ブルガリアで英語教師として暮らすゲイの男性が主人公の物語『Cleanness』(ガース・グリーンウェル 著)を紹介します。「『人間とはこういうものである』と決め付けず、「複雑なものを複雑なままに描く」とはどういうことでしょうか。
肉体の接触に託されたさまざまな感情
Cleanness, Garth Greenwell (2020)
少し前のことだが、Twitterで読書の秋におすすめの100冊を紹介した個人アカウントに対し、「自己啓発書ばかりだ」と選書への批判や嘲笑が殺到するという出来事があった。小説の方が読み物として“上” かのように語る文芸関係者のつぶやきなどを眺めながら、私は非常に嫌な気持ちになった。自己啓発書であれビジネス書であれ小説であれ、自分にとって必要だと感じるものを読めばいいだけだ。
自己啓発書やビジネス書は、その本から学べることや、その本が持つメッセージが明確であることが多い。だからこそ、まとめや要約や図解が流行しているのだろう。一方で小説は、その反対のことを得意としている。つまり、複雑なものを複雑なままに描くということだ。「人間とはこういうもの」といった抽象的なメッセージに還元されないような、肉体を持った具体的な人間を描くのである。
アメリカの作家ガース・グリーンウェルの『Cleanness』は、まさに肉体が意識された小説だ。同性愛者の男性同士のセックスが、非常に生々しく描かれる。
グリーンウェルの2作目となる本作は、デビュー作『What Belongs to You』(2016)と同じ主人公だと考えられる。両作ともブルガリアを舞台とし、アメリカから英語の高校教師としてやって来た同性愛者の男性が主人公だ。この主人公の設定は、同性愛者という点も含め、グリーンウェル本人の経歴と重なる。
『Cleanness』は、ブルガリアでの恋人との出会いと別れを中心に展開しながら、ネットで出会った男たちとのセックスの様子も詳しく描かれる。 彼の描写は、とても生々しい。前戯や挿入や体位が詳細に描かれ、まざまざと映像が思い浮かぶ。彼のセックス描写は作家や批評家たちから非常に高く評価されているが、それは性交の様子がリアルに切り取られているからだけではなく、セックスや身体接触によって引き起こされる複雑な心の反応が幾つもの角度から表現されているからだろう。
Sex had never been joyful for me before, or almost never, it had always been fraught with shame and anxiety and fear, all of which vanished at the sight of his smile, simply vanished, it poured a kind of cleanness over everything we did.
(これまで私にとってセックスは一度も、あるいはほとんど楽しいものであったためしはなく、いつも恥や不安や恐れを伴うものであったが、彼の笑顔を見るとそのすべてが消え、まったくなくなって、やることすべてに汚れのなさを注ぎ込んでくれた)
ここでは具体的な引用は避けるが、自分は「穴」になりたいからモノとして扱ってくれと懇願するシーンや、相手の体だけが唯一自分らしくいられる場所であるという描写、また愛の中に見える攻撃性や傲慢(ごうまん)さなど、肉体の接触というものに託されたさまざまな感情が書き込まれている。
『君の名前で僕を呼んで』(2017)や『Summer of 85』(2020)などの同性愛をテーマにした映画でも、セックスが生々しく描かれるのは単に官能的だからではなく、その身体接触にさまざまな意味が込められているからだろう。一言にまとめることはできないが、そこにある恥や不安、恐れや喜び、欲求や満足、痛みや孤独を知ることは、人間への理解を一歩でも前進させるものではないだろうか。
今回紹介した本
※ 本記事は『ENGLISH JOURNAL』2022年1月号に掲載した記事を再編集したものです。