子育てで、おにぎりで、宗教で・・・大親友と永遠に続く「もめ事」には大切な意味がある【多様性の懸け橋 (13)】

アンちゃんことクレシーニ・アンさん(北九州市立大学准教授・言語学者)が、「多様性」を軸に、さまざまなトピックについてつづります。前回はアンちゃんの大親友・マキコさんとの出会いについて触れましたが、大親友である2人は、しょっちゅうけんかもしているらしく・・・仲がいいはずなのに、いったいどうしてなんでしょうか?

アイデンティティー変化のきっかけは・・・

ヤッホー!!アメリカ系日本人のアンちゃんです。

1月にトランプさんがアメリカの大統領に就任して以来、ニュースでずーっとアメリカのことが取り上げられているような気がする。それを見る私はと言うと、不思議なことに、母国アメリカがどんどん遠い存在になってきているのを感じる。ニュースを見るたび、アメリカに行くたび、アメリカは自分にとって「外国」になっていると気付かされる。

ところで今年、私は50歳になった。でもマジで自分が50歳になったなんて信じられない。心の中では永遠のティーンエイジャー。でも鏡で顔を見ると、「うん、50歳なのも納得!」と思う(笑)。人生の半分にあたる25年間を母国アメリカで過ごし、そして、もう半分の25年間を日本で過ごしている。アメリカ人として生まれてよかったし、日本人になってよかった。

以前の記事で「アイデンティティー」について話したよね。ここ10年、つまり40歳以降、私はどんどん日本人のアイデンティティーになってきている。

日本国籍を取得することを決めた後、「日本人になるなら、日本生まれの日本人より日本人らしくならないといけない」と考えていた時期がある。だけど、実際に日本人になってみると、アメリカ人としてのアイデンティティーは「アンちゃん」の大切な部分の一つであることを実感した。それを消さなくたっていいんだ。むしろ、消せるわけがない。今は、アメリカ系日本人として、アメリカ人のアイデンティティーを大切にしながら、私らしく日本人として残りの人生を歩んでいきたい。

とはいえ、日本に長く住めば住むほど、アメリカに対しての“外国感”が大きくなるのも事実だ。そんな私だが、40歳まではまさに「THE・アメリカ人」。日本が大好きではあるものの、「私は日本人だ」とか「日本人になりたい!」と思ったことは一度もなかった。「じゃあどうして40歳に入ってから急に、そんなにもアイデンティティーが変わり始めたの?」と気になる読者の方は少なくないだろう。だって、人間は大人になればなるほど、なかなか変わろうとはしなくなるものだから。

私の場合、きっかけはいくつかあって、その中でも親友・マキコとの出会いはとんでもなく大きな影響だったと言える。前回の記事では、その出会いについて詳しく書いた。彼女のおかげで、ずっと闘ってきた摂食障害を克服できたんだ。もしまだ読んでいなければ、ぜひそちらを先にチェックしてみてね。また、この連載「多様性の懸け橋」のこれまでの記事(vlo.1~12)も全部さかのぼって読んでもらえるとうれしいです!

◆ これまでの「多様性の懸け橋」一覧 ◆

さて、今回のテーマは、マキコとの永遠に続くもめ事。価値観や世界観が正反対の人と友達になると、仲良くなればなるほど、ぶつかることも増える。その人と離れることが一番楽で快適なんだろうけど、お互いを理解しようとすることによって、人としてとてつもなく成長することができる。というわけで、マキコと私、2人の「衝突」そして「成長」について話したいと思う。では、多様性の懸け橋13回目の旅に出発しよう!


