ウィキペディアを編集する辞書マニア【ウィキペディアの歩き方】
辞書や事典が大好きというLakka26さん(右)とユージン・オーマンディさん

2024年4月に、学生サークル「早稲田Wikipedianサークル」と「辞書尚友」のメンバーであるLakka26さんにインタビューを実施しました。辞書マニアであるLakka26さんは、なぜオンライン百科事典ウィキペディアの編集を始めたのでしょうか?また、ウィキペディアを編集しながら考えていることは?そして、ウィキペディアの編集を経験したからこそ感じた辞書文化の問題点とは?

ウィキペディアの編集を始めたきっかけ

Eugene Ormandy (以下O): 本日はよろしくお願いします。まずはLakka26さんがウィキペディアの編集を始めた経緯について教えていただけますか。

Lakka26(以下L):大学入学とともに早稲田Wikipedianサークルに入部し、ウィキペディアの編集を始めました。サークルに入部した理由は、辞書の「敵」であるウィキペディアについて知るためです。

O:なるほど。「敵」について知りたいと思うようになったのはなぜでしょうか。

L:私は大学の自己推薦入試で「国語辞典の存在意義」についてのリポートを作成し、既存の辞書とインターネットのフリーの辞書を比較した上で、後者を「信頼できない」と結論付けたのですが、しばらくして「実情をよく知った上で批判するべきだった」と後悔したのです。今後、既存の辞書を研究する上でも、その対照的な存在について知ることは必要不可欠だと考えました。

そのような思いから、Twitter(現X)で見かけた早稲田Wikipedianサークルに連絡しました。明確な意志を持って入ったものの、当時はウィキペディアによってこれほど人生が変わるとは思ってもみませんでした。

早稲田Wikipedianサークルのロゴ。(Takenari Higuchi, CC0)

辞書のライバルから学ぶ:ウィキペディアンになってから

O:編集を行うようになってから、ウィキペディアの印象は変わりましたか。

L:大きく変わりました。「出典を明記する」などのガイドラインがウィキペディアに存在することや、それらに基づき編集者たちが行動していることを知り、実情も知らずにウィキペディアを否定していた自分が恥ずかしくなりました。また、今までは気にもかけていなかった、顔も知らないウィキペディアの編集者たちを身近に感じるようになりました。

O:ウィキペディアを編集するようになってから、辞書についての考え方にも変化はありましたか。

L:ウィキペディアの方針「中立的な観点」を、辞書について考える際も意識するようになりましたね。昔はただ辞書が好きな辞書マニアだったのですが、今は一歩引いた位置から辞書について考えるようになったと思います。例えば、高校時代は漠然と「辞書が好きだから編さんしてみたい。表紙に名前を掲載されたい」と思っていたのですが、今は辞書の権威や社会的な役割などを記録したいと思うようになっています。ウィキペディアンになってから、自分が興味を持っているのは「言葉」ではなく「辞書そのもの」であることに気が付いたからです。辞書を作る人、つまり内部の人になるのではなく、外側から研究する人になりたいと思ったのは、「中立的な観点」を意識し始めたことが大きいと思います。

O:ウィキペディア編集をするようになって良かったことはありますか。

L:調べ物のスキルが向上したことです。大学の演習などで調べ物をする際も、国立国会図書館などを活用して資料を大量にそろえられるようになりました。また、大学入学前に早稲田Wikipedianサークルの先輩方から、新聞データベースをはじめとする電子ジャーナルサービスの使い方を教えていただいたおかげで、さまざまな調べ方ができるようになりました。

また、サークルでいろいろなイベントを経験できたのも糧になりました。ウィキペディアの編集イベントのお手伝いから、雑誌専門図書館である大宅壮一文庫の書庫見学、さらには『三省堂国語辞典』編さん者の飯間浩明先生との勉強会など、自分の視野を広げることができました。特に飯間先生との勉強会における、サークルメンバーと飯間先生による議論は、ウィキペディアと辞書双方のコミュニティに属する私にとって大変興味深かったですね。

ウィキペディアの三大方針(Ocdp, CC0)

辞書好きが作るウィキペディア記事

O: 2024年4月に、Lakka26さんはウィキペディア記事「明鏡国語辞典」を大幅加筆されましたよね。出典も数多く示されており、良い記事だと思います。この記事を加筆した経緯について教えていただけますか。

