「大学教育に文学は不要」「英文学を学んでも英語ができるようにならない」という声を聞くことがあります。こういった見方について、シェイクスピア研究者で大学准教授にして、自称「不真面目な批評家」、著書『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』が好評の北村紗衣さんに、2回にわたって(至って真面目に!)検証していただきます。第2回のテーマは「大学の英語の授業で、なぜビジネスや資格試験ではなく文学や映画を使って学ぶのか?」です。
なぜ英語の授業で文学を取り上げるのか?
前回の記事 では、なぜ大学で英文学を英語で学ぶ必要があるのか、という話をしました。
▼前回の記事はこちら↓
今回の記事では、専門科目ではなく、 一般の英語の授業で文学作品を読む理由は何なのか 、という話をしようと思います。
このことについて私が時々感じるのは、大学教育に携わっていない方々は、あまり現在の大学や外国語の授業のことをご存じない、ということです。よく、「文学よりももっと実用的な英語を教えるべきだ」「資格試験に適応できるような英語を教えるべきだ」と言ってくる方々もいます。
こういう方々が見逃している大きなポイントが幾つかあります。ここでは2つ挙げることにしましょう。
「実用的な英語」の中身は目的によって異なる
まず、「実用的な英語」を教えろと言ってくる方々のほとんどは、 何が実用的な英語なのかについてのはっきりしたヴィジョン がありません。何をするにはどのくらいの運用能力が必要なのかといったことに関して、あまり明確な認識がないのです。
例えば、英語でオンラインゲームをするのと、科学の論文を書くのと、ニュースを読むのと、通訳をするのとでは、それぞれに必要な運用能力が大きく違います。 科学論文を英語で読み書きできるのに、英語のスポーツニュースや芸能ニュースはほとんど読めない、映画やドラマのジョークが分からない 、という方もいたりします。
科学論文の読み書きが仕事であれば、それができる運用能力があればOKです。一方、英語圏で暮らして、周囲の人と社交をしたり、人脈を築いたり、地元の文化に根差した活動をしたりしたいのであれば、 スポーツニュースや芸能ニュース、コメディーのジョークがある程度理解できるくらいの英語の運用能力が必要 でしょう。それには、背景となる文化を理解する必要があります。
文学的素養が「英語の運用能力」に必要なこともある
海外の人と交流したり、海外で生活したりするときに必要になってくるのが、「非実用的」だとされることの多い 文芸やエンターテインメントなど、文化的背景が絡んだ英語を理解する能力 です。
例えば、2012年のディズニーアニメ映画『 シュガー・ラッシュ 』のシーンで考えてみましょう。これはゲームの中の世界を主な舞台にした作品で、登場するゲームの一つ、「シュガー・ラッシュ」は、お菓子がコンセプトのレーシングゲームです。このゲームの世界の出口には、「Parting is Such Sweet Sorrow」(別れはなんと甘い悲しみ)という掲示があります。
子ども向けのゲームに出てくるにしては大げさな表現だな・・・と思ったあなた、その勘は正しいです。これは、 シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』第2幕第2場で、ジュリエットがロミオに言うせりふ で、英語圏ではとてもよく知られています。
映画『シュガー・ラッシュ』の続編である2018年の『 シュガー・ラッシュ:オンライン 』では、ヒロインのヴァネロペが、親友のラルフと別れるときにその掲示を思い出し、「Farting is such sweet sorrow」、つまり「おならはなんと甘い悲しみ」と言うところがあります。「Parting」と音が似ている「Farting」を引っ掛けた、ふざけたせりふなのですが、ヴァネロペは「別れ」という重い言葉を「おなら」に変えることで、悲しみをごまかしながら別れのあいさつをしているのです。
このように、子ども向けのディズニーアニメ映画にも、大事なところでシェイクスピアが出てきます。大本がシェイクスピアだとすぐ理解できなくても、 普段から文学作品などの英語に触れることで、「ん、この妙に大仰な表現は何だろう?」という勘が働く ようになり、インターネット検索でちょっと調べることで、英語圏ではみんな知っているような引用なんだと分かります。こういうところで、文学的な英語の知識が効いてくるのです。
つまらないものは教材に向かない
2つ目に挙げたいことは、いわゆる「実用的な英語」とされている ビジネス英語や英語資格試験の教材は、ほとんどの場合、面白くない ということです。
実用的な英語、資格試験の英語を教えろという方々は学生のモチベーションを過大評価しておられるようですが、たいていの学生はこの手の教科書によく出てくるコピー機の修理やレストランの予約、契約書、商品への苦情などの会話や文章を面白いとは思いません。面白くなければ当然、勉強をする気は続きません。
ビジネス英語教材でも、BBC Learning Englishで2017年まで配信されていた「 English at Work 」など、ユーモア満載で、しかも普段の会話で使えそうな表現をたくさん盛り込んだ面白いものももちろんあるのですが、このくらい楽しい教材はあまりない上、レベルとしては大学1年生には難しい場合も多いです。
内容が面白ければ、多少難しくても取り組む意欲が湧く
そこで、 文学や映画、ドラマ などが教材として力を発揮します。
私は英語のリーディングのクラスで、マイケル・ボンド著『くまのパディントン』の英語教科書を使ったことがあります。そのような本なら、児童書とはいいつつ英語のレベルとしては多少難しいところがあっても、 話が面白いので、最後まで頑張って読み通すだけのモチベーションが続く と期待できるからです。
この物語では、通常の英語では「hand」(手)が使われるイディオムで、「くま視点」の「paw」(動物の足)が使われており、こうしたところに注意を促すことで、学生に 日常的な表現を覚えて もらうこともできます。文才のある人が書いたものには、ちょっと難しくても、やはり読ませる力があります。
そして、気を付けたいのは、こういう「面白い教材でないと、やる気が続かない」学生は結構いるということです。
文学や映画で学ぶのは英語力が付いてから、ではない
自慢のようで恐縮ですが、私が武蔵大学や慶應義塾大学で行っている英語の戯曲を読むクラスは、誰も来ないような不人気クラスではなく、他のクラスと同じ程度には学生が集まります。そういう学生にビジネス英語の教材をすすめても、やる気を減らすことにしかならず、大して英語力が上がらないことがあり得ます。
外国語学習においてどういうアプローチが向いているかは、人によって大きく異なります。まだ運用能力が高くないから「実用的な」英語の簡単な教科書で、というのは、教育現場の実態に即した考えではありません。
英語で何か面白いことをしたい、楽しみたい、という学習動機を持つ学生には、文学や映画を与えた方が英語力は伸びます 。英語で冗談が分かったときの喜びは、何よりも学習のモチベーションになります。私が英語の授業で文学を扱うのは、まずは楽しい気持ちで英語に触れてほしいからです。
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編集:ENGLISH JOURNAL編集部