親友なのにもめまくる

あなたには、「自分とは価値観が全く違う友達」がいますか?もし、そういう友達がいなければ、マジでおすすめです。もちろん、私とマキコのように国籍・母語まで違う友達じゃなくたっていい。同じ日本人であっても、職場や学校、ご近所さんなど、価値観が違う人に囲まれることはあると思う。

人間は、同じ意見、同じ価値観や思いなどを持つ人と共に過ごすことを快適に感じるもの。だけど、そればかりだとあまり成長することはないような気がする。価値観が違う人と親しくなることによって、視野が広がり、それまでは見えなかったものが見えるようにもなっていく。

例えば、私はキリスト教の信者だ。そしてマキコは、神道と仏教を信じている――というよりは、価値観の土台としている、のほうが近い。ある日、私たちは北九州市にある平尾台という場所に一緒に出かけ、山に登った。

日本三大カルストの一つであり、天然記念物・国定公園・
県立自然公園に指定されている平尾台。トレッキング
コースとしても人気。(画像:©福岡県観光連盟)

感動的な景色を見ながら交わした会話はこうだ。

私:「こんなにもきれいな景色を作り出して、神様はすごい!」
マキコ:「神様とは関係なかろう?自然がすごいんだよ」

私たちは確かに同じ美しい景色を見ていたけれど、“かけているレンズ”は違う。世界観というレンズが異なれば、同じ景色を見ても思うことは全然違ってくるというわけだ。私がマキコの発言を聞いて感じたのは、「そういう価値観があるんだ。面白い!」。仮に、私の友達全てがキリスト教信者だったなら、この気付きは得られなかったかもしれない。


おにぎりで大げんか

マキコとはめっちゃ仲がいいからよく話す。そして、よく話すからよくもめる。昔と今ではもめる内容が違うものの、もめること自体はずっと変わっていない。いったい何度、マキコからのメッセージを見て携帯電話を放り投げつつ、「アイツうるさいな!」と叫んだことか・・・。きっとマキコも同じ思いを何度もしていたに違いない。

出会った頃は、よく子育てについてけんかをしていた。どうしても、お互いの子育ての仕方を理解できなかったからだ。マナー、しつけ、教育など、アメリカと日本では考え方があまりにも違い過ぎて、なかなか分かり合うことはできなかった。お互いの子どもを見て「行儀が悪い!なんで何も言わないの?」と思ったものだが、何をもって「行儀が悪い」とするのかは、文化や価値観によって変わってくる。

食事のことでもよくけんかした。マキコが料理を教えてくれおかげで、そして「いただきます」の本当の意味を教えてくれたおかげで、私は摂食障害が治った。めちゃくちゃ感謝していると同時に、「うるさい」「言い過ぎだ」と感じる時も正直あった。食べ物を残すと色々言われるんだけど、それは、マキコの価値観や日本の世界観における「よくないこと」だから。食べ物を適当に扱った私を見て、マキコは腹が立ったのだろう。

ある日、私たちが一緒に子どもの運動会に参加した時のこと。マキコは豪華なお弁当を作ってきてくれた。私はたくさん食べたもののおなかいっぱいになり、最終的におにぎりの3分の1ほどを残す結果になった。

すると、家に戻った後で、マキコからFacebookのメッセージが――。そこに書かれていたのは、「アンちゃん、どうして食べ物を大事にしないの?」。それから1時間、その残ったおにぎりのことでけんかをした。「なんでこんなにも重い話になるの?意味が分からん!」と思ったものだけど、やっぱり、世界観が違うからだよね。

とはいえ、単純に「日本人の世界観だから」と言い切るのはなかなか難しい所もある。確かに、おしなべて日本人はアメリカ人よりも食べ物を大事にすると言えるだろう。でもマキコは、普通の日本人よりもずっと食事を大事にしていると私は感じる。

要するに、同じ日本人であっても、一人ひとり異なる世界観がたくさん存在しているのだ。「自分の世界観=みんなの世界観」と考えてしまうと、違う世界観を持つ人とはどうしたってもめる。私もマキコも、何度も自身の世界観を相手に押し付けようとしたため、けんかになっていたのかもしれない。


