怪奇と奇怪/エドガー・アラン・ポー【英米小説翻訳講座】

翻訳家の柴田元幸さんが、毎回一人、英米現代・古典の重要作家を選び、その小説の翻訳術を紹介します。まずは作家の特徴がよくわかる文章と、柴田翻訳の妙技をご堪能ください。

紹介する作家:エドガー・アラン・ポー

Edgar Allan Poe

1809 年アメリカ、マサチューセッツ州生まれ。1841 年に発表した『モルグ街の殺人』は史上初の推理小説とされている。またゴシック小説や、SF 小説の先駆けとも言える作品を残し、後世の文学に多大な 影響 を与えた。1849 年没。

『The Masque of the Red Death』(1842)

The “Red Death” had long devastated the country. No pestilence had ever been so fatal, or so hideous. Blood was its Avatar and its seal ?the redness and the horror of blood. There were sharp pains, and sudden dizziness, and then profuse bleeding at the pores, with dissolution. The scarlet stains upon the body and especially upon the face of the victim, were the pest ban which shut him out from the aid and from the sympathy of his fellow-men. And the whole seizure, progress , and termination of the disease, were the incidents of half an hour.

(“The Masque of the Red Death,” 1842)

赤死病が永らく国を荒廃させていた。かくも恐ろしい、かくも致命的な病はかつてなかった。血がその化身であり封印であった―その赤さ、そのおぞましさが。激しい痛みがあり、突如めまいが襲い、やがて毛穴からおび ただし い量の血が噴き出し、絶命する。犠牲者の体を、特に顔を覆うくれないの汚点こそ疫病の布告であり、ひとたびそれが現われたら同胞の助けも同情ももはや望めなかった。発病し、病が進み、息絶えるまで、ものの三十分とかからなかった。

『Thou Art the Man』(1844)

I will now play the Oedipus to the Rattleboroughenigma. I will expound to you? as I alone can?the secret of the enginery that effected the Rattleborough miracle?the one, the true, the admitted, the undisputed, the indisputable miracle, which put a definite end to infidelity among theRattleburghers, and converted to the orthodoxy of the grandames all the carnal-minded who had ventured to be skeptical before.

(“ ‘Thou Art the Man’,” 1844)

今こそ私は、ラトルバローの謎を解くオイディプスを演じようと思う。読者諸兄に向けて、ラトルバローの奇跡をもたらしたからくりの、私のみが解きうる秘密を解き明かすのだ―ラトルバロー市民にはびこっていた不信心の息の根を止め、小賢しくも懐疑の念を口にした現世的精神の持ち主を一人残らず祖母世代の敬虔に改宗せしめた、あの唯一無二の、真実の、誰しもが認め、いかなる異議も唱えられぬ、議論の余地なき奇跡の背後にひそむ秘密を。

怪奇と奇怪/エドガー・アラン・ポー

推理小説やSFの祖と言われ、詩や詩論によっても後世に大きな 影響 を及ぼし、多くの人に崇拝され模倣された一方、やはり多くの人に軽蔑され、あんなのを有難がるのは精神が幼稚な証拠だと言う人もいたり、とにかく誰もが一家言持っているエドガー・アラン・ポーだが、文章ということ に関して 一番興味深いのはやはり一連の怪奇小説だろう。

ポーの怪奇小説は、行間から生々しい恐怖が伝わってきたり、心底ぞっとする情景が描かれていたりというようなものでは必ずしもない。

むしろ、前世紀末に生まれてすでに爛熟しつつあったゴシック小説の語彙(ごい)を駆使した、どこか既視感のある、いわばメタ怪奇小説的な作品が多い。要するに、何となく「やり過ぎ感」があって、あともう少しやり過ぎたらパロディになってしまう危うさをはらんでいる。

たとえば、おそらくもっとも評価の高い短篇 “The Fall of the House of Usher” (1839) の出だし―

During the whole of a dull, dark, and soundless day in the autumn of the year, when the clouds hung oppressively low in the heavens, I had been passing alone, on horseback, through a singularly dreary tract of country; and at length found myself, as the shades of the evening drew on , within view of the melancholy House of Usher.
―冒頭からd の重い響きが多用されるなか、暗雲垂れ込める荒涼とした土地を騎上の人が一人行き、陰鬱な館にたどり着く。見事と言えば見事な描写だが、どこか「出来すぎ感」があることもまた確かであり、それが気になりだすと、どこまで真に受けていいのかわからなくなってくる。が、だからこそポーは面白いのである―怖いからではなく、怖いか怖くないかよくわからないから。

そしてこの「出来すぎ感」を、パロディに堕さずに翻訳で再現するのは至難の業であり、僕の能力ではとうてい無理だが、やる人がやればできる。ここは臆面もなくひとのフンドシで相撲をとらせてもらおう―

湧いた油雲がそら低くおしひしぐように垂れこめた、秋のとあるものうつとして暗くねもない一日、ひねもすも私は馬上にただ一人ゆられて、奇妙にもの寂しい地方を通り抜けた挙句、夕闇たちこめる頃合、陰気なアッシャー家が見えるところに、気付いてみれば、ふと出ていたのであった。
―高山宏の名論文「目の中の劇場」(1982)より。

この見事な翻訳が一段落で終わっているのは(まあ一段落でも驚異的なのだが)残念。いつか全訳していただきたい。 左の“The Masque of the Red Death”(赤死病の仮面)は、比較的「やり過ぎ感」が少なく、どうにか僕の手にも負えると思える。 So を「かくも」と訳したり、ある程度芝居がかった感じは出すべきだが、やり過ぎるとパロディに堕してしまうので注意が要る。

しかし、ポーには、あきらかにわざとやり過ぎている、意図的なパロディ・悪ふざけもたくさんある。「怪奇」が度を超して「奇怪」に転じているのである。ポー最後の探偵小説ということになっている“‘Thou Art the Man’ ”(「犯人は汝」)にしても、左の冒頭訳からある程度窺うかがえるとおりとうてい真面目な作品ではない(miracleにかかる形容句の連発を見よ!)。

たった3 年前に“The Murders in the Rue Morgue”(モルグ街の殺人)で自分が創始した探偵小説というジャンルを、いち早く自分で笑いものにしているのだ。ほかにも、“King Pest”(ペスト王)、“ The System of Doctor Tarr and Professor Fether”(タール博士とフェザー教授の療法)など、悪ふざけ的作品はいくつもあり、たぶんポー作品群のなかでもっとも評価は低いが、個人的にはけっこう惹かれる。「ポー奇怪小説集」をいつか編訳してみたい。

柴田元幸さんの本

ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-
文:柴田元幸

1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2017年6月号に掲載された記事を再編集したものです。

出典:Edgar Allan Poe, The Fall of the House of Usher and Other Stories(Vintage)
高山宏「目の中の劇場―ゴシック的視覚の観念史」、『目の中の劇場 アリス狩り』(青土社)

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