キャラ弁も裁縫も「あのママみたいにできない」―― 劣等感から抜け出せた私が世界中のママに伝えたい言葉【多様性の懸け橋 (8)】

言語学者のアンちゃんことクレシーニ・アンさんが、日本国籍を取得するまでのさまざまな出来事や思いを綴る連載第8回。3人の子どもを持つ母でもあるアンちゃんは、かつては周りのママ友たちと自分を比べて、強い劣等感に苦しんだことがあります。そこから「ありのままの自分でいい」と思えるようになったきっかけは、どこにあるのでしょうか?

私の「居場所」は日本

ヤッホー!福岡在住アメリカ系日本人のアンちゃんです!

これを書いている瞬間、私は東京行きの飛行機に乗っている。大学の夏休みを利用して、2週間ほどアメリカに行ってきた。なぜ「アメリカに帰った」ではなくて「アメリカに行った」と書いたかというと、日本は私のホームだから。私にとって、アメリカはまるで外国のような所になっている。

今回も“観光客気分”がすごかった。電話番号、住所、銀行の口座、Venmo(アメリカでよく使われている個人間送金アプリ。PayPayみたいなもの)などがなくて、何回も困ることがあった。

もちろん、母国であるアメリカが好き。たくさんの新しい出会いに恵まれたり、久しぶりに家族とゆっくり話せたりして、充実した時間を過ごした。けど、やっぱり日本へ帰ることを考えるだけでワクワクする。人間の生まれ育った場所が、必ずしもその人の居場所になるとは限らない。自分の心が落ち着く場所、自分らしく生きていける場所こそが居場所だと思う。私にとって、その居場所は日本だ。自分のホームに「帰る」ことが楽しみ過ぎてたまらない。

この連載では、私が25年の間日本で暮らして感じたこと、学んだこと、気づいたこと、そして、成長したことについて書いている。私の経験を通して、多様性社会になるためのヒントを届けられたら、それは何より嬉しいことだ。今回で第8回目になります。もし今までの記事をまだ読んでいなければ、是非、さかのぼって読んでみてください。

◆ これまでの「多様性の懸け橋」を読む ◆

みんな「自分の基準」を持っている

さて、今日もアンちゃんと一緒に多様性の旅に出発しよう!

前回の記事では、日本で出産したことによって気づいた文化の違いについて話した。私自身はアメリカで出産したことはないけれど、友達や家族からたくさんの違いを聞いた。間違いなく、お産に関しての考え方の違いは半端なく多い。

人間は、新しい文化に触れたり慣れ親しんだ文化との違いに直面したりすると、最初、その違いについて批判する傾向がある。皆さんは「それはおかしい」「自分はそんなことはしないよ」と考えたことはありますか?きっと、ほぼ全ての人の答えが「ある」だと思う。そして、それは「自分中心」の考えだと言える。

つまり、何か物事を判断する際の「基準」となるのが、自分の行動や価値観。アンちゃんは、その「基準」が全てではないと気づいた瞬間、めっちゃ解放されたんだ。物事にあるのは「正しい/正しくない」「普通/普通じゃない」ではなく、「違い」だけ。

例えば、妊娠~子どもが大学を卒業するに至るまで、日本とアメリカの子育てに関する考え方は全然違う。私には3人の子どもがいて、最初のうちはめっちゃ「アメリカ派」と言える子育てをしていたのだけど、いつの間にか「日本派」になっていた。添い寝を批判していたはずが、いつしか子どもと一緒に寝るようになったし、「絶対にホームスクーリング(学校に通わず、家庭を拠点として学習を行うこと)にする」と決めていたのに、結局3人とも日本の教育を受けさせた。

日本はどんどん私の居場所になってきている。そして同時に、私自身に関しては、どんどん日本人のアイデンティティーが強くなっている。

私の娘は今、18歳と17歳と15歳。つまり、4年の間に3人の子を産んだ。娘たちが幼い頃はあまりにも忙しすぎて、そんなに記憶がない。永遠におむつを変えたり授乳したりして、その繰り返しが3年ほどずっと続いていた気がする。わずか1週間で、家庭ゴミ用のゴミ袋(特大)をおむつでいっぱいにした記憶も・・・。環境に申し訳ない気持ちは未だに大いにある。

あまり長く育休を取らなかったので(第6回参照)、周りの人はきっと、私をクレイジーだと思っていただろう。我ながら、かなりタフなアメリカ人だった。

2人目が生まれてすぐ、子どもたちをスーパーに連れて行った時のこと。日本では、少なくとも赤ちゃんの生後1カ月間は、親子ともども外出を控えることが一般的に推奨されている〔*1〕。そのためか、店内にいた女性客のおばあさんが、私の小さい娘を見て怖い顔をして「何カ月ですか?」と尋ねてきた。私は、「えーと・・・1カ月ぐらい」と、日本っぽく曖昧さを上手に使いながら回答。実際は生後1週間くらいだったけど、まあ、あともうちょっとで1カ月になるわけだから、「ぐらい」でよかろう!

