翻訳家の柴田元幸さんが、毎回一人、英米現代・古典の重要作家を選び、その小説の翻訳術を紹介します。まずは作家の特徴がよくわかる文章と、柴田翻訳の妙技をご堪能ください。
紹介する作家:マーク・トウェイン
1835 年アメリカ、ミズーリ州に生まれる。『王子と乞食』『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』などの数多くの作品を発表し、19 世紀アメリカを代表する文学者となる。辛口のエッセイなどでも知られた。1910 年没。
『Roughing It, Ch. 46』(1872)
(Roughing It, Ch. 46, 1872)
(『西部道中七難八苦』46 章)
『Adventures of Huckleberry Finn, Ch. 32』(1872)
*1 them kind: those kind(s)
*2 a body: a person; someone
(Adventures of Huckleberry Finn, Ch. 32, 1885)
これで風がそよいできて、葉っぱをゆすったりしようものなら、たまらなくものがなしい気もちになってしまう。亡れいが―もうずうっとむかしに死んだ亡れいが―ささやいてるみたいな気がして、これっておれのこと 話してるんじゃないか、っていつもおもってしまう。それでたいてい、ああもう死んじまいたい、さっさとおわってほしいっていう気になってくるんだ。
(『ハックルベリー・フィンの冒険』32 章)
トウェインの英語の魅力のポイントは3 つある。ユーモア、叙情、口語の詩情である。スペースに限りがあるので、ここで挙げるのはそれらの最良の例というより、もっともコンパクトな例であることをお断りしておく。
最初に挙げたのは、トウェインの中では比較的単純な部類に属すユーモア。ヨーロッパへ行って、文化的なものを何も見てこなかった成金がまずは笑われている。とはいえ、トウェインの文章を少しでも読んでいれば、彼が文化的なものをありがたがる立場から語っているのではないことは明らかである。
実際、出世作The Innocents Abroad(1869)は、ヨーロッパ文明の価値を信じて疑わない精神をとことん笑いのめしている。この一節を読んで、ヨーロッパへ行って絵画も彫刻も鑑賞してこないなんて、と成金を笑うとすれば、そういう人もトウェインにこっそり笑われている。
叙情や口語の詩情を求めるには、やはり代表作『ハックルベリー・フィンの冒険』に目を向けねばならない(姉妹作『トム・ソーヤーの冒険』は出来合いの文章語をからかい半分に操って書いているので、その目的には不向き)。
『ハック・フィン』の叙情的なシーンと言えばミシシッピ川ののびやかな描写がまず挙げられるが、これは長く引用しないとよさが伝わらない。左に挙げた一節は短いながら、ハックの精神を浸しているメランコリーをよく伝えている。
口語の詩情ということでは、ハック自身の語りもむろん魅力的だが、最大の詩情は、標準英語から遠く離れた、逃亡奴隷ジムの言葉の中に見出される―
“Gone away? Why what in the nation do you mean ? I hain’t been gone anywheres. Where would I go to ?”
“ Well , looky-here, boss, dey’s sumf’n wrong*, dey is. Is I me, or who is I? Is I heah, or whah is I? Now dat’s what I wants to know.”
*dey’s sumf’n wrong: there is something wrong
(Adventures of Huckleberry Finn, Ch. 15, 1885)
(『ハックルベリー・フィンの冒険』15 章)
柴田元幸さんの本
1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。
出典: Mark Twain, Roughing It (Signet, etc.) ――, Adventures of Huckleberry Finn (Penguin, etc.) ※まずは安価なペーパーバックで読めばいいと思うが、トウェイン独特の微妙な句読点などに関しもっとも信頼できるのはUniversity of California Press から出ている全集版“ Mark Twain Library”。