翻訳家の柴田元幸さんが、毎回一人、英米現代・古典の重要作家を選び、その小説の翻訳術を紹介します。まずは作家の特徴がよくわかる文章と、柴田翻訳の妙技をご堪能ください。
紹介する作家:カズオ・イシグロ
1954 年長崎市生まれ。’60 年に渡英。’89 年に『日の名残り』でブッカー賞を受賞。ほかに『遠い山なみの光』(1982)、『浮世の画家』(’ 86)、『わたしを離さないで』(2005)などがある。最新作は『忘れられた巨人』(’15)。
『An Artist of the Floating World』(1986)
‘It is of the first importance to us’, she went on , ‘that the house our father built should pass to one he would have approved of and deemed worthy of it. Of course , circumstances oblige us to consider the financial aspect , but this is strictly secondary. We have therefore set a price.’
(An Artist of the Floating World, 1986)
『The Buried Giant』(2015)
‘ Well it’s not just your dream woman thinks it strange we should have our candle taken from us. Yesterday or was it the day before, I was at the river and walking past the women and I’m sure I heard them saying, when they supposed I’d gone out of hearing, how it was a disgrace an upright couple like us having to sit in the dark each night. So your dream woman’s not alone in thinking what she does.’
‘She’s no dream woman I keep telling you, princess. Everyone here knew her a month ago and had a good word for her. What can it be makes everyone, yourself included, forget she ever lived?’
(The Buried Giant, 2015)
「何べんも言うけど夢の女なんかじゃないんだよ、お姫さま。ここに住むだれもが一か月まえはあの人のことを知っていて、みんなあの人のことを良く言っていた。なんでみんな、おまえもそうだが、あの人が生きていたことをわすれてしまうんだ?」
ぎこちなさの魅力/カズオ・イシグロ
1980 年代前半にカズオ・イシグロが登場した当時は、まだインターネットもなく、日系の著者名だという以外何の情報もないまま作品を読んで、この人はきっと日本で受験英語をきちんと勉強して、それからイギリスに渡った人にちがいない、と勝手に思った記憶がある。
それくらい、第1作A Pale View of Hills(1982;邦題『遠い山なみの光』)も第2作An Artist of theFloating World(1986;『浮世の画家』)も、教養ある外国人が書きそうな、どこかわずかに堅苦しさを感じさせる端正な文章で書かれていたのである。
その後、実は彼が5 歳で渡英し、母語ではないにせよもっとずっと早くから英語を身につけたことを知って、こちらの憶測が的外れであることが判明した。とはいえ、2015 年に作者が来日した際、日本を舞台にした初期作品について、日本語で書かれた小説の英訳であるかのように読めるよう意図した、と発言するのを聞いた。
だからといって、当方の憶測が当たっていたことには全然ならないが、「ほんの少し堅苦しい端正さ」を感じとったこと自体は、そう間違っていなかったのかなとも思った次第である。
ならば翻訳者は、「日本語で書かれた小説の英訳のように読める英語の小説の邦訳のように読める」訳文をめざすべきか。それは無理な相談。そんな訳文がどういうものか、誰もイメージを持っていないのだから。訳者にできるのは、とにかくその「ほんの少し堅苦しい端正さ」を忠実に再現するよう努めることだろう。
左で訳した『浮世の画家』の一節の堅苦しさは、まずは登場人物(没落した家の気位の高い女性)の性格から生じている。だがこの堅苦しさは、さらに、主人公が世界と関係を取り結ぶ上で何かつねに障壁のようなものがあって、彼が他者とじかに触れられていない感覚にもつながっている。訳す上で、そのことはつねに意識しておくべきだろう。
作者はその後、描く世界のパレットを大きく広げ、イギリスを代表する作家として活躍していることは周知のとおりだが、文章の魅力ということで言えば、華麗に流れる美文で酔わせるよりもはるかに、どこか意図的にぎこちなかったり、何かがいびつだったり、欠けていたりするところに魅力があるという点では全作品共通していると思う。
目下の最新作The Buried Giant では、まだ竜や魔法使いが現実の一部だった遠い昔のイギリスが思い描かれている。それに相応しく、作品は徹底的にシンプルな語彙で書かれている。そして語り手の男性は、何か大事なものが世界から失われてしまったという感覚に苛まれている。 文章上の特徴のひとつとして、この作品では時おり、引用下線部のように、「正しい」英語なら必要なthatが省かれている(一つ目はwoman のあと、二つ目はbe のあとにthat が入る)。
これはべつに珍しいことではない。労働者階級の会話をリアルに再現する際にはほとんど常套(じょうとう)手段ですらある。だが、ほかの面ではシンプルながら折り目正しい文章の中でこうした欠落が生じると、やはり印象に残る。それが作品全体を覆う欠落感にも、どこかでつながっている。
理屈で言えば、訳文でも何か必要な語を抜いて違和感・欠落感を伝えるべきだということになる。だがこれも無理。一般論として、原文の「間違い」は意図的なものとして許容されるが、翻訳のそれは単なる間違いにしか見てもらえない。左ではやや極端にやってみたが、漢字を減らすなど、別の方法で「何かが足りない」感覚を伝える工夫が必要である。
柴田元幸さんの本
1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。
出典:Kazuo Ishiguro, An Artist of the Floating World( Faber & Faber)―, The Buried Giant(Faber & Faber)参考:カズオ・イシグロ『浮世の画家』飛田茂雄訳(ハヤカワepi 文庫)―『忘れられた巨人』土屋政雄訳(早川書房)