AI翻訳時代に、私たちはなぜ映画『バービー』を英語で見るべきか【言葉とコミュニケーション】

連載「言葉とコミュニケーション」第33回。AI翻訳の時代、英語学習に価値はあるのでしょうか。映画『バービー』を引き合いに、脳科学者、茂木健一郎さんが言葉を超えた文化の奥深さを語ります。AIのフィルターを通さない、直接体験の重要性とは?

英語コンテンツに英語で触れることの意味

英語の話自体は、もうしなくてもいいのかなと最近時々思っている。

人工知能による翻訳は非常に高いレベルに達し、英語を知らなくても、使えなくても、ビジネスでも実生活でも、それほど困らない時代になってきている。入試や就職などで英語ができた方が有利な状況はまだ続くかもしれないけれども、一人の人間が、どうしても英語を習得しなければいけないという必要性は減ってくるかもしれない。

だからこそ、あえて言いたい。英語のコンテンツに積極的に、しかもできれば英語を通して、じかにアクセスしようと。

映画『バービー』に見る「政治的正しさ」のバランス

映画『バービー』を公開初日に見た。直前に、別の映画『オッペンハイマー』と結び付けたネットミームが批判されて、日本での人気が心配されたが、私の行った劇場は満席だった。

女性監督、グレタ・ガーウィグによる渾身(こんしん)の作品。最初から最後まで面白かったし、いろいろと刺激された。

元々の「バービー」人形は、その由来において、古典的な女性らしさを強調した文化である。恋人の「ケン」との関係も、その起源においては、男性、女性の役割として人々が伝統的に思い描くような世界観の中にあった。

そんな「バービー」の映画化。青春のほろ苦さを描いた『レディー・バード』(2017)などの傑作を生み出してきたガーウィグ監督がどのような作品を生み出すのだろうとわくわくして見たが、やはり期待を裏切られなかった。

男性と女性、あるいはさらに多様なジェンダーの関係。さまざまなエスニシティーの方の文化、そして個性。ファンタジーと現実の間の緊張感。ビジネスと、一人一人の幸せの問題。現代について考える上で大切なさまざまなことを、ガーウィグ監督は見事なバランスをとって描き、見終わった後、大きな感動があった。

「エンタメ」としての価値と、「政治的な正しさ」の間には常に緊張感がある。先に公開されたディズニー映画『リトル・マーメイド』の主役のキャスティングをめぐり、さまざまな議論があったことは記憶に新しい。

映画『バービー』は、ある意味では、「政治的な正しさ」のバランスの迷路をうまくくぐり抜けた作品であった。「バービー」も「ケン」も複数いて、さまざまなエスニシティーの人が演じている。ストーリーは、どちらかといえばバービーが主導権を握る形になっていて、それはケンが「ぼくはいつもナンバー2(I’m always number two.)」と嘆く歌にも表れている。

『バービー』を見て以来、私は「ぼくはいつもナンバー2」という言葉が好きになってしまった。ちなみに、私は英語ではいつも「ケン」と名乗っている。

映画の主人公は、あくまでもバービーだ。そんな中、ケンやその仲間たちが突然「男らしさ」に目覚めたり、バービーが、ハイヒールに象徴される「女らしさ」をめぐっていろいろ葛藤したり、かわいくなりたい、かっこよくなりたいという欲求が描かれていたりと、単なる「政治的正しさ」では収まらない人間らしさがあふれているのが、映画『バービー』の魅力となっている。

心ある人たちが首をかしげる日本の現状

思えば、それぞれの地域、文化に固有の創造の現場があるのだろうと思う。食文化について言えば、多くの人が指摘しているように、日本は世界の中でも創造の中心の一つである。とりわけ、さまざまな多様な要素をうまく「なごみ」の精神で混ぜ合わせる洗練されたやり方は、世界のあこがれになっている。

一方で、ジェンダーや多様性の問題については、日本はどちらかといえば追いかける側といえる。とりわけ、さまざまなエスニシティーの方々が入り交じり、ジェンダーについての議論が盛んに行われているアメリカから見ると、日本はこれらの問題についてはいろいろな意味で後追いの状況にある。

ジェンダーをめぐって、例えば「トイレ」問題にばかり注目が集まる状況は、心ある人たちが首をかしげる日本の現状である。それも、これらの問題について、日本人が本当に自分たちでゼロから考えていない証拠なのかもしれない。

映画『バービー』からは、ジェンダーなどの問題で「政治的正しさ」を貫こうとする動機と、エンタメとして良いものを生み出したいという野望の間で、なんとも言えない緊張感のある現場の雰囲気が伝わってくる。さすがは、痩せても枯れてもハリウッド。そのような場所から生み出される作品を現在進行形で見ておくことの意味は、大きいのではないかと思う。

人工知能のフィルターを介さず、じかに学べ

冒頭、言葉として英語を学ぶことの意味は低下していくのかもしれないと書いた。その一方で、より良い人生を求めて、さまざまな考え方や発想に触れるための方法としては、やはり、英語圏の文化に触れることは大切だと言える。

映画『バービー』を吹き替えで見るのと、日本語字幕で見るのと、英語で直接理解するのでは、文化を生み出す現場の臨場感、その身体性の受容において大きな違いがあると言わざるを得ない。できれば、英語で直接『バービー』の世界を味わった方がよい。

新しい考え方、感じ方に接するのは楽しい。できれば、英語で味わうことができればもっと意味がある。結局、英語を学ぶ必要があるのは、それが、新しい世界への身体化されたパスポートになるからである。人工知能を通して間接的に触れるのでは、効果が限られている。

検索エンジンからソーシャルメディアのアルゴリズム、そしてチャットGPTまで。さまざまなものが人工知能というフィルターを通してしか接することができなくなってきている現代だからこそ、英語を通した生の体験を大切にしたい。英語を学ぶことの現代的な意義がここにある。

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)

1962年東京生まれ。脳科学者、作家。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学大学院客員教授。東京大学大学院物理学専攻課程を修了、理学博士。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。

写真:山本高裕(ENGLISH JOURNAL 編集部)

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