翻訳家の柴田元幸さんが、毎回一人、英米現代・古典の重要作家を選び、その小説の翻訳術を紹介します。まずは作家の特徴がよくわかる文章と、柴田翻訳の妙技をご堪能ください。
紹介する作家:ポール・オースター
1947 年生まれ。『鍵のかかった部屋』(白水Uブックス)、『偶然の音楽』『幻影の書』(2 点とも新潮文庫)など著書多数。詩集やエッセーのほか、映画の脚本(『スモーク』)、監督(『ルル・オン・ザ・ブリッジ』)も手掛ける。
『4 3 2 1』(2017)
When Ferguson was eighteen, his mother passed on one of Millie’s stories to him, which was presented as no more than a rumor, a piece of unsubstantiated conjecture that might have been true - and then again might not.
(4 3 2 1, 2017)
『Auggie Wren’s Christmas Story』(1992)
And yet , how could anyone propose to write an unsentimental Christmas story? It was a contradiction in terms, an impossibility , an out-and-out conundrum. One might just as well try to imagine a racehorse without legs, or a sparrow without wings.
(“Auggie Wren’s Christmas Story,” 1992)
言い換えの妙味/ポール・オースター
ポール・オースターの文章を読んだり訳したりするたびに、この人は「言い換え」が本当に巧いなあと思う。あるものを、まずひとつの言い方で説明し、それに別の説明を重ねる。たいていは一つ目の言い方の方がシンプルで、まず基本的なことが頭に入る。これに二つ目の、より陰影のある言い方が加わって、いわばステレオ写真的な効果が生じ、イメージが立体的に頭に残る。
たとえば、 Report from the Interior (2013)の、子供の自意識の芽生えを語った文章― “Ourlives enter a new dimension at that point , for thatis the moment when we acquire the ability to tellour stories to ourselves, to begin the uninterruptednarrative that continues until the day we die.”(人生はその時点で新しい次元に入る。その瞬間を境に、人は自分の物語を自分に向かって語る力を獲得し、死ぬまで途切れなく続く物語を語り出すのだ)。
自己意識というものの力を、まずは“ to tell our stories toourselves” と平易な言葉で語り、次により緻密な発想へと拡げていく。一つ目だけでは平板だし、いきなり二つ目から入ったら抽象度が高すぎて頭に入らない。この順番・組み合わせが絶妙なのだ。そしてこの作家の場合、「あるもの」より「ないもの」を、または「あるかないかわからないもの」を語るときの方が、言い換えにもいっそう気合いが入るように思える。
最初に挙げた例でいえば、まず“ no more than arumor” とシンプルに記述されたものが、“a piece ofunsubstantiated conjecture” とより抽象的に言い換えられ、そこへさらに関係代名詞節が付される。これによって、この後に語られる、主人公の家系でかつて赤ん坊の間引きがあった かもしれない という逸話に、明確な事実とも単なる噂とも違う豊かな曖昧さがあらかじめ付与されるのである。
二つ目の例では、さらに極端な言い換えが 展開 され、「センチメンタルでないクリスマス・ストーリー」というものがいかにありえないかが、“a contradictionin terms” から始まる3 つの抽象的表現、“a racehorsewithout legs” と“a sparrow without wings” という2 つの具体的比較例を持ち出すことによって徹底的に強調されている(もちろん、こう言っておいて、このあとにまさしくセンチメンタルでないクリスマス・ストーリーを語ってしまうところが見事なのだが)。
こういう箇所を訳す際は、とにかく同様のことがいろんな形で言い換えられている流れを再現することの方が、個々の要素を忠実に訳すことより大事だと思う。“It was a contradiction in terms, an impossibility , anout-and-out conundrum” にしても、直訳すれば「それは自己矛盾、ひとつの不 可能性 、掛け値なしの自己撞着である」となり、これはこれで四文字熟語が3 つ並ぶことのリズムが強みとなるだろうが、逆に少しリズムがよすぎて、原文の3 要素の「バラバラさ」加減(名詞+ in +名詞、名詞、形容詞+名詞という意図的な不規則さ)が失われる。
ここはむしろ、第2・第3の要素をひとつにまとめ、全体を2 文に分けて「……である」という文尾を反復させた方が、原文のインパクトを再現できそうである―と考えて、「そんなものは自己矛盾である。とうていありえない、掛け値なしの自己撞着である」とした次第。
ちなみに 最初の例は、880 ページに及ぶ壮大な最新作4 3 2 1 から採ったが、実はこの新作では「言い換え」がやや減った気がする。今回の語りは、物語を読み手の頭の中に沈み込ませるより、話を次から次へと進めていくことの方に主眼があるように思えた。
たぶんそれは、この作品の試み―同一の主人公の人生の物語を4 通り交互に進行させ、たがいの真実性を打ち消しあわせるという一見自殺的なことを企てつつ、物語としてのリアリティも保たせるという離れ業的試み―とも関係があるにちがいない。
この素晴らしい書き手が、60 代後半に至っても依然新しいことに挑戦し、見事に成功しているのを見るのはとても嬉しい。
柴田元幸さんの本
1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。
出典:Paul Auster, 4 3 2 1( Henry Holt)―, “Auggie Wren’s Christmas Story”: Three Films: Smoke, Blue in the Face, and Lulu on the Bridge( Picador)―, Report from the Interior( Picador)ポール・オースター「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」村上春樹訳、柴田元幸訳、『翻訳夜話』(文春新書)