言語学者のアンちゃんことクレシーニ・アンさんが、日本国籍取得にまつわるさまざまな出来事や思いを綴ります。「日本語能力試験」の最難関レベルであるN1資格を持ち、日本語も博多弁も使いこなすアンちゃん。自身の努力はもちろんのこと、そこには「この人のおかげで日本語を話せるようになった」と今も感謝する、「先生」の存在がありました。
目次
多様性にも通じる「ご縁」の力
皆さん、ヤッホー!アメリカ系日本人のアンちゃんです。この連載では、私の「日本人になる旅」について振り返りながら、グローバル化が進む日本社会について皆さんと一緒に考えている。
前回の記事で、今住んでいる福岡に来て最初の1年間について語り始めたけん、この第4回でもその話を続けていきたいと思う。第1~3回をまだ読んでいない方は、ぜひチェックしてみてね!
「ご縁」。皆さんは、この単語を聞くとどんな気持ちになる?私は、日本に来てから今に至るまでずっと、心から「ご縁」に感謝している。この25年間、さまざまな方たちに出会えたおかげで、今の私がいる。
「ご縁」という単語が自分にとってあまりにも大事すぎるけん、英語になかなか訳せないことにいつも悔しくなってしまう。私はそれまでの人生を、「ご縁」の概念なしに一体どうやって生きてきたんやろう?「素敵なご縁」「ご縁に感謝」「ご縁があった」「ご縁がなかった」などなど・・・。私は仏教徒ではなくキリスト教を信仰しているけれど、間違いなく「ご縁」に深く影響されている。
これは多様性そのものだと思う。自分たちとは異なる文化や宗教、自分とは違う意見や価値観を持つ人から学ぶことは多い。自分の考えや自分が触れてきた文化だけが全てではない。自らの信念を大切にしつつ、他者の信念から教わることだってあるだろう。
多様性の中心にあるのは、「理解」と「尊重」だ。自分は思っていなくても、信じていなくても、他人はそう思っている、そう信じていることがある。その人を理解し尊重することによって、自分が得られる物事は多いに違いない。
仏教の「ご縁」を通して私が得たものは非常に多い。今後の記事では、神道の教えに繋がる「いただきます」〔*1〕のおかげで得たものについても話すつもりだから、そちらもお楽しみに!
- 〔*1〕編集部注:「いただきます」の由来については諸説あり。
アンちゃんの日本語飛躍のそばに「先生」あり
さて、前回書いたのは冨山家とのご縁でした。今回はもう一つの素敵な出会い、素晴らしいご縁について紹介させてね。
北九州市立大学の教員1年目だった私の年齢は27歳。1、2年生の授業を担当していたから、学生たちは18~20歳やった。年がそこまで離れていなかったこともあり、彼らとはよく遊びに行った。
学生の一言に衝撃!
あれから23年も経つけれど、私の心の年齢は27歳のままだ。だけど、数年前にショッキングなハプニングがあった。ある日、学生と話していたときのこと。彼がニコニコしながらこう言ったのだ。
「ねえねえ、アン先生。先生は僕のお母さんと同い年なんだ!」
マジ???私、そんなに年をとったと?まさか!・・・いや、確かに、大学に来てから今までに、子どもを3人産んだ。今年、長女は大学1年の学生たちと同じ年になる。時間が経つのは本当に早いなあ。
子どもを産むまでは、学生たちとよく遊んだものだ。ホームパーティーをしたり、一緒にカラオケに行ったり。夏になるとバーベキューをして、冬には雪で遊んだ。日本では、「先生」と「学生」の間に壁があるとよく聞くが、私はできるだけその壁を壊したかった。
もちろん、遅刻や課題の未提出に対しては厳しくしたけれど、先生への親近感があれば、英語を学ぶモチベーションが上がると思ったから。私は、学生の英語学習だけでなく、彼ら自身を大事にする気持ちも強く持っていた。
分かりやすく教える天才・美樹さん
中でも特に親しくしていたのが、美樹さんという女性だった。彼女は理系の学生だったが、国語も非常に好きで得意としていた。一方、当時の私は「日本語能力試験」のN2(旧「2級」)〔*2〕合格を目指して勉強中。美樹さんは「日本語を教えるよ!」と提案してくれて、それからというもの、週3回、大学の授業が終わった後で一緒に日本語を学んだ。
報酬などは何も望まなかった美樹さん。ただただ、私を助けたかったと言ってくれていた。そんな彼女とは、勉強の後に食事やカラオケに行ったり、そこでもさらに勉強の続きをしたり・・・。
私がめっちゃ感心していたのが、美樹さんの国語能力だ。ある言語のネイティブスピーカーだからといって、その言語を教えられるとは限らない。例えば、日本語で分からないことについて、「どうしてこうなっているの?」と日本人の友達に尋ねたことが何度もあるけれど、うまく説明できる人は少なかった。
一方、美樹さんは違っていた。日本語を教える資格や免許は全く持っていないのに、難しい文法や表現について、ためらうことなく、そして分かりやすく解説してくれたのだ。
- 〔*2〕編集部注:「日本語能力試験」は、日本語を母語としない人たちの日本語能力を測定し認定する試験として1984年に開始。途中、改定が行われ、それまで4段階(1級、2級、3級、4級)だったレベルが2010年の試験から5段階(N1、N2、N3、N4、N5)へと増加しました。
