どこまでも騒々しく/フィリップ・ロス【英米小説翻訳講座】

英米小説翻訳講座

翻訳家の柴田元幸さんが、毎回一人、英米現代・古典の重要作家を選び、その小説の翻訳術を紹介します。まずは作家の特徴がよくわかる文章と、柴田翻訳の妙技をご堪能ください。

紹介する作家:フィリップ・ロス

Philip Roth

1933 年アメリカ、ニュージャージー州生まれ。1959 年、短篇集『さようならコロンバス』でデビュー。ユダヤ人の「ユダヤ性」に起因する葛藤をモチーフにした作品を多数発表。1998 年のピュリッツァー賞はじめ、受賞歴多数。

『Portnoy’s Complaint』

N. Everett Lindabury, Boston & Northeastern’s president, had his picture hanging in our hallway. The framed photograph had been awarded to my father after he had sold his first million dollars’ worth of insurance, or maybe that’s what came after you hit the ten-million mark. “Mr. Lindabury,” “The Home Office” ... my father made it sound to me like Roosevelt in the White House in Washington ... and all the while how he hated their guts, Lindabury’s particularly, with his corn-silk hair and his crisp New England speech, the sons in Harvard College and the daughters in finishing school, oh the whole pack of them up there in Massachusetts, shkotzim* foxhunting! playing polo! (so I heard him one night, bellowing behind his bedroom door) — and thus keeping him, you see, from being a hero in the eyes of his wife and children. What wrath! What fury! And there was really no one to unleash it onexcept himself. “Why can’t I move my bowels — I’m up to my ass in prunes! Why do I have these headaches! Where are my glasses! Who took my hat!” 
(Portnoy’s Complaint, 1969 / [ ... ] は原文どおり)

*shkotzim: ユダヤ人でない男を意味するイディッシュshegetz の複数形

うちの廊下にはボストン&ノースイースタン社社長N・エヴェレット・リンダベリーの写真が飾ってありました。額縁に入ったこの写真、親父の保険売上げが100 万ドルに達したときに贈られた―いや1000 万に行ったらだったかな?「ミスター・リンダベリー……」「本社……」僕を前にした親父の口ぶりは、ワシントンのホワイトハウスにいるローズヴェルトの話をしてるみたいで……だけどそのあいだずっと親父は、連中を、特にリンダベリーを心底憎んでたんです、トウモロコシの毛みたいな髪、カツカツしたニューイングランド流の喋り方、息子たちはハーヴァード、娘たちは花嫁学校、みんな揃ってマサチューセッツにいて、シュコツィムどもが、やれ狐狩りだ!やれポロだ!(と、ある晩親父が寝室のドアの向こうで怒鳴ってるのが聞こえたんです)―奴らのせいで親父は妻や子どもたちの英雄になれなかったわけで。なんたる怒り!なんたる憤り!誰かにその憤怒をぶちまけようにも、誰もいやしません。自分だけ。「どうして俺は便秘なんだ―どっぷりプルーン漬けだってのに!なんで頭痛なんだ!俺の眼鏡はどこだ!誰だ、俺の帽子を持ってったのは!」

(『ポートノイの不満』)

前回では、登場人物の誰もが疲れていて、使う言葉も最低限、感嘆符などめったに使わないユダヤ系アメリカ人作家バーナード・マラマッドを扱った。今回は、同じユダヤ系アメリカ人ながら、反対に誰もがおそろしく饒舌、たいていの作品ではそこら中に感嘆符が出てきて紙面が賑やかなことこの上ない作家フィリップ・ロスを紹介する。

