多様性のために自分のレンズを外す:「無意識の偏見」に気付くきっかけは日本の「添い寝」だった【多様性の懸け橋 (6) 】

世界中の言葉や文化、そしてそれぞれの違いが大好き!な言語学者のアンちゃんことクレシーニ・アンさん。アメリカ出身で、昨年待望の日本国籍を取得して「アメリカ系日本人」と自らを称するアンちゃんが、「多様性」を軸にさまざまな考えをつづります。今回は、妊娠・出産・子育てに関する日本とアメリカの違いについて、アンちゃんと一緒に見ていきましょう。

「○○系日本人」が定着する未来

皆さん、ヤッホー!私は福岡県在住、アメリカ系日本人のアンちゃんです。

「アメリカ系日本人?それってありなの?」と言いたくなった人がいるかもしれない。確かにあまりなじみのない言葉だろうけど、日本人はいつだって魅力溢れる新語を作り出せるから、私も勝手に作って使ってみた。

私の母国アメリカでは、普通に「Chinese-American(中国系アメリカ人)」「Japanese-American(日系アメリカ人)」「Mexican-American(メキシコ系アメリカ人)」といった表現が使われる。でも、日本では「○○系日本人」という言葉はなかなか聞かないよね。なぜかというと、アメリカのような「移民の国」ではないからだ。

2023年、日本で帰化した外国籍の人たちの人数は8,800人〔*1〕。一方、アメリカはというと、その数なんと87万8,500人〔*2〕。桁が違う!

現在、日本に住む外国人の割合は、日本の総人口に対して2%強となっている。少なく思えるかもしれないが、少子高齢化や総人口の減少は進む一方で、在留外国人の数は大きく増加しているのだ(コロナ禍の2020年、2021年を除く)。ある調査では、2067年には在留外国人の割合が10%に上ると予測されている〔*3〕。その頃までにはきっと、「○○系日本人」という表現も日本語として定着するだろう。

とはいえ現在、「多様性」や「多文化共生」が広く、十分に理解されているとは言い難いと感じる。行政機関・自治体・学校などが、毎日のように多様性に関する話をしても、
「一体どういう意味なんだろう?」
「日本の素晴らしい文化や価値観、集団意識などが多様性によって壊されるのではないか?」
「日本が多様性社会になる必要は本当にあるの?」
「今のままでいいんじゃない?」
――このように考える人も少なくないと思う。

私はこの連載で、25年に及ぶ日本での生活で経験したさまざまなエピソードを土台にして、私が考える「本物の多様性」について語っている。「本物の多様性」とは、日本の文化を壊すのではなく、生かすものだと思う。

さて、今回で第6回目の記事になります。今回が初めての方や、まだ読んでいない回がある方は、ぜひこれまでの記事をさかのぼってみてくださいね!

今日は、妊娠・出産、そして子育てによって学んだ多様性について書くバイ。では始めよう!

日本:じっとする、アメリカ:動き回る!?

前回は、初めての妊娠についてざっと話したけれど、今回はもうちょっと詳しく、外国としての日本で赤ちゃんを出産することや、子どもを育てることについて書くね。

2005年1月に妊娠していると分かり、10月に娘が無事生まれた。その間に気付いた、文化や価値観の違いは数知れず。まず、日本では妊娠が「病気」のように扱われていると感じた。妊娠したら――めっちゃゆっくりするのだ!運転を控える人や、仕事を辞める人がいる。とにかく、バリバリ気を配る。そして、産後しばらくは家から出ない。

一方、アメリカは全然違う。私の義理の妹は、妊娠5カ月目までお腹周りに枕を巻き付け、ムエタイボクシングで汗を流していた。私の母は、弟の出産の際に産休を3日間しか取っていない。金曜日に産んで月曜日には復帰した。

産後、赤ちゃんと母親が翌日に退院するのも一般的で、退院した後、母親は普通に動くし、赤ちゃんをいろいろな所へ連れていく。日本のように「1カ月ルール(1カ月健診まではなるべく外出しない)」のような暗黙の了解はない〔*4〕。

私は割と元気な妊婦やったから、しょっちゅう運動して、普通に働いてもいた。1人目を産んだときこそ6カ月ほど仕事を休んだが、2人目と3人目のときはそれぞれ6週間、8週間しか育児休暇を取らなかった。1年以上の育児休業も珍しくない日本で、周りのママたちは、このワイルドなアメリカ人ママをどう思っただろう。