L:日本語版ウィキペディアにおいて辞書に関する記事はあまり充実していないので、少しでも自分で改善しなければと思い加筆しました。記事の参考文献は、大学の新聞データベースや国立国会図書館を活用して収集したほか、自宅にある辞書関連の書籍をもいくつか参照しました。詳細な編集プロセスは、辞書尚友のnoteにまとめています。辞書好きがウィキペディア記事を編集するきっかけとなれば幸いです。

O:とても面白い編集記ですよね。辞書好きの皆さんがウィキペディアに参入するきっかけとなればいいなと思います。ところで、Lakka26さんは辞書以外のウィキペディア記事も編集されていますよね。

L:はい。文学や雑誌についての記事を編集することが多いです。文学部のレポートで使用した資料をウィキペディアに活用することもありますね。

自分が編集したウィキペディア記事で気に入っているのは、女性向けファッション雑誌「LARME」です。ファッション誌らしくない作り込まれた世界観が特徴の雑誌で、中高生の頃からよく読んでいました。なお、このウィキペディア記事は、雑誌専門図書館の大宅壮一文庫の書庫を見学したことを機に立項しました。

Lakka26さんのウィキペディアの編集記。(Lakka26, CC BY-SA 4.0)
『明鏡国語辞典』の第一版から第三版まで。いずれもLakka26さん所蔵。

辞書のウィキペディア記事を編集する難しさ

O:Lakka26さんはしばしば、辞書のウィキペディア記事を編集するのは難しいと指摘していますが、その難しさについて具体的にご教示いただけますか。

L:ウィキペディア記事の出典として活用できる、辞書をテーマとした書籍・論文・記事が圧倒的に少ないのです。少ないなりに頑張って書けばいいじゃないかと言われればそれまでなのですが、あまりに資料が少ないと執筆のやる気が起きないのも正直なところです。

ウィキペディアの良さは「多くの情報を整理してまとめられること」だと私は思っています。インターネットの海にあふれてばらばらになっている情報を集めて、一つのページにまとめる。参考文献欄に、それについて書かれた書籍や論文をリスト化して、まとめる。資料があまりに少ないと、その「まとめる」という行動ができません。

O:なるほど。なぜ辞書に関する資料は少ないのでしょうね。

L:あくまで私の考えですが、記録するという文化が辞書界にあまり根付いていないからではないかと思います。著名な編さん者、編集者がいる辞書であれば、その方が本を出してくれていたりするのですが、それは本当にごく一部です。たいていの辞書はその歴史や特徴、関わった人々についての記録が残されていません。

辞書関係者の方々には、辞書に関する記録を多くの人が見られる媒体で残してほしい――私はそう強く願っています。これは決して、私がウィキペディアの記事を書きたくて言っているのではありません。どんな文化も記録しなければ途切れてしまいます。特に高齢化が進んでいる辞書業界において、これはもっと危機感を持って取り組まなければならない課題のように思います。

今の辞書の魅力と課題とは?

O:Lakka26さんにとっての辞書の魅力を教えてください。

L:ずっと接してきたメディアなので、改めて考えると難しいですね。あえて言うなら「見た目は強面こわもてだけど、実は面白い人だった」という感じでしょうか。お堅いイメージのある辞書ですが、その中身には人間味あふれるさまざまな世界が広がっています。

O:それでは、辞書が抱えていると思われる課題についてはいかがでしょう。

L:辞書に関する情報を記録する文化が醸成されていないことですね。デジタル版ですら改訂履歴を追うことが難しい状況ですし、編さん者たちが苦労した点や工夫した点が書籍・論文に十分に残されていないように感じます。ウィキペディアのように、出典を明記した上で全ての編集履歴を残せとまでは言いませんが、後世の人間が検証しやすいように記録を作成してほしいと強く思いますね。

また、売り方ももう少し工したほうがいいのではと思います。辞書に興味がない方にも届くような工夫がされてほしいです。

O:2点とも共感します。売り方については特に。個人的な話で恐縮ですが、私は辞書の宣伝文句を見るたび「出版社は一体誰に向けて辞書という商品を売ろうとしているのだろう」と感じてしまいます。例えば『旺文社国語辞典 第12版』の特設サイト(2024年5月4日最終アクセス)に表示された「見やすく、引きやすく、わかりやすい。王道の一冊 10年ぶりの全面改訂!」という宣伝文句を見たときは「商品の特徴がわかる文言ではあるけど、『その商品を購入することで客が享受するメリット』が、少なくとも素人には全く読み取れない文言では?」と思ってしまいました。