ほろ苦い青春小説ともいえるデビュー作中篇「さようならコロンバス」(Goodbye, Columbus, 1959)をはじめ、最初は比較的静かな小説を書いていたロスが、このPortonoy’s Complaint(1969)から、にわかにひどく騒々しい小説を書きはじめる。しかもこの本では、それまでも「ユダヤ人を否定的に描いている」とロスを攻撃していたユダヤ系読者の神経を逆なでするかのように、ユダヤ人主人公が徹底的に戯画化されている。性欲と恥の感覚にまみれた男が、精神分析医に向かって悩みをえんえん300 ページ近く訴えるのだ(なので引用文も忠実な直訳というよりは、喋りまくる感じを強調してある)。もともとユダヤ系のジョークやユーモアは自虐が基調になっていることが多いが、この自虐は本当にすさまじい。露骨な性描写も頻出する本書は一大ベストセラーとなり、ロスは誰よりも騒々しいきよほうへんにさらされる作家となった。

その後しばらくは、ニクソン大統領をとことん皮肉ったOur Gang(1971)、カフカの『変身』をもじって、ある朝目が覚めたら乳房になっていた男が語るTheBreast(1972)、常敗野球チームの苦難を笑いのめしたThe Great American Novel(1973)等々、躁病的、悪趣味スレスレ、見る人によっては悪趣味そのものの騒々しい作品が続いた。

だがその後ロスは、アメリカ作家にしては珍しく円熟の度合いをどんどん増していき、1980 年代、自分の分身的存在である作家Nathan Zuckerman を主人公に現実と虚構の錯綜する関係をねちっこく追求した連作を書いたのを経て、20 世紀末には、奔放な性衝動に従って生きる人形師の晩年を描くSabbath’s Theater(1995)、娘がテロリズムに走ったことから人生が狂い出す男をめぐるAmerican Pastoral(1997)、何気ない一言をアカデミック・ハラスメントと取られてこれまた人生が狂う大学教授の物語The Human Stain(2000)など、躁病的なエネルギーはそのままに重厚な語りに貫かれた本格長篇を次々発表する。いまや現代アメリカ文学最重要作家の一人であることは誰もが認めるところであり、もう小説は書かないと2012 年に宣言したあとも何かと話題になっている。

最近でも、チャールズ・リンドバーグが1940 年にアメリカ大統領となりヒトラーと結託してアメリカのユダヤ人を迫害する、という(当時のブッシュ政権に対する怒りを反映した)設定のThe Plot Against America(2004)の世界がトランプ政権下の現アメリカによく似ているということで話題を呼んだ。ロス自身はこれに応え、リンドバーグはたしかに極右だったとはいえ若いころは曲がりなりにも偉業を成し遂げた英雄だったが、“Trump, by comparison, is a massive fraud, the evil sum of his deficiencies, devoid of everything but the hollow ideology of a megalomaniac”(一方トランプは、途方もないペテン師、さまざまな欠陥の悪しき合計であり、誇大妄想狂のからっぽのイデオロギー以外に何もない)と断じている。85 歳の今も、往年の騒々しさを彷彿とさせる物言いである。

とにかく過剰なまでのエネルギーが身上のロスだが、60 代の息子が80 代の父親を介護するPatrimony(1991)をはじめ、かなり自伝的な、あまり騒々しくない作品もいくつかあり、これはこれで、パワーが売りのバンドがたまにバラードを手がけるときのような優しさに満ちている。

柴田元幸さんの本

ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-

ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-

  • 作者:柴田 元幸
  • 出版社/メーカー: アルク
  • 発売日: 2020/01/29
  • メディア: 単行本
【音声DL有】新装版 柴田元幸ハイブ・リット

【音声DL有】新装版 柴田元幸ハイブ・リット

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: アルク
  • 発売日: 2019/12/17
  • メディア: 単行本

文:柴田元幸

1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2018年6月号に掲載された記事を再編集したものです。

出典:Philip Roth, Portonoy’s Complaint (Vintage)
※ 主要作品はほとんどVintage のペーパーバックが入手可。
Charles McGrath, “No Longer Writing, Philip Roth Still Has Plenty to Say” (The New York Times, January 16, 2018; https://www.nytimes.com/2018/01/16/books/review/philip-roth-interview.html)