小説のタイトル“Gone Girl”のgoneには「失踪した」のほかに別の意味が隠されている?!【越前敏弥】

文芸翻訳家の越前敏弥さんが、毎回1冊、英語で読めるおすすめの本を紹介する連載「推し海外小説」。今回は、ベン・アフレックとロザムンド・パイク主演で映画化されたベストセラー『ゴーン・ガール』です。意外性に満ちた物語の読みどころや翻訳のポイントとは?

発売年だけで200万部以上が売れたベストセラー

今回紹介するのは、“Gone Girl”(邦訳『ゴーン・ガール』上・下、小学館文庫)。2014年にデヴィッド・フィンチャー監督、ベン・アフレックとロザムンド・パイク主演で映画化されたので、知っている人も多いだろう。

作者のGillian Flynn(ギリアン・フリン)は、それまで“Sharp Objects”(『KIZU――傷――』絶版)、“Dark Places”(『冥闇』)という切れ味の鋭い2作で、ミステリーのファンには高く評価されていたが、2012年に出た“Gone Girl”は一気に読者層を広げた。

この小説は『ニューヨーク・タイムズ』紙などのベストセラーリストの1位に何カ月もい続け、その年だけで200万部以上が売れたという。この年の英語圏では、E・L・ジェイムズの“Fifty Shades of Grey”(『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』上・下)で始まる3部作と並ぶ大ベストセラーとなった。

ラブラブな新婚生活が一転、スリラーへ

“Gone Girl”の主人公は34歳のNick。もともとニューヨークで雑誌などのライターの仕事をしていたが、電子書籍の隆盛のとばっちりで仕事を失い、2年ほど前に妻のAmyと一緒に故郷のミズーリに帰ってきた。

2人は、最初は周囲が恥ずかしくなるほどのラブラブカップルで、Nickが脱ぎ捨てた靴下にまでAmyがうっとりしてしまうほどの情熱的な新婚生活を営んでいたが、都会育ちのAmyにとって、ミズーリでの田舎暮らしは退屈極まりなく、幸せな暮らしは徐々に陰りを帯びていく。

そして結婚5周年の記念日、Amyが急に謎の失踪をする。確たるアリバイのないNickに嫌疑が掛けられ、Nickは無実を証明しようと躍起になるが、そのころAmyは意外にも・・・。

と、最初はユーモラスな語り口で始まった、のどかな物語が、途中から徐々にノンストップのスリラーへと変わっていき、話は二転三転、いや五転六転して、まったく予想もしなかった方向へと動いていく。

理想のカップルに見えた2人だったが、実はAmyの方は裏でとんでもないことを考えていることがだんだんわかり、しかし一方、Nickの方もそれに劣らず・・・と、まあ、あまり書いてしまうと面白くないので控えるが、心理描写の生々しさとストーリー展開の独創性が見事に両立していて、大ベストセラーになったのもうなずける作品だ。

二重構造になっている強調の表記

語り手は主にNickで、原則としてリアルタイムで話が進んでいくが、所々にAmyの結婚前からの日記が差し挟まれ、ちょっとした変奏曲のような巧みな構成となっている。日記の冒頭部分はこんな感じだ。

Tra and la! I am smiling a big adopted-orphan smile as I write this. I am embarrassed at how happy I am, like Technicolor comic of a teenage girl talking on the phone with my hair in a ponytail, the bubble above my head saying: I met a boy!

“Gone Girl” Kindle版

タララーン! これを書きながら、わたし、養子にもらわれた孤児みたいに満面の笑みを浮かべている。幸せすぎてくすぐったいくらい。漫画なら、電話でおしゃべり中のポニーテールの女の子みたいに、頭上の吹き出しにこんなセリフが書きこまれていそう――彼とめぐりあったの

『ゴーン・ガール』上巻、中谷友紀子 訳、p. 25。太字は本では傍点

なんとも奔放で、能天気とすら言えるこの楽しい書き出しに引き込まれて、夢中で読み進めた読者は多いと思う。絵が目に浮かびやすい比喩を多用して、豊かなイメージを組み立てていくのも、この作家の長所だ。

見落としてしまいそうだが、最後のI met a boy!は、boy以外の部分がイタリックだ。ちょっと説明が難しいが、I met a boy!が吹き出しのセリフとして強調され、boyはその中でさらに「なんと、男の子!」「彼氏よ、彼氏!」という含みを込めて二重に強調するために、イタリックから普通の書体に戻しているわけだ。訳文でそれを表現するのは極めて困難なので、全体に傍点を付けたこの処理はこれでいいと思う。

タイトルのgoneにいくつも意味がありそうなイヤミス

ところで、この作品のタイトル“Gone Girl”は、普通に考えれば「失踪した女性」であるAmyのことだが、どうもそれだけとは思えない。

詳しくは辞書を引いてもらいたいが、この作品のテーマや粗筋を考えると、goneにさまざまな意味合いが込められているのがわかる。いちばん極端なものだと、「アタマがイッちゃってる」というニュアンスも、きっとあるはずだ。ぜひ自分で本を読んで、確かめてもらいたい。

ミステリーの世界には、「イヤミス」というジャンルがある。イヤな結末を迎えたり、人間性のイヤな部分をえぐり出したりするミステリーの総称だが、この作品はひょっとしたら世界イヤミス史上最高にイヤな作品かもしれない。人間がいかにイヤな生き物であるかをとことんまで突き詰め、その本質を見事に描き出しながら、それでいて、エンターテインメントとしてもきっちりと極上のものに仕上がっている。

変な言い方だが、これを読み進めていくと、あるところまでは自分自身のイヤな部分を見せつけられている気がして身につまされるものの、やがては、この連中よりは自分の方がずっとましだと感じられ、妙にさわやかな気分になってくる。本当に不思議な作品だ。

映画を見た人がいるかもしれないが、途中の展開や結末はかなり違っていて、小説の方がはるかに「イヤ度」が高いし、だからこそ痛烈かつ爽快な読み応えがある。

もちろん、すべての人に読んでもらいたい作品だが、実を言うと、あまりおすすめしたくない人たちがいる。これから結婚しようというカップルだ。ただし、2人ともこれを読んで、それでも相手のことを嫌いにならず、互いへの信頼が強まるようなら、その愛は本物だ。

今パートナーがいる人もいない人も、ぜひ読んでもらいたい。自己責任で。

今回紹介した本

越前敏弥さん翻訳の本

『名著から学ぶ創作入門 優れた文章を書きたいなら、まずは「愛しきものを殺せ!」』(ロイ・ピーター・クラーク著、越前敏弥/国弘喜美代 訳、フィルムアート社)は、アメリカで最も影響力のある文章執筆のエキスパートが、文章術に関する本1500冊の中から50冊以上を厳選し、それらの本のエッセンスを抽出したものです。

越前敏弥
越前敏弥(えちぜん としや)

文芸翻訳家。1961年生まれ。訳書に『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』『おやすみの歌が消えて』『大統領失踪』『世界文学大図鑑』『解錠師』『Yの悲劇』など。著書に『翻訳百景』『文芸翻訳教室』『この英語、訳せない!』『日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』など。

X:@t_echizen

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