新しいアイデンティティー=「母」を得て

日本で出産して、子育ても日本でするつもりだった。それに、夫と離れたくなかった。だからもちろん、赤ちゃんをアメリカの実家に連れて行く予定もなし。その代わりに、うちの母が日本に来てくれた。しかも、長女・次女・三女が生まれた時、3回とも!

今、母は老人ホームに入っている。とても体が弱っているから、もう日本に来ることはないだろう。母がしてくれた産後のお手伝いは、私にとって欠かせないものだった。母には感謝しかない。

そして出産によって、私にも「母」という新しいアイデンティティーが与えられた。尊い命を守る責任が急にできたわけだけど、全く経験も自信もなかった。わが子が生まれるまでは、正直あまり子どもが好きじゃなかった。

大阪でキッズ英会話の先生として教えていたことがあって、もちろん自分の生徒たちは好きだったものの、「子どもが得意」とまでは言えない。若い頃、周りの友達がベビーシッターのバイトをしていたのに対して、私は全くそういうバイトに興味がなかった。おむつを変えたこともなければ、料理もできない。授乳なんて考えるだけで怖かったほどだ。

「お腹が冷える」ってナニ!?

日本という外国で母になるというのは、面白くて不思議なことが多かった。それまでアメリカでは聞いたことのないことをたくさん耳にした。例えば、妊娠期間中の「戌(いぬ)の日」に腹帯を巻く習慣〔*2〕。腹帯を巻くのは、「どんどん大きくなっていくお腹を支えるため」なのはもちろん、「お腹が冷えないように」というのも大きな理由だ。

当時、「お腹が冷える!? 意味が分からない!」と思った記憶がある。未知の概念だった。アメリカでは一度も Don't let your stomach get cold! (お腹を冷やさないようにね!)という言葉を聞いたことがないのに対して、日本では子どもを小児科に連れて行くたびに、「お腹が冷えないようにね」と注意された。お腹が冷えるという概念を理解できなかった私は、きっと自分のお腹も娘3人のお腹も無意識のうちに冷やしまくっていただろう。

「あのママみたいにできない」劣等感

離乳食も面白かった。アメリカでは、市販の離乳食は伝説的にまずい。これに対して、日本のやつはバリおいしい!娘たちもおいしく食べていた。肉じゃがや里芋など、「自分で食べたいなあ」なんて思うくらいおいしそうだった。

長女の時を中心に、最初は頑張ってできるだけ離乳食を作っていたけれど、3人目にもなると、自分たちが食べていたものを適当にミキサーに投げ込むようになった。塩分は若干高かったかもしれないけれど、まあ、あの子は今一番丈夫だしね。

離乳食にキャラ弁作りも頑張ったけど

とはいえ、仕事しながらママ業を頑張りつつも、私はずっと自信がなかった。当時、私が抱えていた劣等感は相当なものだ。「あのママのように○○できない」という気持ちが最初からあった。日々の料理、裁縫、お弁当作り、工作――とにかく、家庭に関する才能がゼロだった。

その上、周りのママ友はみんなスーパーママみたいな人ばかり。そのママたちと同じようなお弁当を作れるようになるべく、私は「キャラ弁教室」の門を叩いた。そこで数時間悪戦苦闘した後、めっちゃかわいいブタちゃんのお弁当が完成!その後、あのブタちゃんのお弁当は・・・1回しか作っていない。娘はそんなに喜ばなかったし、数時間をかけることはきついけん、もういいかなと決めた。私のキャラ弁キャリアはそこで幕が降りたのだった。

裁縫スキルゼロでかわいい袋を作れない

学校グッズも全然作れなかった。子どもが小学校に上がると、「なんとかバッグ」「なんとか袋」みたいなものがたくさん必要になる。図書バッグ、上靴袋、体操服バッグなどなど。周りのママたちは、手芸店に行き、子どもの好きなキャラクターの生地を買って、かわいい「なんとか袋」のセットを完璧に作っていた。

一方、私は裁縫のスキルはゼロ。かろうじて、外れたボタンをつけることはできる。「なんとか袋」を作れないことで、改めて劣等感が湧いてきた。申し訳なくて「あのママみたいに裁縫ができない。ごめんね」と子どもに言いたいと思っていた。ただ、うれしいことに、同じ教会に通っていたおばあちゃんが「なんとか袋」のセットを作ってくれたのだ。

そのおばあちゃんに対してありがたい気持ちでいっぱいだったものの、私が何もできないこと自体は変わらない。母親としての劣等感はさらに深まりつつあった。

当時の一番仲のいい友達・ちえさんは「THE お母さん!」だ。家庭的なことは何だってできる。料理はいつも豪華だし、裁縫も子育ても上手。私とちえさんはすごく仲が良くて尊敬もしていたけれど、一緒にいればいるほど、どれだけ自分が家庭的な人間じゃないかを痛感させられた。

世界中のママそれぞれに才能がある

だけど、数年前に大きなターニングポイントがあった。それが、ちえさんの家で他の友達と一緒にホームパーティーをした時のこと。ちえさんは相変わらず、唐揚げをはじめとして、次から次においしい手料理をたくさん出してくれた。自分が何を持っていったかはっきりとは覚えていないが、おそらくコストコの出来合いのピザか何かだったに違いない。

