初めての妊娠と出産:不安だらけの日々に寄り添ってくれた、とにかく明るい友達とのご縁【多様性の懸け橋 (5) 】

アメリカ出身で、昨年日本国籍を取得した言語学者のアンちゃんことクレシーニ・アンさんの連載第5回。言葉や仕事、人間関係などを通して感じた「多様性」への考えや、これまでに関わった人々への思いをつづります。今回は、アンちゃん初めての妊娠・出産と、それを支えてくれた友達との「ご縁」を振り返ります。

語学の才能は、ゼロです!

ヤッホー!福岡県在住、アメリカ系日本人のアンちゃんです。

私はアメリカ・バージニア州のド田舎生まれ&育ちで、昨年、念願の日本国籍を取得した。このアメリカ出身のカントリーガールが、日本人になる旅についてつづる連載の第5回。もし今までの記事を読んだことがない人は、ぜひさかのぼってチェックしてみてね!今回は、「日本語」の話をいろいろしたいと思います。

では今日も、一緒に「アンちゃんの日本人になる旅」に出発しようぜー!この旅は無料です!

皆さんは、自分の目指すゴールに到達するために一生懸命頑張った経験はある?「何よりもこれが欲しい!そのためならいくらでも頑張る!何でもする!」みたいな気持ちになったことは?私は、今までの人生で2回、そういう気持ちになった。1回目は、日本語能力試験の1級を取ると決めたとき。そして2回目が、帰化申請を決めたときだ。

日本語能力試験に向けては、5年以上勉強した。文法のドリルを解いたり、何回も漢字を書く練習をしたり、一生懸命言葉を覚えて語彙を広げようとしたり――それはもう死ぬほど日本語を勉強した。だから、「アンちゃんは日本語がうまい。語学の才能があるね!」と言われるたび、正直ちょっとイラッとする。日本語がうまいのは、死ぬほど日本語を勉強したからに他ならないから。

それに実は、私に言語の才能は全くない。笑えるほど、ない!私の母は高校でフランス語の教師をしていて、私も高校の4年間フランス語を勉強した・・・のに、今はフランス語のABCソング(アルファベットの歌「La Chanson de l'Alphabet」)と「We Wish You a Merry Christmas」のフランス語バージョンしか覚えていない、マジで。

フランス語のABCソング。
英語のABCソングと同じメロディーなんですね。

数年前にフランスに行ったけれど、口を開くたびに出てきたのは日本語だった。私の脳みそにある「外国語」のスペースは、一つの言語限定になっているらしい・・・。中国語と韓国語を頑張って勉強したこともあるものの、どちらも習得できなかった。

日本語が本当の私を表現してくれる

正直に言うと、日本語を話せるようになったのは勉強以上の「何か」のおかげだと思っている。その「何か」を、私は才能だとは考えていない。

バリドラマチックに聞こえるかもしれんのやけど・・・私は、日本のために生まれたから日本語を話せていると思う。でも、勘違いしないでね!「日本を変えるため」とか「日本を救うため」とか、そういう意味じゃない。私が、自分自身のことについて、「日本に住むことが私の運命だ」と思っているだけだ。

死ぬほど日本語を勉強したのはもちろんだけど、たまに、習った記憶のない表現が口から突然出てくることがあって、「あら?いつ、どこで、こんなの習ったっけ?」みたいな感じになる。そのエクストラな日本語能力は天から降りてきたのかも。知らんけど。

とにかく、日本にいると私は幸せだ。英語より日本語を話しているときの方が、本当の自分を表現することができる。もちろん、「上手」なのは英語の方。文法のミスは絶対にしないし、語彙力も英語の方があるし、発音もイントネーションもバッチリ。一方の日本語はといえば、分からない単語やことわざに毎日直面する。イントネーションは若干おかしい。そして、どんなに勉強しても、助詞の「が」と「は」の違いが永遠に分からない。多分、日本人のネイティブの人たちにとっても、きちんと説明するのは難しいんじゃないかな。こういう「なんとなくこれが(は)正しい」感は、なかなか完璧には会得できない。