また、試験の実施回数も年1回(12月実施)から2回(7月・12月実施)に増加(2009年~)。クレシーニ・アンさんは改定前に、旧「1級」=現行の「N1」、旧「2級」=現行の「N2」に合格しています。
(参照:日本語能力試験公式ウェブサイト https://www.jlpt.jp/ )
二人三脚で目指した「合格」
彼女と共に勉強し始めて約半年――。実に嬉しいことに、2004年の冬、目標としていたN2に合格!そしてすぐさま、今度はN1(旧「1級」)の勉強に取り組み始めた。ただし、私にとってN1のレベルは、それまでとは段違い。N2とN1の間にある差はあまりにも大きくて、1年間必死に勉強したとしても合格できるかどうか、自信がなかった。
例えば、出題範囲となる漢字の数だけを見ても、N2は1000種類で、N1はその倍の2000種類も覚えなければならない。現実的なハードルはかなり高かったが、それでも美樹さんと2人で頑張ると決意した。
やばい!マジ無理!自信喪失・・・
N1の試験当日のことはよく覚えている。同じ教室にいた受験者のほとんどは中国人と韓国人だった。「漢字をあまり勉強しなくていい中国人はうらやましいな」なんて考えていた。だけど今振り返ってみると、もしかしたら彼らは「外来語を勉強しなくていいアメリカ人はいいな」と思っていたかもしれない。人はそれぞれ「強み」に違いがある。それでも、一生懸命に勉強したらきっと、誰だって日本語をマスターできるだろう。その人の努力次第なのだ。
さて、試験の話に戻ろう。聴解、語彙、漢字、文法問題はめっちゃうまくいった。「この試験、楽ちんだ!」――と思いきや、読解のセクションに直面してそうではなくなった。やばい。時間がない。内容が難しい。意味が分からない。その瞬間、全ての自信がなくなった。いや、無理だ。マジで無理!
最後まで諦めずに頑張りはしたけれど、試験終了後、私はかなりガッカリしていた。受かる自信など完全になくなっていた。当時、試験は1年に一度しかなかったから、「来年も受ければいい。そうすれば、勉強する時間だって十分足りるだろう」と気持ちを切り替えるように努めた。そして、しばらくは日本語の勉強を忘れようと、冬休みの間、夫とベトナム旅行に出発したのだった。
「美樹さんのおかげ」「アン先生が頑張ったから」
試験結果を知らせる通知は、旅行から帰ってきてすぐに届いた。震えながらそれを開くと・・・
「合格 Passed」の文字!
目にした瞬間の、「努力が報われた!」という感慨はものすごかった。今までに経験したことがないほどの達成感だ。慌てて自転車に飛び乗り、校内で勉強している美樹さんへ伝えに行った。興奮のあまり落ち着きのなかった私とは対照的に、とても冷静だった美樹さんがくれた、「よかったやん!もちろん合格すると思ってた。アン先生が頑張ったからだよ」という言葉。最高に嬉しいこの瞬間に、謙虚な美樹さんはアン先生を褒めまくってくれたのだ。
N1に合格できたのは、美樹さんのおかげだ。この資格は私のキャリアにも大きな影響を与えた(今後の記事で詳しく書くね)。そしてまた、美樹さんがいてくれたからこそ、改めて「ご縁」の魅力を感じた。もし、彼女に出会わなかったとして、あの難しい試験を突破できたやろうか・・・?それは仮定の話だから誰にも分からないけれど、私は「全て美樹さんのおかげだ」と思いたい。もちろん、私自身もバリバリ頑張ったけどね!
10歳下の若者が与えてくれたもの
私は先生で、美樹さんは学生だ。もちろん、授業ではその関係をしっかり線引きした。そして授業が終わった後は、美樹さんが私の先生になった。
私たち大人はよく、「若い」ということをハンデとして捉える。若いから経験がない。若いから知識が足りない。若いからいろいろ教えてもらわないといけない。――確かに、大人から若い世代に伝えるべき知識や情報はたくさんある。だからといって、「若い世代からは学ぶことがない」なんてことはない。
私は、10歳近く年下の美樹さんから多くのことを教わった。日本語だけじゃない。人を助ける心や思いやり。優しさ、努力。日本語の美しさ。これらは全部、美樹さんが教えてくれたものだ。
支えてくれた人への感謝を忘れない
彼女の卒業後、しばらく連絡が途絶えた期間を経て、先日、久しぶりに会うことができた。彼女は立派な社会人、そしてママになっている。そんな美樹さんに対して、今も感謝の気持ちが溢れて止まらない。彼女のおかげで日本語を話せるようになった。今の私の活動があるのは美樹さんのおかげ、そう言っても過言じゃない。
人間が持つどんな力や才能にも、それを支えて「引き出してくれる人」や「信じてくれる人」が不可欠だ。周りにそういう人がいない限り、せっかくの才能もずっと眠ったまま、いつかは消えてしまうとさえ思う。
この連載ではこれからも、周りの人がくれた応援と支えについて書いていくつもりだ。というか、「書かずにはいられない」って感じかな。どれだけ書いても足りない気さえするくらいで、少しでも私の気持ちが伝われば何より嬉しいことだと思っている。
日本語能力試験のN1に合格したのが2005年1月で、そのときは「今年最強のニュースだ!」と思ったんだけど、実はもう一つ、人生を大きく変えるような出来事が起きた。次回はそのことについて書くけん、お楽しみにね!
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