舞台芸術界の通訳翻訳の未来【通訳&翻訳 BEHIND THE SCENES13】

翻訳家で通訳者の平野暁人さんが、舞台芸術の仕事を中心に通訳翻訳の世界を語る連載『通訳&翻訳 BEHIND THE SCENES』。最終回は、舞台芸術の世界での英語の影響力や、変化しつつある演劇の通訳方法などについてお話しいただきます。

世界共通言語、英語の影響力

こんにちは。翻訳家で通訳者の平野暁人です。

早いものでこの連載もいよいよ最終回。『ENGLISH JOURNAL』2023年1月号の特集である「英語の未来」に合わせて、本記事でも舞台芸術の翻訳や通訳が今後どうなってゆくのか、少し考えてみたいと思います。

言語に関わる未来を語る上で昨今、避けて通れないテーマといえば、やはり機械翻訳でしょう。果たして機械は人間の仕事を奪うのか、翻訳者や通訳者が仕事を失う未来はやってくるのか・・・。外国語を生業とする者にとっては、嫌でも気になってしまうところです。

しかしながら、実を言うと私の身の回りでは、そうした「奪われる」「失う」といった未来はとうの昔にやってきています。ただし奪ったのは機械ではありません。他ならぬ「英語」です。

英語が「世界言語」としての覇権を不動のものとして以降、「グローバル・コミュニケーション」の名の下に商業からアカデミズムに至るまでさまざまな分野における国際交流、情報発信の大部分を英語が占めるようになりましたが、無論アートの世界も例外ではありません。むしろダンスや音楽といった、言語を介さずとも作品を提示し得る分野のアーティストには、世界市場を視野に入れて積極的に英語を磨き、企画段階から稽古、本番に至るまで全て英語で通す人たちがどんどん増えています。

また、演劇のように言語運用を中核に据えた表現形態であっても、インタビューやワークショップを全て英語でこなす演出家、戯曲を最初から英語で書き下ろす劇作家も出てきています。そうしてその傍らで、私のように英語以外の言語を専門とする人間が自らの職能を発揮できる機会は急速に失われつつあるわけです。ですから「代替/共通言語の極大化による労働機会の喪失」という観点から捉え直せば、「奪われ、失われる未来」は、私(たち)にとっては既知のものと言えます。

誤解を避けるために付言しておくと、私が英語の偏重に批判的なのは自分が経済的な損失を被るからではありません。言語というものはいわばそれ自体が一つのシステムであり、人間の発想や論理展開の礎を成す体系です。言語の数だけ固有の体系があり、それぞれに特性と限界を備えています。従って、英語がどれほど豊かな言語であったとしても、英語というシステムにのっとって生み出される限りその作品は英語の軛(くびき)を免れない。主語の立て方一つ、受動態と能動態の使い分け一つを取っても英語的な発想に支配されてしまう。これではいくら英語を介して国際交流が活発化しているように見えても、創作の可能性はひそかに痩せ衰えてゆく危険があります。そのことを私は以前から危惧しているのです。もちろんこれは英語という言語が悪いのではありません。何語であれ、特定の言語が覇権を取れば避け難く同様の問題をもたらすことでしょう。

変わりつつある演劇の通訳方法

他方、舞台芸術の世界では近年、未来に豊かな可能性を感じさせる潮流もみられます。創作における「言語」の位置付けを見直し、表現方法に直接反映させるような動きが活発化しているのです。

例えば外国語の演劇を上演する際、一昔前は字幕付き上演以外の方法は考えられませんでしたが、最近は同時通訳を付けて上演する演出家も増えています。私が出演した演劇『悲劇の誕生』(2019)という、フランスの演出家マキシム・キュルヴェルスのソロ作品では、観客に会議通訳用の機材を配り、通訳者もブースではなく舞台上に陣取って、いわば演劇の生中継を行いました。通訳者はあらかじめ原稿をもらっているとはいえ、なにせ演者も人間。どうしても間違えてしまうことはあります。途中を飛ばして先に進んだり、かと思えばいきなり戻ったりする演者の一挙手一投足に全神経を集中させながらその都度、うまく帳尻を合わせて訳していかねばならず、実にスリリングな時間でした。

また、友人の英語通訳者が参加したカナダのアート&リサーチ集団ママリアン・ダイビング・リフレックスの作品では、会場に設置されたスクリーンで字幕を出しつつ、通訳者もステージに上がり同時通訳するという充実の体制が敷かれました。特筆すべきはこのとき、通訳チームに手話通訳者も配置されたことです。それも形だけのバリアフリー対応ではなく、しっかりと稽古に参加し、訓練されたパフォーマーとして立派に演じていたのが印象的でした。舞台芸術専門の通訳者研修でも手話通訳者の参加が珍しくなくなりつつありますし、今後はさらなる活躍が期待されます。

さらに、言語の持つ音としての力を新たな形で活用する「音で観るダンス」というプロジェクトもあります。これは視覚に障害のある人たちがダンスを楽しめるよう、「視覚情報を音で置き換えることで、鑑賞する人の頭の中にさまざまなイメージを浮かび上がらせる手法(『音で観るダンス』プロジェクト公式サイト[https://otodemiru.net]より引用)」を採用した、極めて意欲的な取り組みです。

このように、翻訳や通訳、さらには言語の在り方を脱構築し、これまで疎外されてきた観客層にまで射程を広げてゆこうとする試みは確実に盛んになってきています。特定の場所で時間と空間を共有しなければならないという点で舞台芸術がバリアフルな性質を備えている事実は否めませんが、社会の至る所で多様性の可視化が進む昨今、コミュニケーションの回路も一層開かれてゆくことに期待しつつ、この連載を終わります。どうもありがとうございました。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2023年1月号に掲載した記事を再編集したものです。

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実際に起こった事件を題材にセネガル社会のタブーに切り込み、集団の正義のために暴力を行使する人間の根源的な愚かさと、社会から排斥されることへの潜在的な恐怖を克明に描いた衝撃作。

平野暁人(ひらの・あきひと)
平野暁人(ひらの・あきひと)

翻訳家(日仏伊)。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手掛ける他、舞台芸術専門の通訳者としても国内外の劇場に拠点を持ち活躍。主な訳書に『隣人ヒトラー』(岩波書店)、『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)など。Twitter: @aki_traducteur

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