舞台芸術の通訳者になるには【通訳&翻訳 BEHIND THE SCENES⑥】

翻訳家で通訳者の平野暁人さんの連載『通訳&翻訳 BEHIND THE SCENES』では、舞台芸術の仕事を中心に通訳翻訳の世界を語ります。第6回は、舞台芸術の通訳者になるための入り口についてお話しいただきます。

外国語を学んだ舞台人

こんにちは。翻訳家で通訳者の平野暁人です。前回の 『通訳&翻訳 BEHIND THE SCENES』 まで5回にわたり舞台芸術通訳のさまざまな業務内容について概要をご紹介してきました。記事を読んで「自分もやってみたい!」「どうすればなれるの?」と思ってくれた人もいるかもしれません。でも、「舞台 通訳 求人」で検索しても情報はなかなか得られないはず。舞台芸術の世界では一体どんな人たちが通訳者として働いているのでしょうか。

まず多いのは「元/現役の舞台人」。俳優、ダンサー、スタッフなど、自らも舞台に関わる仕事をしていた/いる人が、海外公演や国際共同プロジェクトなどをきっかけに外国に興味を持ち、その国の言葉を勉強して留学したり、拠点を移したりしていく中で、だんだんと関係者から通訳を頼まれるようになるパターンです。少しずつ通訳中心の活動へと移行する人もいますし、現役のプレーヤーとしてバリバリ活躍し続ける人もいます。

舞台出身通訳者の強みは、当然ながら専門的な知識に明るいこと。舞台芸術に限らずどんな分野にもその世界特有の用語や慣習は付きもので、こればかりはどれほど高い語学力を誇る人でも、それこそネイティブであっても勉強しなければ訳しようがありません。逆に、演劇なら演劇、ダンスならダンスの世界をプレーヤーとして熟知している人であれば(たとえ飛び抜けた語学力を有していなくとも)、劇場にいる限り目から鼻へ抜ける通訳ぶりを発揮することができます。

舞台芸術に魅了され研究から通訳まで

次に、「元/現役の舞台芸術研究者」が通訳者として現場に入る場合もあります。研究者というと象牙の塔に隠棲(いんせい)して論文を書いているような印象があるかもしれませんが、舞台の醍醐味はなんといっても「生」で、演者と観客が空間を分かち合い、共に作り上げるところにあります。その魔力に魅入られて研究まで志すほどですから、大抵の研究者は出来上がった作品のみならず創作過程にも並々ならぬ関心を持っているもの。調査やシンポジウム、パーティーなどの場で関係者と知り合い、「通訳をお願いできませんか」と言われれば、一度はやってみようという気持ちになるようです。

また、例えばフランス演劇ならフランスの、ロシア演劇ならロシアの研究機関へ留学した経験のある人も多く、語学力はもちろん舞台芸術史、作家論、演技論、舞台美術論など、学識と批評性に裏打ちされた視点から、通訳業務にとどまらずドラマターグ(作品を複眼的に読み解き、演出家と対話し、独自の提言を行う役割)のような存在として創作に深く関わる人も珍しくありません。

ただし研究者の本分はあくまでも研究ですから、時間的な制約があります。数日ならともかく、1カ月にも及ぶような稽古期間に丸ごと通訳者として参加するのは不可能です。にもかかわらず中には現場の方が面白くなって研究を放り出してしまう人もいて、そういう人が「元」になるわけですね。

縁あって舞台通訳の道に

そして最後のカテゴリーが「なんとなく流れ着いた人」。創作や研究といった形で舞台芸術に関わってきたわけではないのだけれど、縁あって舞台の通訳をすることになって、気が付いたら続けている人たちのことです。何を隠そう私もその一人で、大学院でフランスの植民地史を研究していたはずが、指導教官を通じて通訳アルバイトの打診があり、気分転換に引き受けてみたところ口コミでどんどんオファーが来るようになってしまい、そのまま現在に至ったというわけです。1回こっきりのつもりで引き受けたんだけどな。

「流れ着いた派」は専門用語や業界の慣習をはじめあらゆることを実地でゼロから学ぶしかありません。文字どおり身の置き場(舞台設営中の劇場は工事現場のようなものなので、危険な場所や作業の邪魔になる場所を避けて待機するのが基本です)も分からぬまま現場に入り、働きながら一つ一つ覚えてゆきます。

一方、そうやってあまたの修羅場を、非専門家としての客観的な視点で観察しながら乗り越えてきた人たちに特有の度胸も備わります。想定外の事態にいちいち動じず、みんなの意見を聞いて利害を調整しながら柔軟に動ける人も多いです。なんて、ちょっと自分のことを良く言い過ぎでしょうか。

少ないながら入り口はある

さて、ここまでお読みくださってお分かりのとおり、舞台芸術の通訳者はカテゴリーを問わず口コミや人づての紹介で仕事を始めたという人がほとんどです。これには、舞台業界に通訳エージェントへ発注するだけの予算的な余裕がないという事情も関係しています。新規参入を目指すのはなかなか難しい世界かもしれません。

ただ、演劇祭のボランティアに参加して人間関係を広げる、 ATC(Art Translators Collective) のような団体が実施する次代のアート通訳者育成ワークショップを受けるなど、コネクションを持たない人にも入り口がないわけではありません。舞台の仕事で語学力を生かしてみたいという情熱をお持ちの方はぜひ可能性を探ってみてください。

次回は「舞台芸術の通訳者に向いている人/いない人」をテーマにお話しする予定です。どうぞお楽しみに。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2022年6月号に掲載した記事を再編集したものです。

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平野暁人(ひらの・あきひと)
平野暁人(ひらの・あきひと)

翻訳家(日仏伊)。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手掛ける他、舞台芸術専門の通訳者としても国内外の劇場に拠点を持ち活躍。主な訳書に『隣人ヒトラー』(岩波書店)、『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)など。Twitter: @aki_traducteur

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