医療現場やゲイ・コミュニティーの混沌を描く、イギリス名作ドラマ【映画&ドラマで解剖!】

このコラムではイギリス在住ライターの名取由恵さんが、イギリスを舞台にした比較的新しい映画&ドラマを取り上げて、リアルタイムのイギリス社会や文化を考察していきます。今回は「イギリス社会を描いた名作ドラマ」をテーマに、「産婦人科医アダムの赤裸々日記」と「IT'S A SIN 哀しみの天使たち」を紹介します。

今の時代だからこそ見たい、過酷な現場を描く医療ドラマ

英BBC×米ケーブルチャンネルAMC製作の「産婦人科医アダムの赤裸々日記」は、病院の産婦人科で働くアダム・ケイ医師の仕事ぶりや私生活を描いた全7話の医療ドラマです。イギリス人人気俳優のベン・ウィショー(『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』Q役、『パディントン』パディントンの声)が、ゲイの産婦人科医役で主演したことも話題を集めました。

原作の『すこし痛みますよ~ジュニアドクターの赤裸々すぎる日記』は、イギリスのコメディアン・作家であるアダム・ケイが、2004年から2010年にかけて産婦人科医のジュニアドクターとして働いた経験をつづったベストセラーです。

ドラマは、恋人ハリー、後輩シュルティ、上司のロックハート医師、厳格な母親など、それぞれの関係を通してアダムが成長していく姿を描いていきますが、なんといっても壮絶なのがアダムの仕事ぶり。14時間勤務は当たり前、食事や休憩もろくに取れず、休日も同僚の病欠カバーで呼び出されるなど、あまりにも過酷な労働状況です。

アダムは、レジストラー(ジュニアドクターで、専門医の数歩手前のポジション)として働いていますが、多忙な業務に毎日疲労を募らせています。ののしり言葉(swear words)を乱発したり、いかにもイギリス人的な辛辣(しんらつ)なブラックジョークで患者を怒らせたり、自己判断で暴走して職場の人々に煙たがられたりと、好人物とは言い難いのですが、高齢女性患者と心を通わせたり、25週で早産となった新生児の成長を見守ったりするなど、本当は優しくて繊細な性格であることも分かります。

イギリスのコメディードラマ「フリーバッグ」など、キャラクターが第四の壁を超えてメタ発言するドラマが多くなっていますが、今作のアダムも視聴者に向けて本音や愚痴を独白します。原作が日記形式なだけに、この演出が実に効果的です。

アダムが勤務するのは、NHS病院の産婦人科病棟。NHS (National Health Service)とは、イギリス国営の国民保健サービスのこと。イギリスでは手術や入院、出産などの医療は基本的に無料です。「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家を目指して、全ての人々が公平に医療サービスを受けられるように1948年から始まった医療制度ですが、NHSは常に赤字と人手不足という問題に直面しています

イギリスでは、まずは登録している一般医(GP:general practitioner)の診察を受け、治療が必要な場合はGPから専門医や病院を紹介してもらう仕組みですが、GPの予約がなかなか取れなかったり、専門医の手術が半年待ちだったり、病院の緊急外来サービス(A&E:accident and emergency)でも命に別状のない場合は数時間待たされるというケースもあって、医療費無料といえでも利用者にとっては悩ましいところです。

予算削減の中で、医療スタッフたちは休日も満足に取れない超多忙な日々を送り、患者や家族からの苦情にもさらされるという厳しい現実。医療ミスで訴えられたアダムが法廷の場で語った言葉が印象的です。

Doctors, nurses, midwives, pharmacists, physios, a million and a half of them . . . they don’t do this for the money, for the kudos, for anything. They do because they care.

「150万人の医師、看護師、助産師、薬剤師、理学療法士たちは、お金とか賞賛や何かのためにやっているのではありません、大切だと思うからやっているんです」

愛する人の死に涙したり、かわいい新生児の誕生にほっこりしたり、アダムと一緒にいろいろな感情を体験しながら、医療関係者たちに感謝したくなるドラマです。なお、出産や手術のシーンが結構リアルなので、血が苦手な方はご注意ください!

【UK小話】作中で使われているイギリス雑貨にも注目

アダムの親友、グレッグとエマのカップルが自宅で使用しているマグは、イギリスの陶器・雑貨ブランド「エマ・ブリッジウォーター」の物。カラフルでかわいいデザイン、温かみのある英国カントリーテイストのテーブルウェアが、ミドルクラス層を中心に人気を集めています。

イギリスで社会現象を巻き起こした青春ドラマ

「IT'S A SIN 哀しみの天使たち」は、80年代のロンドンを舞台に、HIV/エイズに見舞われたゲイ・コミュニティーを10年にわたって描いた全5話の青春ドラマです。2021年1月にイギリスで放送された際には、社会現象と呼ばれるほどの話題を集めました。

製作総指揮・脚本を手がけたのは、ゲイが主人公のドラマ「クィア・アズ・フォーク」やヒュー・グラント主演のドラマ「英国スキャンダル?セックスと陰謀のソープ事件」などで高い評価を受けたラッセル・T・デイヴィス。彼自身の実体験を基にしています