ちょうどその時期、私は新しい本を出版したので、その本を彼女にプレゼントしようと思っていた。そして、ちえさんの豪華な手料理のそばに私の本を置いた時、人生を変えるような気づきがあった。――確かに、私はちえさんみたいに料理上手じゃない。たとえ一生頑張っても、それほど上手にならないかもしれない。でも、ちえさんは本を出版したことがない。

娘がくれた言葉

ちえさんには、ちえさんだけの素晴らしい才能がある。そしてアンちゃんにも、アンちゃんにしかない才能がある。私は豪華な料理は作れなくても、本を20冊出版した。テレビに何度も出たことがある。私のお弁当はいまいちかもしれない。でもある日、学校から帰ってきた娘が「ねえ、ママ。友達がママをテレビで見たよ。かっこいいって!自慢のママだよ!」と言ってくれた。マジで泣ける。

こうした経験を通して、「いいお母さん」「悪いお母さん」の基準はキャラ弁を作れるかどうか、裁縫ができるかどうかなどじゃないことに気づいた。

日本のママ、アメリカのママ、世界中のママそれぞれの才能がある――キャラ弁、裁縫、言語、音楽、折り紙、料理。みんな、「あのお母さんみたいに」なんて全然考えなくてもいい。むしろ、考えない方がいいと思う。子どもを愛すること、子どもと一緒の時間を過ごすこと、子どもを大事にすることが何よりも大切だ。

ちなみに、私の子どもたちは、私の「なんちゃって弁当」が大好き。いつも褒めてくれる。きっと、親が作った弁当なら子どもは「一番おいしい」と感じるのだろう。そして、親が子どものために選んでお金を出して買う弁当も同様だ。愛情があれば、どちらもおいしいのだと思う。

You are enough. を心に置いて

多分、私のように母親としての劣等感を持っている人はたくさんいると思う。そのママたちに言いたいのは、「ありのままのママでいい」です。他のママと比べなくてもいいんです。あなたはありのままで十分です。

料理や弁当作りが好きな人が自由に料理を楽しむのも素敵だし、料理が好きでない人も、プレッシャーや劣等感を持つ必要は全くない。だって、全ての人は「ありのままの自分」で素晴らしいから。

私は定期的に、小学校へ「多様性」についての講演をしに行く。「多様性」は小学生にとって難しい単語だから、分かりやすく「みんなちがって、みんないい」〔*3〕と説明している。子どもはすぐ理解してくれるけれど、子どもだけじゃなく、私たち大人もこの「みんなちがって、みんないい」という概念を身につけた方がいいと思う。

ママだけじゃなくパパも。結婚している人もしていない人も。子どもがいる人もいない人も。周りの人と同じようにならなくてもいいです。「あの人みたいに・・・」「課長みたいに・・・」「同僚みたいに・・・」などではなく、自分らしく生きよう。自分しかできないことを生かそう。

英語では、You are enough. という表現がある。なかなか日本語に訳せないんだけど、「ありのままの自分でいい。その自分は素晴らしくて尊い存在だ」みたいなニュアンスです。もちろん、新しいことにチャレンジすることは大事だけど、他の人と自分を比較して劣等感を抱くなんてことは必要ない。

私も、今でもたまに「あのお母さんみたいに○○できない。子どもに申し訳ない」と思う時がある。読者の皆さんも同じ気持ちになることがあるかもしれない。そんな時は、この大事な二つの表現を思い出そう。

みんなちがって、みんないい。
You are enough.

文化の違い、そして、人間それぞれの才能を楽しもう!

ではまた、次回までお楽しみに!

  • 〔*3:編集部注〕「みんなちがって、みんないい」
    詩人・金子みすゞ『私と小鳥と鈴と』の一節。

クレシーニ・アン
クレシーニ・アン

アメリカ・バージニア州生まれの日本の言語学者(海外語学研修・言語学)。学位は応用言語学修士(オールド・ドミニオン大学・2002年)。北九州市立大学基盤教育センターひびきの分室准教授。和製英語と外来語について研究している。作家、コラムニスト、ブロガー、コメンテーター、YouTuber、むなかた応援大使、3人の娘を持つ母。(写真:リズ・クレシーニ)

●ブログ:「アンちゃんから見るニッポン
●Instagram:@annechan521
●X:@annecrescini

オススメのアンちゃん書籍・連載

アンちゃんが英語&英会話のポイントを語る1冊

upset(アプセット)って「心配」なの?それとも「怒ってる」の?「さすが」「思いやり」「迷惑」って英語でなんて言うの?などなど。四半世紀を日本で過ごす、日本と日本語が大好きな言語学者アン・クレシーニさんが、英語ネイティブとして、また日本語研究者として、言わずにいられない日本人の英語の惜しいポイントを、自分自身の体験談・失敗談をまじえながら楽しく解説します!

編集部イチ押しのアンちゃん連載

SERIES連載

2024 11
NEW BOOK
おすすめ新刊
名作に学ぶ人生を切り拓く教訓50
詳しく見る