何が真実で何がフィクションか――。「EJ Culture 文学」で今回、樋口武志さんにご紹介いただくのは、そんな普遍的な問いを読者に投げ掛ける小説『Mouth to Mouth』です。
何かが起こった――何が起こった?
Mouth to Mouth, Antoine Wilson (2022)
「Sleep is the cousin of death(眠りは死のいとこだ)」。カナダに生まれ、カリフォルニアやサウジアラビアで育った作家アントワーヌ・ウィルソンの小説『Mouth to Mouth』には、そんな言葉が登場する。
本書はミステリーとも言える小説で、話の筋はシンプルだ。作家をしている主人公が、大学時代の顔見知りだったジェフ・クックと空港でおよそ20年ぶりにたまたま再会する。飛行機の遅延を待つ間、二人はラウンジへ向かう。近過ぎず遠過ぎず、ちょうどいい距離の話し相手だと思ったのか、ジェフは誰にもしていないという打ち明け話を始めるのだった。
大学を卒業した若いジェフは、あるとき失恋の傷心から早朝に川沿いへ車を走らせる。すると偶然、溺れている男を発見する。周りに人はおらず、ジェフは一人で必死に男を川から引き上げ、人工呼吸(mouth to mouth)をする。そしてなんとか蘇生し、もうろうとする意識の中、男は救急車で運ばれていく。
だがその後、救急隊や病院や本人からジェフにはなんの連絡もなく、あっという間に日常生活が戻ってくる。その落差を受け止めきれないジェフは、自分が助けた男は何者だったのか、本当に助かったのか、自分が助けたと知っているのか、そうしたことがどうしても気になり、男の身元を探り始める。
その男はアートディーラーのフランシスという人物だと判明した。しかし彼は溺れた事実などなかったように振る舞っている。彼を救ったはずのジェフを見ても特に反応を示さない。彼は何者なのか。ジェフは何を求めて彼を追っているのか。ミステリーなので詳細は省くが、その後ジェフとフランシスの間に起こる出来事には最後にきちんと決着がつく。
「眠りは死のいとこだ」という言葉に関連して、冒頭の章でジェフは、手術で麻酔をかけられたときの話をする。
I felt that things had happened to me without my knowledge, which they had, of course, and I was left with the uncanny sense that I wasn’t the same person who had gone under.
自分の知らないところで自分に何かが起きた感じがして、というか実際に何かが起きたわけで、意識を失う前と同じ自分ではないような、気味の悪い感じがした。
この言葉は、著者本人の体験を知ると理解しやすくなる。インタビューによれば、著者は幼い頃、腹違いの兄が殺害されるという体験をした。一緒には住んでおらず、彼自身に直接の喪失感はなかったが、嘆く親を間近で見てきた。葬式らしきものはしたが、そこに遺体はなく、何が起きたか理解も難しい・・・。
本作の内容に直接の関係はないが、「何かが起こった。それが何か理解できない/理解しようと努めている」という点には通じるものがある。麻酔=眠りと同じように、その前後で明らかに何かが変わったが、それが何かをすぐには理解できない。
それはもちろん、著者やジェフだけに特別な体験ではない。誰の身にも起こり得る。自分や自分と関わった人に大きなことが起きた。それはなんだったのか。どんな意味があったのか。本書の中心にあるその謎はミステリー的であると同時に、普遍的で人間的な問いだ。
その問いは切実であるから、答えを求めて早く読み進めたくなる。180 ページ程度と短い上、話の筋がはっきりしていて、ミステリーらしい結末もあるため、英語で読む本を探している人におすすめの一冊だ。
今回紹介した本
※ 本記事は『ENGLISH JOURNAL』2022年5月号に掲載した記事を再編集したものです。
Image by Kseniya Lapteva from Pixabay
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