  • 〔*4〕編集部注:産褥期の過ごし方や外出可能なタイミングなどについては、担当医・医療機関等に要相談。

妊娠・出産:日本とアメリカの違い

また、日本では定期的な妊婦健診がある。妊娠・出産に関する費用は基本的に健康保険の適用外だけど、出産一時金の支給や自治体による助成・手当などがあり、それらをあてがうことができる。妊婦健診では、毎回超音波検査が行われることが多い。〔*5~7〕

一方、アメリカでは費用の公的補助はない。通常の妊娠であれば、約10カ月の妊娠期間中、2回程度しか超音波検査は行われない。超音波検査は「一大イベント」と捉えられていて、夫が仕事の休みを取って妻と一緒に妊婦健診に行くことも珍しくないのだ。日本だと、妊婦健診の際に例えば風邪を引いていて薬が必要なとき、その診察でも超音波検査を受ける。私はそうだった。多分、娘3人分を合わせると、超音波検査の写真が100枚以上はあると思う。

3人目の娘さんを妊娠中のアンちゃん(左)と、
3人が揃った後の親子写真(右)。

ムツウブンベン、プリーズ!

そして、日本人が無痛分娩を選択しないことにはびっくりした。アメリカでは出産全体の約7割が無痛分娩であるのに対して、日本ではいまだにあまり選ばれていない。無痛分娩可能な施設や麻酔科医の不足など、コスト・人員の問題によって、妊婦さんが希望しても対応が難しいケースは少なくないようだ〔*8〕。

かく言う私も、無痛分娩を選択しなかった一人。「めっちゃ痛いよ!」と経験者からたくさん言われたにもかかわらず、「まあ、日本人の妊婦さんが我慢できたように私もできるやろう」と思っていた。

しかし・・・あれは出産を体験しないとわからない痛みだった。この世にあるさまざまな種類の「痛み」の中で、間違いなく私は「出産の痛み」が一番苦手だ。前回の記事でも少し触れたが、痛みに弱いアメリカ人だった私は、途中で「ムツウブンベン、プリーズ!」と叫んだ。でも残念ながら、陣痛の進み具合が早過ぎたから叶わず・・・。

陣痛が始まってから8時間後、かわいい長女が生まれた。「二度とこの痛みを感じたくない」と思ったから、もしもう一人産むことになったときは絶対に無痛分娩にする!と心に誓ったものだ。(でも、数万円かかる無痛分娩の費用を出さなくて済んだので、そのお金を回してVIP用個室に滞在することができた。最高やった、マジで!)

出産に「我慢」「達成感」が必要?

私としては、妊婦さんたちが無痛分娩を選択しないことが不思議で仕方なかった。あの嫌な、とても耐えられない痛みを弱める薬があるのに、どうして使わないの?と。そこには、いろいろな理由があるのだろう。赤ちゃんと母体へのリスク。「我慢」の精神。そして、つらいことを乗り越える「達成感」。

一方、多くのアメリカ人にとってのゴールは「健康的な赤ちゃんが生まれること」だ。必要のない痛みを取り去る方法があれば、使いたい人はたくさんいると思う。私は、「我慢」「達成感」といった出産にまつわる考え方を理解できず、友達に対してずっと無痛分娩の魅力について語っていた。無痛分娩を経験したことがないのに、だ。面白いよね。

寝かし付けも大きく異なる

「添い寝」も理解できなかったことの一つだ。アメリカの家庭の多くは、生後間もなく赤ちゃんを別室で寝かせる。赤ちゃんの部屋(子供部屋)のことは、nurseryと呼ぶ。赤ちゃんが泣いたらあやしに行ったり母乳を飲ませたり、おむつが汚れていないかどうかを見たりと必要なケアはするけれど、基本的に、夜泣きしてもそのまま寝かせておくのが普通だ。

日本人にとっては「赤ちゃんを泣かせたままなんてひどい」のかもしれない。だが、アメリカの考えでは、これは「赤ちゃんを自立させる最初の一歩」。そして、成長するにつれて、赤ちゃんはどんどん泣かなくなっていく。子どもが1人で寝るようになれば、夫婦の時間を確保できる。

一方の日本人――特にお母さんたちは、赤ちゃんとずっと一緒にいる。ずっと抱っこしているし、寝るのもずっと一緒。これが長年理解できなかった。

「自分の時間が欲しくないの?」「疲れないの?」「旦那さんと2人の時間を過ごしたくないの?」と疑問だらけの私は、日本のやり方を批判したり、友達に対してアメリカ流の育児をやってみるよう説得したり、なんてことも。振り返ってみると、無意識のうちに上から目線になっていたなあ。

