「多文化都市」と呼ばれるイギリスの首都ロンドン。この街で20年以上暮らすライターの宮田華子さんが、日々の雑感や発見をリアルに語ります。
イギリスには存在しない「〇〇の秋」
イギリスは日本同様に春夏秋冬がはっきりある国だ。近所の公園で色づいた木々を眺め、落ち葉を踏みしめる香ばしい音を聞くたびに、「日本にいるみたい」という錯覚に陥る。森で松ぼっくりを拾う人々の姿にほっこりし、店頭に栗が並びだす頃には毎年郷愁に駆られる私だが、実は日本とイギリスの秋に違う点も多々ある。例えば、イギリスには「〇〇の秋」という言葉が一切ない。
「実りの秋」「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」「芸術の秋」、どれもイギリスでは全く聞かない言葉だ。「秋だから〇〇」という概念そのものがないのである。なぜだろう?と考えてみたが、イギリスの秋は極端に短いこと、そして強烈なインパクトがある二つの季節に挟まれていることが理由かもしれない。
夏が終わってしまったことへのノスタルジアを感じつつ、長く厳しい冬への心構えをするのが、イギリスの秋の心模様。過ごしやすい時期であることは日本と同じだが、「じっくり構えて何かする」にはイギリスの秋はあまりに短過ぎるのだ。
大英博物館もナショナル・ギャラリーもテート・ギャラリーも入場無料!
――と秋の講釈が長くなったが、毎年この時期になると日本の仕事関係の人たちから「イギリスの『芸術の秋』ってどんな感じ?」的な質問が寄せられる。各メディアが「芸術の秋」特集を組むからだ。聞かれるたびにイギリスには「〇〇の秋」という概念がないことを説明し、そして「一年中、芸術の国なんです」と答えることにしている。
イギリス、特にロンドンは「一年中、芸術祭が開催されている街」だと感じる。年間を通じてアート関係のイベントに事欠かない。そして世界に名だたるミュージアムがたくさんあり、そのほとんどが入場無料である。
企画展のチケットはそこそこ高値だが、常設展示は大英博物館もナショナル・ギャラリーもテート・ギャラリーも無料。ダ・ヴィンチの「岩窟(がんくつ)の聖母」もミレーの「オフィーリア」も、何度見ても何時間眺めても無料だ。ミュージアムは誰もがふらりと立ち寄れる気楽な場所であり、アポとアポの間の「暇つぶし」にミュージアムで30分だけ展示を見る……なんてことも可能。全くぜいたくなことである。
ナショナル・ポートレート・ギャラリーはロンドンのど真ん中にあるので、ふらりと立ち寄れる
イギリス現代美術の殿堂、テート・モダン。パブリックスペースがとにかく広く、人々の「憩いの場」となっている。
身近な「アート」を見て育つ子供たち
ロンドンで育つ子供たちはミュージアムを身近に感じて大きくなる。学校から頻繁に「遠足」として連れて行かれるだけでなく、長い休みやハーフターム(学期の中間休み)にも訪れているからだ。親にとっては、暇を持て余した子供たちを連れて行ける「広くて無料でアトラクション満載」のありがたい場所。学校の休み期間は子供向けのプログラムも充実し、未来のアーティストの芽を育てる場にもなっている。
こんな環境で暮らしていると、アートへのアクセスが簡単過ぎて「アートは無料で見られるもの」と思ってしまいがちだ。私も来英当初「ミュージアム=入場無料」を知ったときはそこそこ驚いたはずなのに、長年暮らしているうちにすっかり当たり前として脳内で定着してしまった。
コロナ禍以降はイギリスから出ていないが、2019年にドイツ、ベルリンへ旅行した。ベルリンはヨーロッパ屈指のアートの街。ミュージアムに「行きまくろう」くらいの気持ちで現地に赴いたのだが、行ってびっくり。どのミュージアムも入場「有料」だったのである。
「ん?ヨーロッパのミュージアムって入場無料がスタンダードだよね?」と眉をひそめた上に、「常設展でも無料じゃないの?」と受付に食い下がった愚かさよ(笑)。しばらく「アートを見る海外旅」をしておらず、ロンドンで甘やかされまくっていたのでこんな誤解をしていたのだ。その後、恥を忍んでこの話をロンドンの友人にしたところ、「それってよく聞く話。旅行先でミュージアムに行くと、毎回『そっか、入場無料じゃないんだよね』って思って笑っちゃう」と慰められ、ロンドン人ならではの「あるある話」だと知った。
ヴィクトリア&アルバート博物館のカフェは豪華な内装で知られている
新型コロナが与えたアートへの影響
そんな年中無休で芸術祭状態のロンドンだが、季節感があるものも存在する。ロンドンはデザイン産業が盛んな街でもあり、デザイン関係のフェアやイベントがめじろ押しとなる「ロンドン・デザイン・フェスティバル」は、毎年9月に開催される。昨年はコロナ禍でバーチャル開催だったが、今年は実開催される予定だ(8月現在)。
他にもアートコレクター用の展覧会「コレクト」は毎年2月~3月、手仕事にフォーカスした「ロンドン・クラフトウィーク」は毎年5月開催が定番だが、今年の「コレクト」はバーチャル開催、「クラフトウィーク」は10月に移動して実開催の予定だ。新型コロナウイルスは芸術の季節感にも影響を与えている。
アートコレクター用展覧会「コレクト」。見ているそばからお金持ちがどんどん作品を購入していく
コロナ禍で長らくミュージアムは閉館し、「アートが遠い」時期が続いた。しかし7月のイングランドの行動規制緩和に伴い、現在はミュージアムも再開している。いつも身近にあったものはなくしたときにその大切さに気付くけれど、コロナ禍は「アートの存在」の意味を私に教えてくれた経験だった。この原稿を書いている8月現在、秋の状況は分からないが、今年は「芸術(が戻った)秋」をしみじみかみ締めたい。そう期待しながら、街が開けていく風景を見つめている。
写真:宮田華子
※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2021年11月号に掲載した記事を再編集したものです。