語順!/スティーヴン・ミルハウザー【英米小説翻訳講座】

語順!/スティーヴン・ミルハウザー【英米小説翻訳講座】

翻訳家の柴田元幸さんが、毎回一人、英米現代・古典の重要作家を選び、その小説の翻訳術を紹介します。まずは作家の特徴がよくわかる文章と、柴田翻訳の妙技をご堪能ください。

紹介する作家:スティーヴン・ミルハウザー

Steven Millhauser

1943 年アメリカ、ニューヨーク生まれ。1972 年、『エドウィン・マルハウス』でデビュー。1996 年に発表した『マーティン・ドレスラーの夢』でピュリツァー賞を受賞。

『Alice, Falling』

Alice, falling, sees on the top shelf of the open cupboard a jar bearing the label RASPBERRY JAM, a yew-wood tea caddy with brass fastenings and a design of handpainted plants and flowers on the lid, and a tin of lemon snaps: the dark green top shows in the center an oval containing a colored head of Prince Albert. On the bottom shelf Alice sees a porcelain dessert plate with a gilt border and a center panel showing a young man in a tilted tricorne, red jacket, and white breeches, standing beside an oak tree; a bread knife with an ivory handle carved to show a boy holding wheat in his arms; and a silver-plated cream jug with a garland of silver-plated leaves and berries encircling the base.

(Steven Millhauser, “Alice, Falling”)

アリスは、落ちながら、扉のあいた食器棚の上段を見る。ラズベリージャム、と書かれたラベルを貼った壜がある。そして、しんちゅうの留め具のついた、イチイの木の紅茶箱。ふたには手描きで草花が描かれている。それから、レモンクッキーの缶。深緑色のふた中央の楕円形の枠には、彩色を施したアルバート公の肖像が収まっている。食器棚の下段に、金の帯でふちどられた陶器のデザート皿が見える。真ん中に描かれた絵は、一人の若者が、はすにかぶった三角帽に赤い上着、それに白い乗馬ズボンといういで立ちで、かしの木のかたわらに立つ情景である。象牙の柄えに、小麦を両腕に抱えた少年の姿を彫りこんだパン切りナイフ。銀めっきのクリーム壺。壺のすそを、銀めっきの木の葉や果実の輪がぐるりと囲む。

( スティーヴン・ミルハウザー「アリスは、落ちながら」)

―英語を日本語に訳す際に「語順どおりに訳す大切さ」について話すときにほぼかならず引用する一節である。アリスは/落ちている/見る/一番上の棚を/あいた食器棚の/壜/ラズベリージャムというラベル・・・と、原文は映画のカメラのように読者が「見る」べきものを正確な順番で提示している。一般に英語の方が言葉の「カメラ機能」がはたらきやすいと思うが、とりわけスティーヴン・ミルハウザーの文章の場合、緻密な「幻視力」に支えられて、カメラがいっそうよく機能する。

言うまでもなくこの“Alice, Falling” 冒頭は、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を踏まえている。元祖アリスと較べてみれば(キャロルをおとしめるつもりは毛頭ないが)、ミルハウザーの「解像度」の高さは一目瞭然である。

First, she tried to look down and make out what she was coming to, but it was too dark to see anything; then she looked at the sides of the well, and noticed that they were filled with cupboards and book-shelves: here and there she saw maps and pictures hung upon pegs. She took down ajar from one of the shelves as she passed; it was labelled ‘ORANGE MARMALADE’, but to her great disappointment it was empty . . .

で、まず先はどうなってるかと下を見てみたけど、あいにく暗くてなんにも見えない。そこでこんどは、井戸のまわりのかべに目をうつすと、こう、食器棚とか、本棚とかが並んでいるのですね。あっちこっちに地図や絵なんかが、クギから吊してあったり。壺をひとつ、通りがかった棚からおろしてみると、「オレンジ・マーマレード」とラベルが貼ってあるんだけど、中はからっぽ、ガッカリです・・・

語順どおりに訳す。それはいいのだが、問題は、そうするとどうしても文が切れぎれになってしまいがちなこと。最初の訳例でも、原文はわずか2 文なのに(まあこれは英語にはコロン、セミコロンというものがある点も大きいのだが)、訳では11 文。アリスがゆっくりゆっくり落ちていく「切れ目なさ」の感覚はいくぶん失われざるをえない。息の長い文をどうやったらブツブツ切らず、かつ語順どおり訳せるかは永遠の課題だが、ミルハウザーの場合にはその問題がとりわけ顕在化する。

たとえば、こんなふうに始まる短篇―

Bottom of the ninth, two out, game tied, runners at the corners, the count full on McCluskey, the fans on their feet, this place is going wild, outfield shaded in to guard against the blooper, pitcher looks in, shakes off the sign, a big lead off first, they’re not holding him on, only run that matters is the man dancing off third, shakes off another sign, McCluskey asking for time, steps out of the box, tugs up his batter’s glove, knocks dirt from his spikes, it’s a cat ’n’ mouse game, break up his rhythm, make him wait, now the big guy’s back in the box, down in his crouch, the tall lefty toes the rubber, looks in, gives the nod . . .

(Steven Millhauser, “Home Run”)

九回裏ツーアウト、同点でランナーは一三塁、バッターマクラスキー、フルカウント、観客は総立ち、球場中が熱狂しています、外野は前進守備、ピッチャー、サインを覗き込んで首を横に振った、一塁ランナー、大きくリードを取っています、一塁は事実上ノーマーク、サードでいま跳ねているランナーがホームを踏めばゲームは終わり、ピッチャーふたたび首を横に振る、マクラスキーがここでタイムを要求しました、バッターボックスから出て手袋を引っぱり上げ、スパイクの泥を叩いて落とす、このあたりなかなか微妙な駆け引き、相手のリズムを崩して、じらして、いま大きな体でバッターボックスに戻り、構えます、マウンドでは長身の左腕、ピッチャーズプレートを爪先でつついて、サインを覗き、今度はうなずく・・・

(スティーヴン・ミルハウザー「ホームラン」)

文はまだまだ続く。これはまだ1145 語中の121 語にすぎない。何しろ初めてのピリオドが出てくるのは作品が終わるときなのだ。まあここまで極端だと、日本語でも普通ならマルが来るところでテンを使っても逆に許されるだろうが・・・それにしてもこの一作、野球をめぐる同義語のオンパレードで、普通の意味での翻訳はまず不可能である。

柴田元幸さんの本

ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-

ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-

  • 作者:柴田 元幸
  • 出版社/メーカー: アルク
  • 発売日: 2020/01/29
  • メディア: 単行本
 
【音声DL有】新装版 柴田元幸ハイブ・リット

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  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: アルク
  • 発売日: 2019/12/17
  • メディア: 単行本
 

文:柴田元幸

1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2017年7月号に掲載された記事を再編集したものです。