翻訳家の柴田元幸さんが、毎回一人、英米現代・古典の重要作家を選び、その小説の翻訳術を紹介します。まずは作家の特徴がよくわかる文章と、柴田翻訳の妙技をご堪能ください。
紹介する作家:レイモンド・カーヴァー
1938 年アメリカ、オレゴン州生まれ。アルコール依存と闘いながら執筆を続けた初期を経て、80 年代の短篇集「愛について語るときに我々の語ること」などで高い評価を得る。1988 年没。村上春樹が翻訳し、日本で広く知られるようになった。
『Why Don’t You Dance?』
(Why Don’t You Dance?, 1978)
(「踊らないか?」)
さて、カーヴァーの文章。取り上げたのは彼の第二短篇集What We Talk About When We Talk About Love(1981)の巻頭に収められた作品である。この一冊でアメリカ短篇小説の新しい方向性が定まったと言ってもいいくらい 影響 力のあった短篇集であり、多くの読者はまずこの一篇によってカーヴァーの小説世界に触れた。
ご覧のとおり、ごくごくシンプルな文章である。室内にあったものが戸外にさらされているのと同じように、カーヴァーの単純なセンテンスは登場人物をいわば丸腰にして文章のなかにさらす。人は威厳も個性も、さらには下手をすればアイデンティティも奪われていて、どこまでも無防備である(それを裏付けるかのように、この作品をはじめ多くの作品で登場人物は名前を与えられないし、与えられていてもWes, Burt といった一、二音節の名前であり、間違ってもAlexander とかElizabeth とかは出てこない)。カーヴァーを読んでいると、stark(荒涼とした、空っぽの)という言葉がたびたび思い浮かぶ。たぶんカーヴァー自体はその言葉を使っていないと思うが、それも当然である―すべてがstark である世界にstark という言葉は必要ない。
引用の文章から、登場人物の生活や生活の細部はほとんど浮かび上がってこない。唯一形容詞と言える“candy-striped” も人物の個性を伝えはしない。小説において持ち物はしばしば持ち主の個性を伝えるが、カーヴァーの場合、持ち物と持ち主の関係のちぐはぐさしか浮かび上がらない。唯一何かが見えてくるのは、“he poured another drink” という第一文のフレーズである―男が飲んでいるのはこれが一杯目ではない。
そして“His side, her side” という一行が、この男女がもう一体ではなく二つに分かれてしまったことを―あるいは初めから分かれてしまう萌芽が二人の関係に含まれていたことを―暗示する。普通なら「彼」「彼女」という代名詞の連発を避けるために「男の側、女の側」と訳す選択肢も考えるところだが、「男」「女」という言い方にくっついてくるわずかなドラマ性さえここでは邪魔である。カーヴァーを訳す上では、気の利いた日本語のフレーズを考えることより、stark さをノイズなしに伝えることが肝要である。
とはいえ、カーヴァーの文章に(当たり前だが)何の技巧もないということでは決してない。ただ、文章があまりにシンプルで、その効果は多くの場合無意識のレベルで起きるので(だからこそ強いのだが)、言葉にするのは難しい。が、すぐれた読み手は巧みにそれを言語化してみせる。たとえば“Why Don’t You Dance?” という題名が出てくる一節について、ブライアン・エヴンソンはこう書く。
私はしばし問わずにはいられなかった。反復と変奏のそういう相互作用をカーヴァーは非常に得意とし、しかもそれを絶妙のタイミングでやってのける。
柴田元幸さんの本
1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。
出典:Raymond Carver, What We Talk About When We Talk About Love
(Vintage Classics)―, Where I’m Calling From (Vintage Classics) Brian Evenson, Raymond Carver’s What We Talk About When We Talk About Love: Bookmarked (Ig Publishing , 2018)
【トーキングマラソン】話したいなら、話すトレーニング。
語学一筋55年 アルクのキクタン英会話をベースに開発
- スマホ相手に恥ずかしさゼロの英会話
- 制限時間は6秒!瞬間発話力が鍛えられる!
- 英会話教室の【20倍】の発話量で学べる!
SERIES連載
思わず笑っちゃうような英会話フレーズを、気取らず、ぬるく楽しくお届けする連載。講師は藤代あゆみさん。国際唎酒師として日本酒の魅力を広めたり、日本の漫画の海外への翻訳出版に携わったり。シンガポールでの勤務経験もある国際派の藤代さんと学びましょう!
現役の高校英語教師で、書籍『子どもに聞かれて困らない 英文法のキソ』の著者、大竹保幹さんが、「英文法が苦手!」という方を、英語が楽しくてしょうがなくなるパラダイスに案内します。
英語学習を1000時間も続けるのは大変!でも工夫をすれば無理だと思っていたことも楽しみに変わります。そのための秘訣を、「1000時間ヒアリングマラソン」の主任コーチ、松岡昇さんに教えていただきます。