今回、樋口武志さんにご紹介いただくのは、警察のスキャンダルに着想を得たという作品『Nightcrawling』です。作家レイラ・モトリーが19 歳で発表し、2022年のブッカー賞候補にもなった作品です。
選択肢を持ち得ない存在
Nightcrawling, Leila Mottley (2022)
『Nightcrawling』は、アメリカの作家レイラ・モトリーのデビュー作だ。成人していない17 歳の頃から売春を行う黒人女性Kiara(キアラ)の物語である。
キアラの父は黒人解放運動に取り組むブラックパンサー党に参加して逮捕され、服役中に患った病気により他界している。母も自殺を図った後、父とは別の理由で逮捕された。ラップで名を成した叔父に憧れる兄は、仕事もせずに友人宅で自作のラップのレコーディングにいそしんでいる。高校を中退して職を探すキアラだが、なかなか見つからない。
追い打ちをかけるように、家賃も上がってしまう。同じアパートには、母親が薬物中毒で育児放棄状態となった9 歳の男の子がいて、キアラは彼の面倒も見ている。そんな状況で生活を支えるためにできることは、売春に限られていた。そうして彼女は夜にカリフォルニア州オークランドの街を徘徊(はいかい、night crawl)し、相手を探すのだ。
こうした境遇について、彼女は作中「I just kind of ended up in it and then there wasn’t no way out, you know?(結局そこに行き着いて、抜け出す道もなかった)」と語っている。キアラが売春に「行き着き」、そこから「抜け出せない」様子が迫力を持って描かれているが、物語をより印象深いものにしているのは、本書が実話から着想を得た物語だという点だ。こうした何重もの苦難は小説のための設定などではなく、現実に等しいものなのである。
また、物語の中でキアラは警官たちに誘われて警官相手の売春をするようになるが、これは2016年にカリフォルニア州オークランドの警察署で明るみに出たスキャンダルが題材となっている。本書がよく伝えているのは、こうした状況の「抜け出せなさ」だろう。キアラの前には貧困だけでなく、両親の不在、薬物、学歴、人種など、幾つもの壁が立ちはだかる。抜け出したい意志があったとしても、他に取り得る選択肢がないのだ。
この種の出口のなさはキアラに限ったことではない。作者が後書きで述べているように、キアラは想像上のキャラクターだが、彼女に訪れるタイプの暴力は、有色人種の女性たちが日常的に直面するものだ。作者によると2010年の調査では、警察の不祥事として2 番目に多いのが性暴力であり、有色人種の女性が被害に遭う割合が高いという。
そしてまた、海外に限った話でもない。例えば桐野夏生『路上のX』などは、日本にもネグレクト、暴力、性的搾取といった残酷な現実に直面する女子高生年代が存在することを教えてくれる。
『Nightcrawling』は、キアラのように選択肢を奪われた厳しい境遇がどのようなものかリアリティーをもって描いているのはもちろんだが、それのみならず、警官たちを訴えるためにキアラが証言台に立つまでの過程にはサスペンスのようなスリルがあり、読み応えのある作品となっている。
著者について、もう少し詳しく触れておこう。レイラ・モトリーは本書を弱冠19歳で発表したことでも話題を集めた。彼女はオークランドの出身だ。警察のスキャンダルが忘れられず、16歳の頃から本書の調査・執筆を開始したという。俳優オプラ・ウィンフリーのブック・クラブに推薦図書として指定された最年少著者となっただけでなく、世界的な文学賞である2022 年のブッカー賞にも13作の候補(longlist)の一つとして史上最年少でノミネートされた。既に次回作にも取り組んでいるようで、今後が注目される作家だ。
※ 本記事は『ENGLISH JOURNAL』2022年11月号に掲載した記事を再編集したものです。
今回紹介した本
トップ画像:Claudia Tramann from Pixabay
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