添い寝への疑問が気付きをくれた

そんなある日、「どうして日本人は添い寝をするんだろう?どうしてアメリカ人はしないんだろう?」と考え出した。答えはきっと、価値観や世界観の違いにある。私が気付いたのは、日本では、子どもが家庭の中心になっているということ。対するアメリカでは、夫婦の関係が中心だ。もちろん、全ての人がそうというわけではないが、この基本的な違いによって、多くの文化・習慣が生まれているのだと思う。例えば、単身赴任や里帰り出産など。

私自身、本当に目から鱗(うろこ)で、それまで理解できなかったことが、ストンと腑に落ちるようになった。日本の夫婦の多くは、赤ちゃんが生まれるとすぐ、お互いを「ママ」「パパ」と呼び合うようになる。これも、「夫婦」よりも「子ども」を家庭の中心に置いているからだ。

こうした違いに気付いたからこそ、角が取れ、丸い人間になれた気がする。「正しい」と「正しくない」、「良い」と「悪い」、「普通」と「おかしい」という、自分を中心とした考えから、「まあ、文化や世界観が違うんだからそれでいいんじゃない?」という考えになった。自分のレンズを通して他の人の行動を見ると、当然、批判する心が生まれてしまう。だから、そのレンズを外して相手のレンズをかけることこそ、多様性に欠かせない行動だと思っている。

添い寝し合うアンちゃん親子。
娘さんからspooningされるアンちゃんもまた、娘さんを
spooning。spooningとは、背後から抱き占めること。
スプーンが同じ方向に重なっている状態に似ている
ことから生まれたスラングです。

誰もが持つ「無意識の偏見」

例えば、ある日、学生たちとイスラム教について話したときのこと。「どういうイメージがある?」と尋ねたら、1人が「嫌なイメージだ」と答えた。詳しく聞いてみると、「豚肉を食べないから。だって豚肉はおいしいもん」と言う。

その学生は、自分のレンズを通してイスラム教を見ていた。つまり、自分は「豚肉が好き・豚肉はおいしい」と思っているから、そう思わない人を「おかしい」「かわいそう」と感じてしまったというわけだ。だけど、イスラム教徒はそもそも豚肉を食べたことがないから、おいしいかどうか知らない・分からないし、彼らは自ら望んで、彼らの神様のために豚肉を食べない〔*8〕。きっと、自分のことを「かわいそう」だとは思っていないだろう。最終的に、その学生も納得していた。

こうした無意識の偏見は、多様性の妨げになる。そして、私たち人間はみな、無意識の偏見を持っている。私もアメリカの妊娠・出産・子育てしか知らなかったから、それが「正しい」と思い、日本の妊娠・出産・子育ては「変だ」という先入観・偏見を持っていた。同じように、日本ではそれこそ何千年にもわたって日本ならではの子育てが行われているのだから、私が「そのやり方は変だと思うこと」自体が「変」に当たるだろう。

多様性への学びはこれからも続く

私は、4年間で3人の娘を産み、彼らを日本の保育園・小学校・中学校・高校に行かせた。子育てに関して正解はないし、アメリカと日本、それぞれのいいところを取り入れてきたと思いたい。「正しく」子育てをしている自信はなく、「正しく」したいかどうかもよく分からない。周りのママたち・パパたちと同じように、子どもを愛しながら必死に頑張っているだけだ。そして、それでいいと考えている。

今回は、日本での妊娠・出産を通じて、身をもって多様性について学んだ経験を話したわけなんだけど、この経験こそが、アンちゃんの学びのスタートだった。一番上の娘が生まれたのが18年前。その日から今までに数えきれないほど多くのことを学んだし、何よりいまだに学びは終わっていない。人間というのは、「理解ある人」になるために、一生学ぼうとする心が大事なのだと私は考えている。

今後の記事でも、「学ぼうとする心」についてはちょくちょく触れていくね。そして、妊娠・出産の経験もまた、私に素敵な「ご縁」をもたらしてくれたんだ。次回はそれがテーマです、お楽しみに!


クレシーニ・アン
クレシーニ・アン

アメリカ・バージニア州生まれの日本の言語学者(海外語学研修・言語学)。学位は応用言語学修士(オールド・ドミニオン大学・2002年)。北九州市立大学基盤教育センターひびきの分室准教授。和製英語と外来語について研究している。作家、コラムニスト、ブロガー、コメンテーター、YouTuber、むなかた応援大使、3人の娘を持つ母。(写真:リズ・クレシーニ)

●ブログ:「アンちゃんから見るニッポン
●Instagram:@annechan521
●X:@annecrescini

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