ドラマの舞台は1980年代のロンドン。イギリス南部ワイト島からロンドンの大学に進学したリッチーは、演劇学部に通うジルやアッシュと出会って、俳優を目指すようになります。仲良くなったロスコーとコリンを加えて、ピンク・パレスと名付けられたフラット(アパート)で共同生活をスタート。パブやナイトクラブでの夜遊び、毎晩のようなパーティー、行きずりのセックスなど、仲間たちと大騒ぎをしながら、未来への野望と期待がいっぱいの日々を過ごします。しかし、やがてニューヨーク発祥の謎の病気の噂が流れ、仲間たちも一人また一人と倒れていきます・・・

今作は、2021年にイギリスの公共放送「チャンネル4」局で放送されると、たちまち反響を呼び、同局のストリーミングサービスで、「最もビンジ(一気見)されたドラマシリーズ」になり、ナショナル・テレビジョン・アワードなど数々の賞を受賞しました。また、HIV/エイズ関連の慈善団体「テレンス・ヒギンズ財団」によると、本作の放送後にHIV検査の1日の申込みが普段の3倍にあたる8200件を記録、相談件数も30%増加したそうです。エルトン・ジョンやイアン・マッケランなどゲイを公表しているセレブも絶賛しており、本作がHIV/エイズやLBGT+の啓蒙(けいもう)に大きく関わったことは間違いないでしょう。

今でこそ、LBGT+をはじめ、ダイバーシティーやインクルージョンを率先しているイギリスですが、21歳以上の男性同士の同性愛行為がイングランドとウェールズで合法になったのは1967年のこと。1980年代のサッチャー政権下では、自治体や学校が同性愛を促進する行為を禁じるという悪名高い法律「セクション28」が存在していました。

リッチーは両親にゲイであることをカミングアウトできず、ナイジェリア系イギリス人のロスコーは父親と対立して家を飛び出し、ウェールズから上京してサヴィル・ロウの紳士服店で働くコリンは上司からセクハラを受けるなど、さまざまな問題を抱えています。エイズを発病した者は仲間たちから引き離され、何も理解できない親たちに引き取られて、孤独に死んでいきますが、親たちも苦悩していることが分かります。息子のエイズ死をなかったことにして忘れようとしたり、事実を受け入れられなかったり、その反応はさまざまです。

ドラマで流れる80年代の音楽にも注目です。タイトルにもなっている「It’s A Sin(邦題:哀しみの天使)」はペット・ショップ・ボーイズの名曲。他にもブロンスキー・ビート、ソフト・セル、イレイジャー、ユーリズミックス、ベリンダ・カーライルなど、ゲイ・コミュニティーでも人気を集めたヒット曲が物語を盛り上げます

LBGT+に対する偏見生と死という重いテーマを扱うだけに、毎回号泣を誘うシーンが多いのですが、絶望的な悲しみの中でも不思議とポジティブな気持ちになるのが、このドラマの特色でもあります。その理由の一つは、愛すべきキャラクターたちでしょう。明るく天真爛漫なリッチー、グラマラスなラスコー、心優しいアッシュ、純朴で真面目なコリン、そしてリッチーの親友で天使のような慈愛に満ちたジルなど、それぞれに個性的な彼ら。仲間たちの温かい絆やお互いを支え合っていく姿に心が洗われます。

病に倒れたリッチーは呟きます。

I had so much fun. I had all those boys. I can remember every single one of them. Some boy’s hair, or his lips. The way he laughed at a joke. His bedroom, the stairs. His photographs. His face when he comes. Seeing him across a club six years later and thinking “oh that’s him.” And he is with someone and he looks happy. And I think “Ah, that’s nice.“ Cos they were great.

本当に楽しかったよ。たくさんの子と付き合った。一人一人を覚えている。髪や唇。笑い方。部屋、階段、写真。イクときの顔。6年後にクラブで再会して、「あ、彼だ」と思う。誰かと一緒にいて幸せそうなのを見て、「ああ、良かった」って思うんだ。だってみんな素晴らしかったから。

自分に正直に生き、人生を楽しみ、精一杯生きたゲイ・コミュニティーの仲間たちを描いた「IT'S A SIN 哀しみの天使たち」。イギリスのドラマ史に残る名作と言っていいでしょう

【UK小話】主人公が作中で出演した番組は・・・

夢が叶ってプロの俳優になったリッチーが役者として出演しているのは、BBC局の長寿SFドラマ・シリーズ「ドクター・フー」。本作のクリエイター、ラッセル・T・デイヴィスが脚本を手がけたことでも知られています。

どちらも感情を共有して泣いて笑えるドラマ 

今回は、「イギリス社会を描いた名作ドラマ」をテーマにした作品を取り上げました。「産婦人科医アダムの赤裸々日記」「IT'S A SIN 哀しみの天使たち」共々、キャラクターとさまざまな感情を共に味わう泣き笑いドラマです。ぜひチェックしてみてください。

さて、6回にわたって続いたコラムもこれで最終回です。イギリス社会と文化の理解のお役に少しでも立てたのであればうれしいです。ご愛読いただき、ありがとうございました!

名取 由恵
名取 由恵

イギリス在住ライター・翻訳者・イギリスドラマ愛好家。ライフワークはイギリスのエンタメや文化、イギリス人の研究。東京都出身。週刊情報誌『ぴあ』編集アシスタントを経て、1993年に渡英。日本の各メディア及び在英日本人向けの情報誌に、イギリスのエンタテインメント、ライフスタイルなどの記事を寄稿している。得意分野は、UKロック、海外ドラマ、映画、トレンド、自然療法。共著書に『CDジャーナル ムック BEAT UK 2000』(音楽出版社)。 Twitter:@yn358
Website: https://www.yoshienatori.com/

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