通訳を行う。
【B】行く人に付いていく(海外での日本人アーティストチームの通訳)
海外へ渡航し、現地の劇場や舞台芸術フェスティバルなどで公演、稽古およびこれに付随する業務を行う日本人アーティストチームに随行し通訳を行う。
演出家を王様にしない
世にあまたいる通訳者の中でも、舞台芸術が専門というのは傍目にはなかなか奇特に映るようで、ありがたいことに近頃は連載や講演などの依頼も増え、「舞台通訳者の心得」についてもよく尋ねられます。私は大学院生時代にひょんなことから通訳のアルバイトに手を染めずるずると今に至っただけの人間なので、通訳技術も稚拙ですし、何より人間というナマモノ相手の仕事である以上「必ずすべきこと」のアドバイスは難しいのですが、逆に「決してすべきでないこと」なら一つ思い当たります。それは「誰か一人の味方をしないこと」、なかんずく「演出家を王様にしないこと」です。何を当たり前のことを、と思われるかもしれませんが、舞台の世界において演出家は圧倒的な権力を持った存在として長らく君臨してきました。俳優を殴打したり物を投げたりするような人は昨今さすがに激減しているものの、俳優やスタッフに対して強権的に振る舞う人、不遜な態度を取る人は存在します。思いどおりにならないことにいら立ち怒声を飛ばしたり、突然明らかな無理難題を持ち出したりすることも。そんなとき、全面的に演出家の側に立ち、王様の命令を伝えるがごときトーンで通訳してしまう人が時々いるのです。一体なぜそんなことが起きるのでしょうか。
「みんなの味方になること」が大切
一つには単純に「演出家絶対主義」的な思想が背景にあるのだろうと思います。舞台の通訳者には舞台芸術に一家言ある人や研究者などはもちろん、元演者や現役の演者も珍しくなく、とりわけ特定の演出家の通訳を長年務めてきた人の中には「演出家が白と言えば黒いものも白!」のようなヒエラルキーを強く内面化している人も……(もちろんそうでない人の方が多いですが)。 確かに、創作にまつわる全ての事柄に関して最終決定権を有しているのは演出家です。しかしながら作品づくりはみんなのもの。演出家だけでも、出演者だけでも、スタッフだけでも作品はつくれません。加えて、国が違えば作法も違います。どんなに経験豊富な演出家でも世界中のやり方を熟知しているはずはなく、郷に入っては郷に従うべき局面もあります。権威にとらわれず、心を強く持って演出家を制したりいさめたりする覚悟が必要です。また、通訳者を介した創作における特有の現象をきちんと認識していないと、不必要にアグレッシブな訳し方をしてしまうことがあります。というのも人間、じかに言葉が通じないと分かっているといら立ちに任せてぞんざいな口を利いてしまいがち。例えば、以下のように「差し引いて」訳すのが適切だろうというのが私の持論です。
「なんでこんなクソみたいな機材使ってるんだ!」→「この機材、かなり使いにくいんですが」
「そんなスケジュールでできるわけねえだろ!」→「そのスケジュールは無理がありますね」
最後に、「誰かの味方にならないこと」は「誰の味方にもならないこと」とは違います。反対に「みんなの味方になること」こそが大切なのではないでしょうか。少なくとも私自身はそう自分に言い聞かせ、誰かの喜びや苦しみやいら立ちや感動に耳を傾けては、別の誰かに伝えています。他でもない、この体を通して。
※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2022年1月号に掲載した記事を再編集したものです。
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