単なる句読点以上の意味を持つ「セミコロン」。今、注目の書籍『セミコロン かくも控えめであまりにもやっかいな句読点』を翻訳した一人、近畿大学経営学部特任講師の萩澤大輝さんに、この記号が持つ多面的な特性と、それがいかに私たちの言語や法律、文化に影響を与えているかをひも解いていただきます。
目次
セミコロンはそもそもどういう記号?
「つなぐ」機能
英語の文章ではセミコロンという句読点が使われる。クリンとした見た目のかわいいやつである。役割はざっくり分けて2つある。まずは文と文を「つなぐ」機能。ピリオドほど明確には打ち切らず、軽く切れ目を入れつつ接続する。
(1a) It’s probably not a matter of if Trump will be personally investigated; it’s a matter of when.
トランプが個人として捜査を受けるというのは、実現するかどうかという次元の話ではないだろう;論点は「いつのことになるか」だ。
セミコロンだけでは心もとないということで、however(しかしながら)、therefore(それゆえ)、in fact(さらに言うと)などを補って2文の関係を明示するケースもある。
(1b) The need to improve teaching standards is recognized; however, it is not something that is going to happen overnight.
授業の水準を向上させる必要があることは認識されている;とはいえ、一朝一夕にできるようなことでもない。
「分ける」機能
それから、複数の項目を「分ける」機能もある。箇条書きをリストとして独立させず、ベタッと本文中に入れ込む際に使われる。コンマよりも強い区切りとして、どこに境目があるのかをハッキリと目立たせてくれる。
(2) For example, according to the UNESCO’s Atlas of the World’s Languages in Danger, Italy has 30 endangered languages; France, 26; Germany, 13; and the United Kingdom, 11.
たとえばユネスコの発表する「世界の危機言語の地図」にしたがえば、消滅の危機に瀕している言語はイタリアで30種、フランスで26種、ドイツで13種、イギリスで11種ある。
以上、セミコロンの一般的な用法を確認したが、実際の使われ方には相当な個人差もある。まことに厄介な記号だ。
トラブルメーカーぶりの発揮
自然に身に付かない句読点
セミコロンをはじめとする句読点の使い方は、英語のネイティブでも自信を持てないことが多い。基本的には教科書などで勉強しなくとも自然に使えるようになるのが母語だが(未就学児も立派におしゃべりできる)、そんな母語の中では珍しく、意識的な学習を経ないと正確には身に付かない類いの要素なのだ。これは日本語のネイティブだからといって、敬語を自在に使いこなせるとは限らないのにも似ている。「先ほど主任が言われたように——」 ん、「おっしゃったように」か。・・・いや、「おっしゃられたように」? 一抹の不安が付きまとう。
だからこそ、セミコロンをサラッと使いこなせたらオシャレだ。文章に気品が漂う。だが英語のライティングの授業なんかで下手に使うと、目ざとい先生が赤字で修正を入れてくる。くそう。たまっていくストレス。あんな記号、インテリが教養をひけらかしてるだけじゃん。この哀れな句読点にはこうした不満が浴びせられがちだ。
また、セミコロンを(1a)のように使うと、前後の文はどういう意味的な関係にあるのか、読み手の方で判断しないといけない。じれったい。はっきり書いてくれよ。19世紀の小説なんかを読むと、セミコロンを多用して文をひたすら連ねていく特徴的な書き方も見られ、読みにくいことこの上ない。もう勘弁、そろそろ息継ぎさせてくれ・・・。「曖昧になる」とか「簡潔じゃない」という批判も向けられるわけだ。
その解釈が生死を分ける
セミコロンなどの句読点は法律の条文でも使われる。そして、その解釈が判決を——場合によっては人の生死を——左右したりもする。句読点が関わる法廷闘争がどういう経緯で生じて、どういう顛末をたどったか。その模様を生き生きと語った『セミコロン』の4章、5章は、当事者たちの息遣いまで聞こえてきそうなほどで、屈指の見せ場となっている。