とはいえ、日本語を話しているときは、マジでI feel alive!! だよ。めっちゃ幸せな気分になる。自分が考えていること、感じていることを表現できる。特に、日本の文化について話すときは、日本語を使いたい。

また今後の記事で詳しく書く予定だけど、私は全国で講演活動を続けていて、その95%は日本語で話している。やけどたまに、本当にごくたまに、「英語で話してください」という依頼が来る。初めてそういう依頼が来たときは、めっちゃパニクったものだ。「ヤバい、英語で話せるだろうか?」――全く自信がなくて、交渉した結果・・・日本語で話していいことになったよ!(笑)

それ以降も、英語での講演依頼はたびたびあったから、勇気を出して臨んだ。どれもうまくいったけれど、やっぱり私の講演活動には「日本語の魂」がある。日本語で話した方がインパクトが強いし、内容も面白いと思う。あるとき、友達にも「なんかよく分からんけど、アンちゃんは日本語を話してるときの方が面白い気がする。英語だと、なんか・・・つまらん」と言われてしまった(笑)。友達がそのつもりで言ったのかは分からないけど、褒め言葉だったと受け取ろう!

念願の1級を手に入れたのに・・・

読者の皆さん、私が言いたいことを分かってくれるよね。同じような経験をされた方もきっといるだろう。外国語を話しているときは性格が変わったり、自由になった感じがしたり、という経験。外国語には人間を変える力があるんだと思う。少なくとも、日本語は私を変えてくれた。

だけど、2005年、日本語能力試験の1級〔*1〕に合格した後しばらく、「日本語の迷子」になったことがある。日本語能力試験には4級、3級、2級、1級の順で挑戦し、そして合格していったから、私の目の前にはずっとゴールがある状態だった。

1級合格の喜びは半端なかったんだけど、その後すぐ、ちょっとブルーになっちゃったんだ。「じゃあ、これからはどうしたいいの?」と。どう見ても、どう聞いても、私の日本語はパーフェクトではない。ネイティブとはレベルが違う。もちろん、日常生活では困らなかったし、友達と普通に会話もできる。それでもやっぱり満足はできない。もっともっと上手になりたいという気持ちが募った。

  • 〔*1〕編集部注:1984年に開始された日本語能力試験は、途中で改定を実施。2010年、4段階(1級、2級、3級、4級)から5段階(N1、N2、N3、N4、N5)へとレベルが増加しました。クレシーニ・アンさんはいずれのレベルも改定前に合格しているため、この記事では旧レベルでの表記とさせていただきます。(参照:日本語能力試験公式ウェブサイト https://www.jlpt.jp/

幸せを振りまく友達・淳子さん

ところが、その後ほどなくして、日本語について考える余裕のない時期に突入。なぜなら2005年1月、第1子の妊娠が分かったからだ。そしてそのおかげで、とても大事なことに気付かされた。「勉強」は、必ずしも教科書と学校が必要だとは限らない、ということ。妊娠期間中、一度も教科書を開くことはなかったにもかかわらず、日本語の語彙力は爆発的に増えたのだ。「つわり」「安定期」「母子手帳」「妊婦」「胎盤」「陣痛」「安静」など、気分はまるで妊娠・出産関連の専門家だったバイ。

初めての妊娠はその始まりから困難だらけだったけれど、ここでもまた、日本人の友達が私を救ってくれた。

その友達が、日本に来てすぐの頃に教会で出会った淳子さんだ。淳子さんはとにかく明るい。人生をめっちゃ楽しんでいると同時に、信仰深い人でもある彼女は「天国に行くことも楽しみ過ぎる」そうだ。つまり、生きているのも、天国に行くのも、どっちもいい!最高!って感じ。

淳子さんと一緒にいる人は必ず幸せになる。言い換えると、淳子さんの「生きる喜び」は周りの人にうつる。コロナウイルスよりも、淳子さんのその喜びの方が感染力が強い。

大切な友達、淳子さんとのツーショット。淳子さんの
「生きる喜び」が伝染して、アンちゃんの表情も楽しそう。

泣きじゃくる私のもとに駆け付けてくれた

最初の妊娠が分かったのは、潰瘍性大腸炎という病気がきっかけだ。

私は大学時代からこの病気を抱えていて、それがたまに再発する。2005年1月の再発は本当につらかった。発熱症状もあってインフルエンザの感染も心配な上に、生理が数日間遅れていた。かかりつけ医に全て伝えたところ、「ハイリスクだから入院した方がいい」という指示が・・・。あまりに突然過ぎて、泣きながら淳子さんに電話すると、すぐさま病院に飛んできてくれた。

