翻訳家の柴田元幸さんが、毎回一人、英米現代・古典の重要作家を選び、その小説の翻訳術を紹介します。まずは作家の特徴がよくわかる文章と、柴田翻訳の妙技をご堪能ください。
紹介する作家:ハーマン・メルヴィル
1819 年アメリカ、ニューヨーク生まれ。1840 年に捕鯨船の乗組員となるも途中で脱走し、南太平洋の島々を4 年間放浪した。このときの体験を基に数々の小説を残す。代表作は『白鯨』『ビリー・バッド』。1891 年没。
『The Try-Works』
イメージが次のイメージにつながり、連想が連想を呼び、言葉が次々情熱的にほとばしり出るメルヴィルの文章には、コンマとピリオドだけでは十分でない。『白鯨』ではしばしば、ひとつのセンテンスのなかでいくつもの節( clause =主語+述語)が並列される。左の引用で、 as で始まる節が並んでいるのはその典型である。で、それらの節が並列であることは、 As ...; as ...; as ...; as ...; then ...とセミコロンで区切ることによって明快に示されているのである。
これが日本語では再現できない!このページでは横書きであることを悪用して訳でもセミコロンを使うことも考えたが、やはり縦書きでは使えない手に頼っても意味はない。それで、ややあからさますぎるかとも思ったが「そして」の反復で並列関係を目立たせてみた。( ちなみに 、明治の人がセミコロン に関して 何の策も講じなかったわけではない。たとえば二葉亭四迷は、ツルゲーネフを訳すにあたって、普通のテンとあわせて「白抜きテン」を採用してセミコロンのように使っている。 ただし これは見た目に普通のテンと区別しにくく、言われないと気づかない人も多い。結局これは定着しなかった。)
メルヴィルの文章は、もちろん気楽に「サクサク」読める内容ではないが、たとえばこの箇所を例にとっても、 as からセミコロンまでを一気に読める英語的肺活量さえあれば、長いセンテンスでもいちおう全体の構造が見通せて、話の方向性はそれなりにとらえられるのではないか。ほかでも As ..._ so ~といった文型や、 while や whereas といった接続詞に目をつければ、一気に見通しがよくなることもある(ということが、僕も最近ようやくわかってきたにすぎないが……)。
次の一節などは、 while で始まる従属節と、but で始まる主節(all heart-woes のあとに動詞have が隠れている)という、文法的にはやや異例の文型だと思うが、日本語にすれば「A である一方、しかし……」という感じで、まあ流れとしてはわかる。あと、訳す上ではunsignifying/ significance 、pettiness/grandeurといった対比が際立つようにすることも肝要。
『Ahab’s Leg』
もうひとつ、メルヴィルには、それほど難解でも長くもなく、しかし何度読んでも謎は尽きない傑作中篇があることを確認しておこう。“Bartleby” と題した、法律事務所でひたすら書類を書き写すのが仕事の男が、仕事はおろか食べることもやめてしまう話。なぜそんなことを?
何度読んでも答えはわからないし、わからないことをなぜか読み手はやましく思ってしまう―そこが何とも不思議なのだ。
柴田元幸さんの本
1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。
出典:Herman Melville, Moby-Dick; or, The Whale (Penguin Classics, etc.)――, Billy Budd, Bartleby, and Other Stories (Penguin Classics) Leslie A. Fiedler, Love and Death in the American Novel , Second Edition (Dalkey Archive)
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