アメリカで1940年の出版時から読み継がれている、南部ジョージアの田舎町を舞台とする小説『The Heart is a Lonely Hunter』。その作者カーソン・マッカラーズのことを書いた、2020年のノンフィクション作品『My Autobiography of Carson McCullers』を紹介します。
レズビアンとしてのカーソン・マッカラーズの人生
My Autobiography of Carson McCullers, Jenn Shapland (2020)
村上春樹の新訳が出て、カーソン・マッカラーズの『心は孤独な狩人』が日本で再び読まれているが、アメリカでは1940年の出版から途切れることなく読み継がれてきた。物語の舞台のモデルが、著者の出身地である南部ジョージアの田舎町ということもあって、僕の住む南部アラバマの人たちもやはり関心を持っているようだ。『The Heart is a Lonely Hunter』というこの印象的なタイトルを、本好きたちの会話の中で時々耳にする。
日本で新訳が出た2020年、アメリカではジェン・シャプランドという新人作家がマッカラーズのことを書いた『My Autobiography of Carson McCullers』が話題となり、全米図書賞ノンフィクション部門の最終候補にもなった。資料館で働いていた著者はあるとき、マッカラーズが女性と交わした手紙を目にして直感する。カーソン・マッカラーズはレズビアンだったのでは?
本人もレズビアンだという著者は、数多く出版されている伝記に違和感を覚える。
But Carson’s [life] is not an unwritten story. Rather, it is a story that has been written over, revised, and adjusted to suit various people’s needs. The more I read and researched, the more I began to question the versions of her life that exist and continue to circulate.
でも、カーソンの人生は書かれざる物語じゃない。そうじゃなくて、いろんな人のニーズに合わせて書き換えられ、書き直され、整えられてきた物語だ。読めば読むほど、調べれば調べるほど、今、世に出回っているバージョンの彼女の人生に疑問を抱くようになった。
シャプランドは、マッカラーズが女性たちと交わした手紙、女性精神科医との会話の記録、そして著作の中の言葉――数々の文献を読み進め、探偵小説のように核心に迫っていく。招聘(しょうへい)作家としてジョージアにあるマッカラーズの生家に暮らし、そこに残された洋服やバスタブに触れながら、保守的な田舎町で自らを“invert”(性倒錯者)と捉えて育った作家の人生に思いをはせる。マッカラーズの伝記を書くというよりも彼女と自分を重ね合わせ、時代の限界のために本人が言葉にできなかった“lesbian”としての「自伝」を代わりに書いている。『My Autobiography of Carson McCullers』(カーソン・マッカラーズの私の自伝)という矛盾したタイトルは、そのことを表したものだ。
僕は案の定、『The Heart is a Lonely Hunter』を読み直したくなり、近所の図書館の脇にある全品3ドル以下のすてきな古本屋に行って尋ねた。店員さんが「ありますとも、ありますとも」とか言いながら、表紙にタイトルが大きく刷られたペーパーバック(2ドル)と、カバーの表にマッカラーズの顔写真が大きく載ったハードカバー(3 ドル)を出してきてくれた。ハードカバーの方を買った。マッカラーズはこの小説で、南部の田舎町に順応しない“misfits”(はみ出し者たち)にどこまでも温かいまなざしを向けている。その源泉には彼女自身の孤独があったのだろうか。
※ 本記事は『ENGLISH JOURNAL』2021年12月号に掲載した記事を再編集したものです。