かくも小さな「点」をめぐって大いに悩む。それは日本でも同じである。例えば、「90日以内に乳房の悪性新生物に罹患し、医師により診断確定されたとき」は保険金を支払わないとする免除規定。「90日以内に」は読点を超えて「診断確定された」にもかかるだろうか?2012年の裁判ではそれが一つの争点になった。その読み方ならばこの条項は適用されず、原告に保険金が下りることになるのだ。その解釈にも一理あったが、結局、原告側の主張は認められなかった(参照:2015年『判例タイムズ』1412号)。
このように、どれだけ厳密を期した文章であっても曖昧さを抹消することはかなわない。その隙に差別や偏見が入り込むと、人の命まで奪われてしまいかねない。逆に、句読法のような「規則」が絶対的なものではないと認識すれば、広い心で建設的に言葉を交わせるようになる。セミコロンというささいな記号の歴史や用例をひも解くうちに、こうした大きなメッセージが浮かび上がるのだ。「ルール」を振りかざして他者の揚げ足を取り、冷笑する。必死に思いを表明しようとする人を黙らせる。そういったことが横行する社会になっていないだろうか。日本の読者も深く考えさせられる。
まじめで、ふまじめな原文
——と、ここまで読んで、なんだか文体的に硬軟が一定していない記事だなと感じられただろうか。実は『セミコロン』の原文もまさにこうした調子で書かれている。エンタメ部分はあくまでユーモラスに、真剣なメッセージを伝えるところは居住まいを正して。全体的には気軽な読み物でありながら、要所要所できっちり締める。そういう自由闊達さが魅力の文章なのだ。
その微妙な加減は「注」を見比べるだけでも明らかだ。例えば以下の箇所で原著者のセシリア・ワトソンは間違いなく笑いを取りにいっている。
I’m surprised he could bring himself to use a selection. Brown was a thorough guy, the type of person who dated his copy of Churchill’s English Grammar ‘AD 1824’, lest anyone mistakenly think he might have bought it in 1824 BC.
ブラウンが何ごとも徹底する性格の男だったことを考えると、既存の文法書の継ぎはぎでも良いやと思えたのは驚きだ。彼はチャーチル著『英文法』に購入時の記録として「AD 1824」と記している。紀元前1824年に買ったと勘違いされたくなかったんだろう。(邦訳p. 23)
一方、性的マイノリティーに対する偏見が裁判に影響を与えた可能性を補足的に述べる注もある(邦訳p. 71)。それを小ネタのような軽いトーンで書いているはずがないのは納得いただけることだろう。
遊び心をどう訳すか
さて、本書の軽妙な文体を形作っている工夫として目を引くのが、類音を活用した言葉遊びだ。例えばBLUBBER AND BLATHERという名のセクションがある。さほどひねらずに訳すと「ブヨブヨした鯨の脂肪とベラベラと続ける下らない話」くらいになる。実はこれ、大著『白鯨』(Moby-Dick)の特徴を象徴的に表したタイトルである。その主題を端的に伝えつつ、遊び心も両立させるにはどうすればいいだろうか。悩んだ揚げ句、「捕鯨やら話芸やら」と訳してみた。
本書は原著者の言葉だけでなく、数々の引用文にも工夫が満載だ。レイモンド・チャンドラーが厄介な校正を揶揄した詩からは、以下の一節が引かれている(書き方がなっていないせいで校正に殺害されるという、何とも攻めた設定)。太字の部分で押韻がある。どうにか生かして訳せないものか・・・。
His face was white with sudden fright,
And his syntax lily-livered.“O dear Miss Mutch, leave down your crutch!”
He cried in thoughtless terror.Short shrift she gave. Above his grave:
HERE LIES A PRINTER’S ERROR.
苦労の末、1行目は「突如として走る戦慄 顔面は蒼白に転じる」という訳をひねり出した(邦訳p. 97)。その他の部分をどう処理したか、気になる方はぜひ本書を手に取って確かめていただきたい。
文法、法律、校正、文学、倫理——。セミコロンというささやかな記号を切り口に、あれやこれやと言葉の奥深い世界を楽しませてくれる。そんな一冊である。