眠ることで、悲しみから目をそらし続けることはできるのか【EJ Culture 文学】

2001年9月11日、アメリカで起きた同時多発テロ事件(9.11)。今回、翻訳家の樋口武志さんにご紹介いただくのは、この事件に関連する小説『My Year of Rest and Relaxation』(オテッサ・モシュフェグ 著)。感情を取り戻すため、「冬眠」と称して眠り続けることを選ぶ女性の物語です。

悲しみを正面から受け止めるために

My Year of Rest and Relaxation, Ottessa Moshfegh (2018)

9.11に関連した小説は、事件後数年から10年以内に複数の作品が書かれた。中でも『墜ちてゆく男』(2007、原書出版年、以下同)、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(2005)、『ネザーランド』(2008)などが思い浮かぶ。

しかし2018年になって、9.11を扱った印象的な小説が登場した。それが『My Year of Rest and Relaxation』だ。イラン出身の父と、クロアチア出身の母の下に生まれたアメリカの作家オテッサ・モシュフェグの作品である。厳密には9.11の場面が出てくる小説と言うにとどめる方が適切かもしれないが、わずかに触れられるだけにせよ、この出来事は小説内で鮮烈な存在感を放っている。だが鮮烈な印象を残すのは、事件の悲惨さや恐怖が描かれるからではない。本書の結末と深く関わっているからである。

モデル体形で美しく、両親の遺産のおかげで不自由なく高級住宅街に暮らす20代後半の「わたし」。美しさを買われてアートギャラリーで働いていたが、その仕事を辞めてしまう。頭の中を思考や批判が渦巻いて、ありとあらゆる物や人を憎まずにはいられない状態となっているため、「my year of rest and relaxation(休息とリラックスの歳月)」に入り、「冬眠」と称して眠り続けることにしたのだ。

Oh, sleep. Nothing else could ever bring me such pleasure, such freedom, the power to feel and move and think and imagine, safe from the miseries of my waking consciousness.(ああ、睡眠。目覚めているときの悲惨な意識から解放され、こんなにも喜びと、自由と、感じ、動き、考え、想像する力をもたらしてくれるものは他にない)

読み進めるうち、「わたし」を愛してくれなかった両親の死(父は病死、母は自殺)の悲しみが冬眠を求める大きな原因ではないか、と読者には思えてくる。悲しみの感情があっても表出されることがない彼女は、眠り続けることで奥にある悲しみから目を背けようとしているように感じられる。

睡眠と並んでもう一つ重要なのが映画だ。彼女はウーピー・ゴールドバーグやハリソン・フォードの出演している映画などを(2000年ごろの話なので)ビデオテープで繰り返し見ている。ついでに、感情表現が豊かな友人レヴァのことはリアクションが「映画のキャラクターみたい」だと思っている。感情について考えることはできるが実感することはできないという主人公にとって、レヴァのように感情豊かな人間はフィクションのような存在なのである。しかし映画やレヴァという幕を隔てた豊かな世界を彼女は繰り返し眺めている。

9.11に話を戻そう。精神科医に睡眠薬などを処方してもらい、彼女は数カ月家に閉じこもり、冬眠生活を敢行する。その生活を終え、感情を取り戻して間もなく9.11が起こるのである。彼女は録画したツインタワーの映像を繰り返し眺める。そこには1人の女性が世界貿易センタービルから飛び降りる様子が映っている。

There she is, a human being, diving into the unknown, and she is wide awake.(彼女が、人間が、未知へと飛び込んでいる。しっかりと目を覚ました状態で)

なぜそんな映像を見るのか。それは、徹底的に冬眠した末に眠りと決別し、しっかりと目を覚まして未知なる感情と向き合っていこうという気持ちの表れだろう。だが感情を取り戻すと、当然悲しみにもさらされる。回復した主人公に訪れる悲しみがなんなのかは、ぜひ読んで確かめていただきたい。

今回紹介した本

ENGLISH JOURNAL ONLINE編集部
文:樋口武志(ひぐち たけし)

翻訳家。訳書に『ウェス・アンダーソンの風景』(DU BOOKS)、『insight』『異文化理解力』(共に英治出版)、『ノー・ディレクション・ホーム』(ポプラ社/共訳)などがある。
Twitter: https://twitter.com/Takeshi_Higuchi

※ 本記事は『ENGLISH JOURNAL』2022年9月号に掲載した記事を再編集したものです。

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