EJではおなじみ、言葉や文化が大好き過ぎる言語学者のアンちゃんことクレシーニ・アンさん。待望の新連載のスタートです!2023年(令和5年)11月21日、アンちゃんは日本国籍を取得。「日本人になりたい」と願い続けたアンちゃんの夢が叶った日でした。連載「多様性の懸け橋」では、日本国籍を取得するまでのさまざまな思いや出来事、そして取得後のアンちゃんに起きたことなどを綴っていただきます。
目次
「日本人になりたい」、一番の夢が叶った瞬間
ヤッホー!私はアメリカ系日本人のクレシーニ・アンです。「アンちゃん」と呼んでね!「アメリカ系日本人」という表現は日本語の辞書には載っていないだろうけど、日本語には毎日のように新しい単語が誕生するけん、勝手に作ってもよかろう?
去年まで、私は外国人だった。だけど、令和5年11月21日に人生が変わった。その日、私は念願の日本国籍を取得。日本人になった瞬間の喜びは、一生忘れない。今までで一番手に入れたかったものが本当に手に入った。今までで一番叶えたい夢が叶った。
喜びの後に突如舞い込んだのは・・・
皆さんは、「日本人でよかった!」と思ったことはある?
私はもちろんあるし、日本人になってから、1日何十回と口にもした。さらに、毎朝起きるたび「今日も明日も、私はずっと日本人だ!」と叫んでいた。ストレスがある日も、物事があまりうまくいかなかった日も、「まあ日本人やけん、なんとかなるさ!」と前向きに思えた。とにかく毎日、言葉に表すことができないくらい喜びに満ちあふれていた。
けれど程なくして、ここには書けないくらいのひどい誹謗中傷を受けた。約2カ月間、その誹謗中傷やヘイトコメントは続いた。
自分のことを精神的にめっちゃ強い人間だと思っていた私だけど、心が折れた。日本が嫌になったり、日本人になったことさえも後悔したりしてしまう。何日も食事が摂れなくなり、日本人になった喜びを奪われた。本当に残念でたまらなかった。
それから数カ月が経ち、今、私はだいぶ立ち直っている。私を応援してくれている家族や友達のおかけで、今回の経験について冷静に考えるようになった。そしてこの経験は、さまざまなことについて考えるきっかけにもなった。
「多様性」、その意味と意義
私はここ数年、多様性や多文化共生の大切さをテーマに講演を行っている。これまでは、長年日本に住んでいる「外国人」として、誰もが快適に過ごせる日本社会にしていくために、周りと方たちと力を合わせて頑張ってきた。そして現在は、アメリカ系日本人として、外国人と日本人の間にある距離が少しずつ縮まるよう、よりいっそう頑張っていきたいと思う。この新連載のタイトル「多様性の懸け橋」には、そんな思いも込めている。
ただ、「多様性」という単語は、意見が激しく対立するキーワードと言える。「多様性なんていらない」「多様性は日本文化を壊してしまうものだ」と思っている人は少なくない。同時に、グローバル化している日本社会にとって「欠かせないものだ」と思っている人もたくさんいる。
私の思う多様性とは、「日本の文化を大切にしながら、少しずつ、他の人・地域の文化や考えを取り入れていくこと」です。つまり、多様性によって日本文化が壊されるわけではなくて、今以上に素晴らしい日本になると期待している。本物の多様性は日本を強くする。その多様性が、外国人と日本人の懸け橋になると信じている。
「懸け橋」がつなぐもの
なぜ今、このテーマが大事なのか。皆さんはどんなふうに考えますか?
