翻訳家の柴田元幸さんが、英米現代・古典に登場する印象的な「一句」をピックアップ。その真意や背景、日本語訳、関連作品などに思いを巡らせます。シンプルな一言から広がる文学の世界をお楽しみください。
“That’s some catch, that Catch-22,” he observed. “It’s the best there is,” Doc Daneeka agreed.“catch” とは勧誘や 契約 などに隠れている落とし穴、罠のこと。そして世界で一番有名なcatchが、アメリカで800万部以上売れたという小説の題にもなっているこのCatch-22である。狂った人間は危険な 飛行任務を免除して地上勤務にしないといけない、と軍医は言う。狂ってれば危険な任務を免除されるのか?と航空兵は訊く。もちろんさ、頼めばいいんだよ、と軍医は答える。それだけ? と航空兵。それだけさ、と軍医。頼めば地上勤務にしてくれるのか?―いいや、頼んだら地上勤務にしてやれない。―キャッチがあるのか?―もちろんキ ャッチがあるのさ(“Sure there’s a catch”)。そして:?Joseph Heller, Catch-22 (1961)
There was only one catch and that was Catch-22, which specified that a concern for one’s own safety in the face of dangers that were real and immediate was the process of a rational mind. Orr was crazy and could be grounded. All he had to do was ask ; and as soon as he did, he would no longer be crazy and would have to fly more missions. Orr would be crazy to fly more missions and sane if he didn’t, but if he was sane he had to fly them. If he flew them he was crazy and didn’t have to ; but if he didn’t want to he was sane and had to . Yossarian was moved very deeply by the absolute simplicity of this clause of Catch-22 and let out a respectful whistle.キャッチはひとつだけで、それがキャッチ=22 だった。差し迫った現実の 危険を前にして身の安全を案じることは合理的な精神のはたらきである。オアは 狂気であり、地上勤務にしてもらえる。頼むだけでいいのだ。そして頼んだ瞬間、もはや狂気ではなく、もっと飛ばねばならない。もっと飛ぶなんて狂気の沙汰であり、飛ばないことこそ正気 のしるしだが、正気だとすれば飛ばねばならない。飛ぶとすれば狂気であり、飛ばなくていい。が、飛びたくないとすれば正気であって、飛ばねばならない。このキャッチ=22なる条項の完全無欠の明快さにヨサリ アンは心底感動し、敬意の念にひゅうと口笛を吹いた。
そしてこのあとに、冒頭に掲げた 「大したキャッチだなあ、そのキャッチ=22って」と 彼は言った。「もう最高だよ」とドック・ダニーカも言った。 ―が続くのである。命がけの任務から逃れられない 悪夢的論理に、航空兵が「心底感動」したり、航空兵たちを死の危険にさらしている軍医がその論理を「も う最高だよ」と言ったり……不条理さに背筋が寒くなる、と言いたいところだがつい笑ってしまうのがこの小 説のすごいところである。
柴田元幸さんの本
1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。
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