「若い世代の物語を訳す」第4回のテーマは、グラフィックノベルの翻訳です。セリフを限られた吹き出しの中に収め、絵の動きや音にぴったりのオノマトペを考える――そこには、小説の翻訳とはまた違った難しさがあります。翻訳家・三辺律子さんが、実際に作品を訳して初めて気づいた、グラフィックノベルならではの工夫と苦労を語ります。
目次
そもそもグラフィックノベルとは?
わたしが今、全力で推しているジャンルに、グラフィックノベルがある。
「グラフィックノベル(graphic novel)」という言葉は、だいぶ市民権を得てきたように思えるが、どうだろう。まあ、ひと言で言えば「マンガ」でいいと思う。でも、マンガは「comic」の訳語じゃないのかとか、じゃあ「バンドデシネ」とはなんなんだ、とか思う方もいらっしゃるかもしれないので、ごく簡単に説明を。
グラフィックノベルという言葉自体は60年代から使われていたが、大衆娯楽として軽く扱われてきた「コミック」に対し、高い芸術性を持ち、大人の読者をも対象とした“文学的マンガ”を指す名称として定着したのは、『マウス―アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』(アート・スピーゲルマン)が登場したあたりからだろう。本作は、コミックとして初めてピューリッツァー賞特別賞(1992年)を受賞している。
バンドデシネ(Bande Dessinée)はフランス語圏のマンガのことで、日本ではメビウスやエンキ・ビラル、エルジェといった作家が浮かぶ。そのため、アーティスティックで、豪華なオールカラーの作品というイメージがあるが、実際はマンガ全般を指している言葉で、SFやファンタジーマンガなどエンターテインメント作品のほうが圧倒的に多い――というのは、バンドデシネ翻訳の第一人者、原正人さんからの受け売り。
セリフを吹き出しに収めるという難題
とはいえ、マンガはマンガなので、一般的な小説を翻訳するのとはだいぶちがうところがある。いちばんのちがいは、吹き出し(登場人物のセリフや思考などの文字を囲み、誰が話しているかを視覚的に伝える枠)。吹き出しの大きさを変えるわけにはいかないので、セリフは吹き出し内に収まるように訳さなければならない。
ちなみに、大きさを変えられないということは、小説の翻訳時のように縦書きで訳せないということだ。英語は横書きなので、吹き出しも横長の場合が多く、そこに縦書きで文章を入れるのは無理がある。
さて、英語の小説を日本語に翻訳すると、本にしたときの分量は一般に1.2倍から1.5倍くらいに増えると言われている(ちなみに、むかしの翻訳より今の翻訳のほうが、増える割合は減っていると思う。理由はいくつかあると考えているけれど、また別の機会に)。でも、吹き出しに収めるには、訳文の分量を増やすわけにはいかない。
とはいえ、訳文の長さの調整は、それまで絵本の翻訳時にもやってきたことなので、なんとかなるだろう――というのが、グラフィックノベル初翻訳となる『THIS ONE SUMMER』に取りかかるまえのわたしの(甘い)見立てだった。
日本のマンガを読み直して気づいたこと
しかし、思わぬ落とし穴が待ち構えていた。参考までに、と軽い気持ちで日本のマンガをパラパラとめくってみてまず気づいたのが、句読点が圧倒的に少ない!これまで数えきれないほどマンガを読んできたというのに、まったく気づいていなかった。確かに、句読点が多いと、吹き出しの中がごちゃごちゃして読みにくそうだ。じゃあ、どうしているのかというと、改行をうまく使って、読みやすさを確保している。
それに、吹き出しの形に合わせて行の長さも調整してある。楕円形なら、中央の行を長くし、上下を短くして、文字の塊を吹き出しになじませているという意味だ。そして、一つの吹き出しに詰めこみすぎないようにしている(しかし、例外も発見。『DEATH NOTE』だ。そう言えば、読むのにえらく時間がかかったっけ。でも、大好き)。
なるほど、じゃあ、翻訳時もそうしよう――なーんて、簡単にいくわけはなかった。吹き出しの形に合わせるといったって、おかしなところで改行したら、そもそも句読点もないのに読みにくいことこの上ない。文節や意味の切れ目で改行しなければならないけれど、文節や意味単位で訳文の長さを調整するのは至難の業だ。
じゃあ、文字を小さくしたり大きくしたりして吹き出しに合わせたらどうだろう。でも、あがってきたゲラを見て、その手法も使えないことが発覚。大きいとどなってるみたいだし、小さいとつぶやいているみたいに、読めてしまうのだ。
ちなみに、日本のマンガだと、吹き出しの形も「声」を表すのに一役買っていた。ギザギザの吹き出しだと叫んでいる、雲形だと内面の声、黒字に白文字だと不穏な感じ、などなど。なるほど、今まで意識したこともなかった。すごいな、日本のマンガ!と感心するも、この手法は翻訳には使えない(吹き出しの形を変えることはできない)。
というわけで、四苦八苦しながら訳文をこねくり回すことになった。3冊目の『ローラ・ディーンにふりまわされてる』のころには、そこそこコツをつかんできたように思ったけれど、まだまだ道は長い。
「がしっ」か「グイッ」か――オノマトペをどう訳す?