コロナ禍が明けてからというもの、海外からの観光客そして日本在住の外国人の数は急激に増えた。現在、341万人もの外国籍の人々が日本に住んでいるそうだ〔*1〕。今では「外国人に会ったことがない・話したことがない」という日本人はそんなにいないんじゃないだろうか。
少子高齢化が進む中、外国人なしには日本の経済が回らなくなると言われている。円安の影響で急増した外国人観光客は、もちろん経済的にいい影響を与えているものの、そのあまりの数の多さによって、マナーの悪さやルールを守らない行為が最近大きなニュースとなっている。その結果、外国人と日本人の間にできてしまった「隙間」。そうした現状だからこそ、懸け橋が必要だ。
私たち日本人が、どのようにして外国人と共生して、一緒により良い日本の社会を作っていくのか――。その鍵こそ、多様性だと私は思う。本物の多様性とは、どちらか片方だけが完全に譲るのではなく、お互いに寄り添い合うということ。2つの間の隙間を縮めるのが、「多様性の架け橋」だと言える。
「日本人になる旅路」を綴っていく
この連載では、「外国人だった私が日本人になる旅」について書くことにした。
「なんで日本人になりたかったの?」
「家族の反応はどうだった?」
「手続きは大変だった?」
「アメリカ国籍はどうなるの?」
「日本人になってよかった?」
「そもそも『日本人』の定義って何?」
「これからどういうふうに生きていきたいの?」
こうした質問について一つひとつ、皆さんと一緒に考えていきたい。私の旅路の中に、多様性の懸け橋につながるヒントがあるなら、それは何よりも嬉しいことだ。
第1回のこの記事では、アンちゃんがまだ日本語能力ゼロだった初来日のときの話をするバイ!では、行くよ!
寒い、つらい、帰りたい!初来日の記憶
「霜焼け」は英語でなんて言う?(アメリカ人も知らなかった)
私は典型的な「アメリカの田舎者」だ。アメリカの東海岸にある、バージニア州の田舎町で生まれ育った。ローストビーフやパンをたくさん食べ、野球をずっとやっていて、頭のてっぺんからつま先まで「THE アメリカ人」だった。
初めて日本に来たのは1997年。日本語も日本の文化も全く分からなかった私は、なかなか日本になじむことができなかった。ちなみに、当時住んでいたのは関西地方にある兵庫県神戸市。
慣れないことはたくさんあって、その中の一つが「家が寒すぎる!」こと。セントラルヒーティングの王国アメリカから来たものだから、寒い家、寒いスーパー、寒い学校にはびっくりした。それまで、世界で一番寒い場所は南極かロシアだと思っていたのが、「いや違う、日本の小学校の体育館に違いない!」と思うようになったほどだ。
人生初の霜焼けも経験した。アメリカで霜焼けを目にしたことはないから辞書で調べてみると、見たことのない英語が――「chilblains」。アメリカではあまりにも珍しすぎて、きっと多くのアメリカ人が私と同様、chilblainsを知らないだろうな。
話せない、仕事がない、友達もいない・・・
食事にも苦労した。大学までほとんど魚を食べたことがなかった私にとって、魚料理マニアとも言える日本で、自分の食べられるものを見つけるのは大変やったなあ。とにかく、海でとれるものは食べないようにしていたから。当時は日本料理が好きじゃなくて、普段なら食べないファストフードやジャンクフードを食べまくっていた。
その結果どうなったかというと・・・
ずっと調子が悪かったとです・・・。当時の神戸市内にあった病院のほとんどで診察を受けた気さえするくらい。おかげさまで、私の医療用語の知識は半端ない!
でも、一番の悩みは間違いなく「言葉の壁」だった。仕事が見つからない、友達がいない、1人で何もできない。孤独な毎日が続いていた。日本語の日常会話さえ話せていたら、きっと生活は楽しくなっただろうに、当時の私は日本が大嫌いやったから、日本語を勉強する気は皆無。毎日、ホストファミリーの寒い家で、バリでかい掛け布団にもぐり込み、必死に神様に祈っていた。「早くアメリカに帰らせてください!」と。
「隣人です」ではなく「外人です」!?
