息の長さをどう伝えるか/ウィリアム・フォークナー【英米小説翻訳講座】

英米小説翻訳講座

翻訳家の柴田元幸さんが、毎回一人、英米現代・古典の重要作家を選び、その小説の翻訳術を紹介します。まずは作家の特徴がよくわかる文章と、柴田翻訳の妙技をご堪能ください。

紹介する作家:ウィリアム・フォークナー

William Faulkner

1897 年アメリカ、ミシシッピ州生まれ。自身の出身地をモデルに、南部アメリカの因習やそれに縛られる人々を実験的な手法で描く。代表作に『響きと怒り』、『八月の光』など。1949年度ノーベル文学賞受賞。1962 年没。

『Absalom, Absalom!』

From a little after two oclock until almost sundown of the long still hot weary dead September afternoon they sat in what Miss Coldfield still called the office because her father had called it that—a dim hot airless room with the blinds all closed and fastened for forty-three summers because when she was a girl someone had believed that light and moving air carried heat and that dark was always cooler, and which (as the sun shone fuller and fuller on that side of the house) became latticed with yellow slashes full of dust motes which Quentin thought of as being flecks of the dead old dried paint itself blown inward from the scaling blinds as wind might have blown them. There was a wistaria vine blooming for the second time that summer on a wooden trellis before one window, into which sparrows came now and then in random  gusts, making a dry vivid dusty sound before going away: and opposite Quentin, Miss Coldfield in the eternal black which she had worn for forty-three years now, whether for sister, father, or nothusband none knew, sitting so bolt upright in the straight hard chair that was so tall for her that her legs hung straight and rigid as if she had iron shinbones and ankles, clear of the floor with that air of impotent and static rage like children’s feet, and talking in that grim haggard amazed voice until at last listening would renege and hearing-sense self-confound and the long-dead object of her impotent yet indomitable frustration would appear, as though by outraged recapitulation evoked, quiet inattentive and harmless, out of the biding and dreamy and victorious dust.

(Absalom, Absalom!, Ch. 1)

 長い静かな暑く疲れた死んだその九月の午後の二時少し過ぎからほぼ日暮れどきまで 彼らはミス・コールドフィールドが父親がそう呼んでいたからいまも執務室と呼んでいる部屋に座り 薄暗く暑い空気の澱んだ部屋のブラインドが四十三年にわたってずっと閉じられ縛られてきたのは 彼女が子供のころ 誰かが光や動く空気は熱を運ぶから闇の方がつねに涼しいのだと信じたからで 部屋は(陽が家のこちら側にどんどんまともに照りつけるようになってくるにつれて)埃の粒に満ちた黄色い切れ込みの格子模様に染まっていき クエンティンはそれらの埃を 朽ちた古い乾いたペンキそのものの薄片が 剝げかけたブラインドから内向けに あたかも風に吹かれたかのように吹かれてきたのだと思った。ひとつの窓の前にある藤棚に蔓を広げた藤の花がその夏二度目の花を咲かせ 時おり雀たちがわっと思い出したようにやって来ては 乾いた生々しい埃っぽい音を立ててまた飛び去っていき クエンティンの向かいで もう四十三年間ずっと 妹のためなのか父のためなのか夫ならざる者のためなのかは誰にもわからない終わりなき喪の服を着たミス・コールドフィールドが まっすぐな硬い椅子の上で背をぴんと伸ばして座っていたが 椅子が彼女には高すぎるものだから まるで脛骨もくるぶしも鉄で出来ているみたいに堅くまっすぐ伸びた両足は床に触れることなく垂れ下がり 子供の足のような無力で動きのない憤怒の空気を漂わせ そして彼女はあの厳めしい憔しょう悴すいした愕然とした声ではてしなく語りつづけ やがては耳が約束を反古(ほご)にして聴覚も自ら混乱に陥り ずっと昔に死んだ 彼女が無力ながら不屈の怒りを向ける対象がついに あたかも憤怒に満ちた語り直しに招喚されたかのように とどまりつづける 夢のごとき 勝ち誇る埃のなかから現われて 静かに気のない無害な姿を見せるのだった。

(『アブサロム、アブサロム!』第1 章)

 前回は21 世紀アメリカの偉大なる幻視家スティーヴ・エリクソンを紹介したが、今回はそのエリクソンのみならず、コロンビアのガルシア=マルケス、日本の中上健次などの文学的父であるウィリアム・フォークナーを取り上げてこの連載を締めくくりたい。

フォークナーがこれら現代の最重要作家たちの父となったのは、理想主義の残滓と奴隷制の深い矛盾の両方を抱えたアメリカ南部と、ひたすら資本主義の論理を拡張していく北部との衝突から生じる凄絶なドラマという内容ゆえでもあり、また、その濃密で息の長い文章(むろんそれは内容に見合ったものであるわけだが)によるすさまじい喚起力ゆえでもある。

濃密さ、喚起力、息の長さ……どの要素も、左に引いた傑作『アブサロム、アブサロム!』(1936)の書き出しにこの上なくあざやかに表われている。

目立つのはカンマの少なさである。一文目の前半、やや多めにカンマを打ったらこうなるだろう。

From a little after two o’clock, until almost sundown of the long still hot weary dead September afternoon, they sat in what Miss Coldfield still called the office, because her father had called it that—a dim hot airless room, with the blinds all closed and fastened
for forty-three summers, because when she was a girl someone had believed that light and moving air carried heat, and that dark was always cooler . . .

どうでしょう? だいぶ印象が変わると思いませんか? 長年の埃が積もって空気も澱んだままの部屋の停滞感の伝わり方が、だいぶ弱まってしまうのではないか。 というわけで、カンマの不在はフォークナーの文章の肝である。ならば日本語訳でも再現したい。理想的には、原文でカンマがなければ訳文でもテンなしで済ませたい。だがそうすると、どこがどこに繫がるか不明になってしまい、ある程度テンは打たざるをえず、そうするとフォークナーらしさは失われ……

という、翻訳者にはお馴染みのジレンマがここでも。 そこで、最終的な解決策だとは言わないが、ひとつの提案として〈一字アキ〉を散文訳に用いる、という裏技を提唱したい。これが左の試訳。最初は、カンマがある箇所では普通にテンを用い、カンマがないのだが日本語ではテンが必要、という箇所は一字空けにしてみたのだが、それだと、テンを使うか一字空けにするか、の選択が恣意的に見えてしまうので、思いきって全部一字アキ、テンいっさいなしでやってみた。フォークナー的な息の長さを伝える上では有効だと思うのですが、どうでしょうか……。

柴田元幸さんの本

ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-

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文:柴田元幸

1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2019年3月号に掲載された記事を再編集したものです。

出典:William Faulkner, Absalom, Absalom! (Vintage)