さて、なんとか訳文をしあげてほっとしたのもつかの間、思わぬ落とし穴その2が待ち受けていた。それは、オノマトペ。
『THIS ONE SUMMER』には、それでも日本のマンガに比べれば少ないが、けっこうな数のオノマトペが使われていた。だいたい英語は日本語ほどオノマトペが豊富ではないので、グラフィックノベルでは、動作を表す語をそのまま書きこむことも多い。swing、grab、dodge、flipなどなど。出てくるたびに、絵に描かれた動きに合う日本語のオノマトペを、うんうん考える羽目になる。このgrabは「がしっ」なのか、「グイッ」なのか、それとも「むにゅ」なのか。このdodgeは「さっ」なのか、「ひらり」なのか、それとも……。
また、英語のオノマトペが使われていたとしても、ことは簡単ではない。音の捉え方や文字への写し方が、英語と日本語ではちがうからだ。achoo!(アチュー)は「ハクション」、chug-chug(チャグチャグ)は「シュッポシュッポ」。munch munch(マンチ、マンチ)は「もぐもぐ」とか「むしゃむしゃ」。舌打ちはtsk!やtut(無理にカタカナにすれば、「ティスク」「タット」だろうか)だけど、日本語なら「チッ」とか「チェッ」。日本では、ふつうどんなオノマトペで表すかな、といちいち変換しなければならない。
わたしとしては、この落とし穴その2のほうが大変だった。それで、思いを馳せずにいられなかったのは、日本のマンガのオノマトペはどうやって英訳しているんだろう、ということだ。ちょっと調べてみると、案の定、日本語→英語翻訳者のみなさんは大変苦労していた。
「バキッ」「ドカッ」「ズドン」→「CRACK!」「BAM!」「 BOOM!」などはまだ難易度が低いほうだろう。『NARUTO―ナルト―』では、砂利の上で止まる「ザザザザ」がSHHHHF、激しく倒れる「ドドガガガ」がKRAAAK。『ONE PIECE』では、激しい雨の「ザアアアアアア」がKSHHHHH。翻訳者の苦労がしのばれるすばらしい訳だ。
じゃあ、オノマトペ大王のあの作品は……?
「メメタァ」(『ジョジョの奇妙な冒険』)はなんとそのまま笑。カタカナ表記のそばに、申し訳程度に小さくZZONKと英訳(らしきもの)が添えてある。zonkは殴打音を表す効果語として使われるが、「カエルを殴った音」という特別感(珍妙感)が消えてしまうから、あえてカタカナを残したのかも?(とはいえ、おそらくはデザイン上のことだろう)。そのあとすぐ出てくる「ドグチアッ」もカタカナ表記のままで、VWOOCHとなっていた。ちなみに、オノマトペではないけれど、「無駄 無駄 無駄ァ―――ッ‼」は、アルファベット表記で「MUDA MUDA MUDA‼」。もはや訳してない!まあ、「USELESS USELESS USELESS‼」とは訳せないもんね。
近づいてきたマンガの「文法」
閑話休題。とはいえ、かつてはコマ割りや視線の誘導といった、いわばマンガの「文法」が日本と欧米のマンガとで異なり、日本の読者にはコマを追いにくかったり、意味を取りにくかったりすることもあった。しかし、今のグラフィックノベル作家には、日本のマンガを読んで育った人も少なくない。その影響もあって、両者のマンガの文法は近づいているように感じる。少なくとも、絵の流れや間合いを読み取り、それに合う日本語を考えるという点では、以前より訳しやすくなっているのではないだろうか。というわけで、結論。これからもっともっとグラフィックノベルが邦訳されてほしい。翻訳、喜んで請け負います!
三辺律子さん翻訳の書籍
写真:サトノリユキ
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