日本語能力試験1級の資格を持っていても、漢字ドリルを解くことと外国で赤ちゃんを産むことは全く違う。うまくコミュニケーションを取れるかどうか不安があったため、英語の得意な淳子さんを頼りにした。淳子さんは、その日から出産までずっとそばにいてくれた。ちなみに、私の子ども3人の出産全てに立ち会ってくれている。「淳子さんがいないと産まない!」くらい、私にとって大事な存在だ。

入院後はすぐに妊娠の検査。看護師さんが「陽性だよ」と伝えてくれたのものの、当時の私はその言葉を知らない。淳子さんに「『陽性』って何?」と尋ねると、ニコニコしながら「あんた、妊娠してるよ!よかったやん!」。

その後、いろいろあったけれど10月に長女を無事出産。死ぬほど痛かった・・・。妊娠中、何人もの人から「出産はバリ痛いよ」と言われていたとはいえ、あれは経験するまで分からないな。途中で痛みを我慢できなくなって、力の限り「無痛分娩、please!」と叫び出したのに、陣痛があまりに早く進み過ぎたせいで結局できなかった。

一番苦しいタイミングで看護師さんが「力が必要だからご飯を食べた方がいい」と優しく言ってくれたんだけど、私の返事は「食べるどころじゃなかろう!」。まるで私の代わりのようにおいしそうに私用の食事を食べていた夫と淳子さんに対して、殴りたい気持ちさえ浮かんできたくらいだ(笑)。

アンちゃん夫婦と生後間もない長女のスリーショット。
夫のリズさんはカメラマンで、記事のプロフィール部分に
あるアンちゃんの写真はリズさん撮影なんですよ。

友とのご縁、友への感謝はこれからも続く

そして、陣痛で8時間半苦しみ抜いた後に聞こえてきた、長女の泣き声。なんという素晴らしい音だろう!もちろん、ママになったことはうれしい。でもとにかく何より、痛みがなくなったことへの感謝の気持ちが一番だった。

(左) : アンちゃんお気に入りの1枚。3人の娘さんたちと。
(右) : すっかり大きくなった娘さんたちの後ろ姿。

私の出産は「安産」だったそうだが、ちょっと待ってほしい!どう考えても、あれはeasyじゃなかった!その日気付いたのは、「安産」とは「痛くない」とか「楽」だという意味じゃないということ。異常や問題なく、比較的早く赤ちゃんを産むという意味だそう。なるほど、勉強になった!やっぱり、「人生」は最高の先生だ。

ずっとそばにいてくれた淳子さんには感謝しかない。日本語のサポートは結果としてあまり必要にならなかったけれど、隣にいてくれるだけで安心できた。こういう「安心感」をお金で買うことはできない。改めて、日本の素敵な「ご縁」を深く感じた。最初の出産から19年間を経た今も、淳子さんと私は仲がいい。

長女の誕生後は、もちろん大幅に人生が変わった。いいことも悪いこともたくさんあった。次回は、私が長年闘った摂食障害の再発について話します。ちょっとダークな話だけど、いつものように素敵な友達に救われた。やけん、楽しみにしておいてね!


クレシーニ・アン
クレシーニ・アン

アメリカ・バージニア州生まれの日本の言語学者(海外語学研修・言語学)。学位は応用言語学修士(オールド・ドミニオン大学・2002年)。北九州市立大学基盤教育センターひびきの分室准教授。和製英語と外来語について研究している。作家、コラムニスト、ブロガー、コメンテーター、YouTuber、むなかた応援大使、3人の娘を持つ母。(写真:リズ・クレシーニ)

●ブログ:「アンちゃんから見るニッポン
●Instagram:@annechan521
●X:@annecrescini

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