L:『旺文社国語辞典』自体は素晴らしい辞書であるだけに、悔しいですね。

O:「現在全く辞書を使っていないものの、将来的には複数の辞書を購入するようなヘビーユーザーになる可能性のある人」の数って、結構多いと思うんです。私もLakka26さんと交流するようになってからアプリ版の辞書を複数買い求めましたが、大変満足していますし。だからこそ、マニアではないユーザーにも届くよう「辞書を買えばこんないいことがあるよ」というストーリーをもっと用意するといいのではと感じました。

L:私も辞書の「面白さ」ではなく「メリット」がきちんとアピールされてほしいと常々思っています。私は辞書マニアなので、ついつい引き比べや図版といった辞書の「面白さ」に目が行ってしまいますが、興味がない方に辞書を手に取ってもらうには、まず「メリット」を示す必要がありますよね。

辞書を編さんしたいとは思わない

E:ところでLakka26さんは辞書のウィキペディア記事をいくつか編集されていますが、実際の辞書を編集・編さんしたいという思いはありますか。

L:正直なところ、あまり興味がありません。ウィキペディア記事の編集も同様です。私が関心を抱いているのは、辞書が持つ権威や社会的な役割です。つまり、知りたいのは辞書の「中身」よりも、その構造やユーザーの意識なのです。ウィキペディアの編集も、辞書をより深く分析するために行っているという感覚です。

もちろん、実際に辞書を編集・編さんされている方々のことは心から尊敬しています。特に、私と一緒に学生団体「辞書尚友」を立ち上げた友人は、自身の大学のキャンパス言葉辞典をたった一人で作り上げた超人です。短期間で一人で作ったとは思えないクオリティーで、私には到底真似できないと感じています。

辞書尚友のロゴ(Ⓒ 2023 JISYO SHOW YOU)

辞書コミュニティにおけるウィキペディア

O:Lakka26さんは、辞書コミュニティにおけるウィキペディアの立ち位置について感じることはありますか。

L:ここ1年で、辞書に関連する学会などに顔を出すようになったのですが、そのような場で既存の辞書とウィキペディア(をはじめとするインターネット上のフリーな百科事典や辞書)が対立構造で語られるのを目にするたび、辞書マニアであり、ウィキペディアンでもある私としては複雑な気持ちになりますね。

既存の辞書も、フリーの百科事典・辞書も、なくなることはないと思います。また、近年発達しているAIも同様です。それらはうまく共存していかなければなりません。ユーザーにそれぞれの特質を理解してもらい、場面によって使い分けてもらうのが理想です。

しかし現実的に考えて、それはユーザーへの過剰な期待であると言えるでしょう。これを解決する方法を、私はまだ思いつくことができないでいます。

辞書コミュニティでの新たな目標

O:今後、辞書のコミュニティで達成したいことはありますか。また、そのために活用したいウィキペディアンとしての経験・知見はありますか。

L:辞書のユーザーに関する研究を行いたいと思っています。辞書の権威や社会的な役割について知るためには、ユーザーについて知ることが必要不可欠だと思うので。もちろん、既存の辞書だけでなく、ウィキペディアをはじめとするインターネット上のフリーな百科事典のユーザーについても知見を深めたいですね。

また、辞書に関する記録を作成する「アーキビスト」になることも目標としています。以下、外国語辞典の編さん者・編集者へのインタビューを実施している中央大学の小室夕里先生の言葉を紹介します。

ことばの意味をひとことで説明する需要がなくならない限り辞書は必要。英和辞典にも同じようなことが言える。けれども、このままだと編集者たちの脳内にある辞書編さんの叡智が失われてしまう。記録を残したい。そう考えてこのプロジェクトを立ち上げました。

引用元:「英和辞典の作り手たち

O:辞書ファンの一人として、Lakka26さんの記録活動を楽しみにしています。本日はありがとうございました。

Lakka26(ユージン・オーマンディ)
Lakka26(らっかにじゅうろく)

早稲田Wikipedianサークルのメンバー。ウィキペディアの「プロジェクト:辞書」に参加している。2023年9月にインカレサークル「辞書尚友」を設立。現在は代表を務めている。

Eugene Ormandy(ユージン・オーマンディ)
Eugene Ormandy(ユージン・オーマンディ)

稲門ウィキペディアン会メンバー。大宅壮一文庫、三康図書館、東京国立博物館、東京外国語大学でウィキペディアイベントを開催するほか、マレーシア、トルコとの国際プロジェクトも実施している。2023年にウィキメディアン・オブ・ザ・イヤー2023新人賞を受賞。

写真:山本高裕(アルク)

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