演出家や劇作家たちと作り上げる戯曲の上演台本【通訳&翻訳 BEHIND THE SCENES11】

翻訳家で通訳者の平野暁人さんが、舞台芸術の仕事を中心に通訳翻訳の世界を語る連載『通訳&翻訳 BEHIND THE SCENES』。今回は、演劇の翻訳作業の進め方や実際の稽古場での作業の様子をお話しいただきます。

翻訳作業の進め方

こんにちは。翻訳家で通訳者の平野暁人です。

2022年11月、生誕400年を迎えたフランスの劇作家、モリエールの『守銭奴(しゅせんど)』という作品が静岡県舞台芸術センター(通称SPAC)で上演されました。その舞台で私は、翻訳、通訳、ドラマターグ※を担当しました。というわけで、今回は舞台芸術、特に演劇の翻訳についてお話しします。

ドラマターグ:作品を複眼的に読み解き、演出家と対話し、独自の提言を行う役割。

外国の作家が書いた戯曲を日本で上演する際は当然ながら翻訳が必要となります。書き下ろしの新作であればおのずと翻訳も訳し下ろしになりますが、古典作品の有名どころとなると大抵は既訳が存在するので、既訳を使うのか、それとも新訳を用意するのかを決めておかなければならず、これは演出家の判断に委ねられるのが一般的です。

有名作品の既訳は過去に何度も上演されて評価が定まっており、新たに翻訳に割く時間もかけずに済むことから好まれやすく、翻って、あえて新訳で臨みたいという人は翻訳を演出の一環として特に重視している演出家に限られるので、依頼を受ける側としては非常なやりがいを覚えます。

次に具体的な作業の進め方ですが、これは大きく分けて三つのパターンがあります。

1 翻訳家が戯曲を訳出→演出家が上演台本を作成
2 翻訳家が戯曲を訳出→演出家と翻訳家が協働で上演台本を作成
3 翻訳家が戯曲を訳出→演出家と翻訳家と劇作家が協働で上演台本を作成

詳細を述べる前に簡単に説明しておくと、「上演台本」とは「戯曲を実際の上演形態に即してアレンジした台本」のこと。翻訳であるか否かにかかわらず、戯曲という文字の世界をどんなふうに3次元へと起こすのかが演出家の腕の見せどころであり、時にはカットや翻案をはじめ原作に大胆なアレンジを加えることも珍しくありません。そうした演出的意匠を反映させる形で特定の上演に特化されたバージョン、すなわち「上演台本」の作成が、上記3パターンのいずれかに則って行われるわけです。

劇作家とセリフを編み上げる

まず最もスタンダードなようにも思える1ですが、実は私自身は経験がありません。演劇において台詞は生き物であり、日々の稽古と演出に応じていかようにも変わり得るので、戯曲を翻訳する以上は上演台本を完成させるところまで参加させてほしいという強い信念があるためです。また、俳優に動いたりしゃべったりしてもらって初めて気づける誤訳も必ずあります。その意味でも机上の作業のみでよしとするべきではないと考えています。

3については、例えば翻訳する人が演劇に不案内な場合に、訳したものに劇作家が手を入れて台詞らしく整えて仕上げます。私も初めて手掛けたフランスの劇作家・詩人、ポール・クローデルの『交換』という作品は3で行いました。熟練の劇作家との議論を通してフランス語と日本語を往還しつつセリフを編み上げてゆく過程は、それまで独りぼっちで訳文を練るのが当たり前だった私には温かく刺激的で、とても贅沢(ぜいたく)な時間でした。

稽古場で翻訳と上演台本を作成

最後に、私個人が圧倒的に多く経験してきたのは2です。理由は既に述べたとおり、机上の作業のみでは訳者の責任は果たせないと考えているから。加えて、基本的に戯曲翻訳と演出家の通訳を兼務することが多いためでもあります。昨年翻訳や通訳などを担当した『守銭奴』も、原作戯曲はフランス語、出演者とスタッフは日本人、演出家チームはフランス語圏出身という形を採っていたので、日々稽古の通訳をしながら並行して翻訳も推敲(すいこう)し続けました。

もとい、実は今回はいまだかつてないほど過酷で野心的な企画でした。なんと翻訳ならびに上演台本の作成と稽古とを同時に進めていたのです。午前中に翻訳したものを片っ端から印刷して午後の稽古場で試してみるという極めてハードコアな毎日を送っていました。一見場当たり的にも思えるこの作業、そのカオスゆえ実に空前絶後の面白さ。

演出プランに合わせて翻訳を調整

とかく創作というものはジャンルを問わず常に試行錯誤の連続ですが、演劇もまた例外ではなく、戯曲に書き込まれた「文字情報のみの人物」に血を通わせるまでの紆余曲折(うよきょくせつ)は筆舌に尽くし難いものがあります。しゃべる内容は同じでも、どこをどう見せるか、つまり演出によってがらりと印象が変わる。となれば翻訳も、新たな演出プランに合わせて語彙、声音、語尾、句読法といったものを適宜、微に入り細を穿(うが)って調整し続けなければいけません。

『守銭奴』の稽古が始まって3週間経った頃には、どのキャラクターも、稽古初期と比べると別人のようなしゃべり方をしていました。当時、演出家も俳優も日々新しい案を出してくるので上演台本の完成は遥(はる)か彼方(かなた)に霞(かす)んでいましたが、本番の11月にはきっと誰も見たことのない『守銭奴』が誕生していたはずです。

次回は「舞台本番日の業務内容」についてお話しできればと思います。どうぞお楽しみに。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2022年11月号に掲載した記事を再編集したものです。

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平野暁人さんの翻訳本

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実際に起こった事件を題材にセネガル社会のタブーに切り込み、集団の正義のために暴力を行使する人間の根源的な愚かさと、社会から排斥されることへの潜在的な恐怖を克明に描いた衝撃作。

平野暁人(ひらの・あきひと)
平野暁人(ひらの・あきひと)

翻訳家(日仏伊)。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手掛ける他、舞台芸術専門の通訳者としても国内外の劇場に拠点を持ち活躍。主な訳書に『隣人ヒトラー』(岩波書店)、『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)など。Twitter: @aki_traducteur

トップ写真:Debby Hudson from Unsplash

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