そうして日本に来てから約4カ月が経った頃、ホストファミリーの家を出て引っ越し、マンションで一人暮らしをすることになった。「一応日本に住んでいるけん、日本人っぽく引っ越しの挨拶をしに行こう」と思った私は、食器用洗剤を買い、一生懸命「つまらないものですが」という言葉を覚えようとしたものだ。
引っ越しの挨拶は、文化の違いをめっちゃ感じることの一つ。というのもアメリカの場合は、引っ越したら近所の人の方から挨拶をしに来てくれることが多い。日本の逆だ。また、そのときには洗剤のような消耗品ではなく、手作りの何か(クッキーやケーキなど)をプレゼントとして持っていく。そして最後に、「つまらないものですが」ではなく、「このクッキー、めっちゃおいしいから食べてね!」みたいな感じで、自信満々なことを言う。
そして当日。隣の部屋の人に会う準備をして、ドキドキしながらドアをトントンとノックすると――中から声が聞こえてきた。
「誰ですか?」
やばい。英語の I’m your new neighbor. って、日本語でなんて言ったらいいのか分からない!困りまくってしばらく考えた後、「外人です」と答えた。女性が笑いながら出てきてくれて、私は無事に洗剤を渡すことができたのだった。
もちろん、自分の家に戻ってからすぐに「neighbor」を調べてみた。なるほど、「隣に引っ越してきた者なんですが」と言えばよかったのか・・・。
大好き&大感謝!Kiroroと出会い
この体験が、日本に来てから初めてのターニングポイントとなった。いつまで日本にいるかはわからない、だけど、永遠に掛け布団にもぐり込んだままでいるなんて無理だ、と気付いたから。
私は「ある程度の日本語能力を身につけなければ」と決意し、次の日から、必死に日本語を勉強し始めた。日本語教師の資格取得を目指す友人にも家庭教師として教えてもらいながら、少しずつ日本語を話せるようになっていった。アメリカに帰る前には、日本語能力試験のN3、N4レベル〔*2〕を取得。日本語が話せるようになればなるほど、生活は楽しくなっていき、そうして初めて「言葉」の大切さに気付かされた。
言葉は、人間と人間をつなげるものなんだ。言葉で人を大いに励ますことができるし、逆に、深く傷つけることもある。冒頭で述べた誹謗中傷の件を通して、私はその現実を改めて実感した。
日本語に、日本の文化に恋をした
家庭教師を務めてくれた友人との出会いにめっちゃ感謝しているのはもちろん、私にはもう一つ、奇跡的な出会いがある。それが、1998年にメジャーデビューした女性2人組の歌手、Kiroroだ。
J-POPが大好きだった私は、よくカラオケに行った。日本語の歌を歌うことは楽しい上に、漢字の勉強にもなったし、発音の練習だってできた。それでいて、カラオケにはちっとも「勉強している感じ」がなく、ただただ楽しかったとです!
《アンちゃんのKiroro愛についてもっと知りたい方はコチラ》
Kiroroのバラード曲はすごく歌いやすかったし、歌詞を通して日本語、そして日本の文化の美しさを感じた。きっと、そのとき日本語に恋したと言っても過言じゃないと思う。いつかKiroroの玉城さんと金城さんにお会いして、感謝の気持ちを伝えたい!お二人がこの記事を読んでくれたらいいなあ。
その後、私はいったん2000年にアメリカに戻っている。そのときは「もう二度と日本に住むことはないだろう」と思っていた。もちろん日本の生活は楽しかったし、たくさん良い友達もできたものの、日本に住むことはあくまで「一時的」なものだったからだ。母国アメリカに戻り、そのままアメリカで働き続けるつもりだった。
けれど、アメリカでずっと暮らすことが私の運命ではない――そう気付かされることになる。Kiroroとはまた別の、もう1人との奇跡的な出会いのおかげで、日本との絆がさらに深まったから。
次回の記事では、その素敵な出会いについて話すけん、お楽しみにね!
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