最大の難関テーマ、「宗教」

お互いの「宗教観」についてもなかなか理解できずにいた。一神教信者の私と多神教信者のマキコ。死生観も全く違うし、行動も価値観も当然違う。複数の神様を同時に信仰していい多神教のマキコにとって、一神教であるキリスト教は排他的に映るだろう。逆に、一神教の私は「なんで私の価値観を理解しようとしてくれないの?」と思っていた。今も、宗教はなかなか難しいテーマだと日々感じている。

以前、マキコの故郷・京都を一緒に訪れたことがある。私としては旅を楽しんでいたつもりだったが、帰りの車中で彼女はこう問いかけてきた。

「あなたがキリスト教信者だというのは分かってる。でも、京都にいる間、神社の鳥居をくぐるのは嫌がるし、お寺にいる間も『早く出ていきたい』という雰囲気がすごかったよ。神と仏教がそんなにも嫌なら、いったいどうして京都に行きたかったの?」

――深く反省するしかなかった。そういう風に受け取られていたとは少しも気付かず、私が「日本の宗教とそこまで深く関わりたくない」と考えていたのも事実だ。自慢の故郷を案内したかったマキコにとって、それはどんなに悔しいことだっただろうか。

そして、一神教の私が「お参りをしたくない」のもマキコにとっては理解し難いことだったった。彼女にとって、拝むことは日本の神様への挨拶を意味する。でも私にとってそれは挨拶ではなく、私が信じる神様以外への“浮気”のような感覚。つくづく、「宗教以上に分かり合うのが難しいことはきっとない」と思う。

でも、この経験を通して、日本の宗教観をもっと知りたい!理解したい!と思うようにもなった。あの日から、上から目線ではなく同じ目線で神道と仏教を見ている。そしてその結果、今まで見えていなかった日本文化と価値観が見えてくるようになった。同様に、マキコもキリスト教について少しずつ理解を深めてくれていると思いたい。

おばあちゃんになっても、けんかして仲直りして

マキコに出会ってからの8年間、数え切れないほどけんかをしたけれど、いつも必ず仲直りする。ちなみについ最近も大げんかをして、6週間ほど一切連絡を取っていなかった。

「友情を諦めたい」と思ったことだって何回もある。きっとマキコも同じだろう。友達をやめるのは簡単だし楽になれる手段だけど、私たちの友情には計り知れない価値があると信じている。マキコとの友情は、「多様性の架け橋」そのものだ。こんなにも価値観の違う2人が仲のいい友達になれるのだから、世界中の誰もがそんな友達を作れると私は思う。つまり、どんなに価値観や宗教観が違っていても、お互いを尊重しながら話し合うことができたら、深い学びと成長があるに違いない。

最近はマキコと仲よくしている。でもきっとまたけんかをする。そして、お互いを大事にしながらこれからも仲直りしていきたいと思う。きっと、しわくちゃのおばあちゃん同士になっても、同じ老人ホームで味噌汁をすすりながらけんかしている気がするな。そして、死ぬ時に「マキコと友達でよかった。マキコのおかげで私は理解ある人間になれた」と思えたとしたら、全てのもめ事には意味があったんだと言える。

本当に、マキコやいろいろな人たちのおかげで、今のアンちゃんがいるんだ。

さて、次回の記事では、メディア活動を通して出会った人々から学んだことについて話していきます。お楽しみにね!


クレシーニ・アン
クレシーニ・アン

アメリカ・バージニア州生まれの日本の言語学者(海外語学研修・言語学)。学位は応用言語学修士(オールド・ドミニオン大学・2002年)。北九州市立大学基盤教育センターひびきの分室准教授。和製英語と外来語について研究している。作家、コラムニスト、ブロガー、コメンテーター、YouTuber、むなかた応援大使、3人の娘を持つ母。(写真:リズ・クレシーニ)

●ブログ:「アンちゃんから見るニッポン
●Instagram:@annechan521
●X:@annecrescini

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