イギリスではコロナ禍で一気に加速した、「キャッシュレス」「コンタクトレス」「ペーパーレス」。ロンドン在住の宮田華子さんが、イギリスと日本の決済方法の違いについて紹介します。
目次
いつからこんなに現金を使わなくなったのだろう?
つい先日のことだ。近所の郵便局のATMに、現金を下ろしに行った。いつもどおり「暗証番号と金額を入れてお金を引き出す」という何気ないプロセスであり、これまで数えられないほどやってきた行為だ。
しかしそのとき一瞬、暗証番号を押すのをためらってしまったのだ。そしてそんな自分にびっくりした。
暗証番号を忘れていたわけではない。なぜためらってしまったのかというと「現金を引き出す」という行為そのものが久々だったからだ。以前はATMの前に立つと無意識に「ピピピピ」と指が動いて、勝手に4ケタの暗証番号を押していたものだった。しかし今回、暗証番号のキーパッドを見ないと指が動かなかった。目でキーパッドの数字を確認する作業も、ぎこちなくひるむ指にも違和感があった。改めて「現金を引き出すのって、いつ以来なのだろう?」と考えてみたが、思い出せない。
加え、最後に現金で支払いしたのが、いつだったのかも思い出せない。
いつからこんなに現金を使わなくなったのだろう?――そんなことを思いながら、イギリスが本格的にキャッシュレス化したのがいつ頃だったのか、記憶をたどってみた。
北欧への旅行で気付いた「キャッシュレス化の波」
2016年秋に4日間デンマークの首都コペンハーゲンに旅行に行った。中心部を歩いて周り、美術館巡りやアンティークショップ(↓)をのぞいたりと楽しい旅だった。
街を歩いているだけで、おしゃれなカフェをすぐに見つけてしまうので、疲れてもいないのに「一休み」と称して中に入り、おいしいコーヒーとお菓子を味わった。そんなカフェ三昧の4日間だったのだが・・・この旅で、多くのカフェのレジに「ここはキャッシュレスカフェです」「カードで支払いのみ。現金は受け取れません」という内容のメモが貼ってあるのを見かけた。
何軒ものカフェに入り、全部ではなかったものの1日に1カ所以上は「キャッシュレスカフェ」だったことに驚いた。しかし驚いているのは私だけで、カフェに入って来る(おそらく)地元の人々はメモに目もくれない。ごく普通のこととしてポケットからカードを出し(財布を持っていない人も多かった)、カードリーダー(カード決済用端末機)で支払いをしていた。さすがに当時はまだコンタクトレス決済(タッチ決済)ではなかったと記憶している。
空港でほんの少しだけイギリス・ポンドからデンマーク・クローネに換金し、足りない分は現地のATMでちょこちょこ引き下ろそうと思っていた。しかしコペンハーゲンで行ったお店の全てでカードが使えたため、現金が不足することはなかった。以前から北欧にはデジタル化とそれに伴うキャッシュレス化が早いイメージがあったのだが、「さすが北欧、さすがデンマーク」と強く思った旅だった。
しかしその経験から1年もたたない2017年、ロンドンで初めて「キャッシュレスカフェ」と遭遇した。待ち合わせ前の時間つぶしに何気なく入ったカフェは、フィットネススタジオに併設されたものだった。ヨガやピラティスを終えた人で店内は混んでいたが、ここでもカード一枚持参でドリンクを注文し、キュっと飲むと帰っていく人が多かった。
「とうとうロンドンにもキャッシュレスの波が来た」と思ったが、しかしそうでもなかったのだ。「キャッシュレス決済」を導入するお店はどんどん多くなっていったのは確かだが、その後数年に渡りほとんどのお店では現金支払いも可能だった。
コロナ禍で一気に「コンタクトレス」化が加速したイギリス
私自身は当時「キャッシュ派」だった。その方がお金を管理しやすいと思っていたからだ。
2018年~2019年になると、アプリを使った決済も進み、カードを持ち歩かずスマホだけで全部決済を済ます人も多くなった。しかしこの時点でも私は「フィジカルカード(カード本体)を持ち歩く派」だった。当時使っていたスマホが古く、ストレージが足りなかったことに加え、何もかもを「スマホで処理」にすると、出先で「充電ゼロ」となったときに困るなあと思っていたからだ。
しかし世の中も、私をも一気にキャッシュレス化に加速させる出来事が起こった。「コロナ禍」である。
厳しいロックダウンを行ったイギリスでは、日々のメインの買い物を通販に依存することになった。この時点で日々の支払いの9割がデジタル&キャッシュレス決済となったのだが、とはいえ生鮮食品を買うために週1回ほどスーパーには行っていた。以前はスーパーの支払いは現金でしていたのだが、コロナ禍になるとすぐ大手スーパーのレジ前に「ウィルスの媒介となるものを減らすことで、スタッフを守ることができます。できるだけカードでお支払いください」という貼り紙を見かけるようになった。
小さな商店はさらにキャッシュレス化が早かった。銀行の支店が閉じられていたので「お釣り用の小銭」を用意することにも苦労したため、完全キャッシュレス化に踏み切った店が多かった。
コロナ禍初期に、国の方針でコンタクトレスで支払える額の上限が上がった。カードリーダーにカードを差し込むこともなく、「ピッ」とカードをかざすだけで支払えるコンタクトレス。これがコロナウィルス拡散の抑制に貢献するのだから、私を含め、「それでも現金で払いたい」と執着する人はいなかった。そして誰もが「ピッ」派になっていった。
すっかりキャッシュレス/コンタクトレスに慣れてしまった人々。コロナ禍が終わって久しいが、キャッシュレスのすそ野は広がるばかりである。あんなに現金派だった私でさえ、3年ものコロナ禍で「キャッシュレスでお金を管理する(≒むしろキャッシュレスの方が簡単に管理できる)方法」を見つけてしまった。重いイギリスの硬貨をお財布にジャラジャラ入れて持ち運ぶ生活から解放されたことを「楽ちん」とさえ思うほど、今やすっかりキャッシュレスの人になっている。
現金はどこ? マルシェもストリートミュージシャンもキャッシュレス
2022年9月にエリザベス女王が亡くなって1年半。チャールズ国王の肖像が刻印されたコイン(↓)が流通しているはずなのだが、実は私は1度も見たことがない。
🚨Today on Britain’s Newsroom…
— GB News (@GBNEWS) August 10, 2023
As the new King Charles Coronation 50p enters circulation from today, we want to hear from you!
Have you managed to get hold of the new coin? Send us your thoughts and any photos you have!
Reply below:2b07-fe0f: or email gbviews@gbnews.com📧 pic.twitter.com/Ptuuxo0job
もう少し具体的に言うと、誰かが現金でお金を支払っているのを見ることさえも、ほぼなくなっている・・・というレベルにキャッシュレス化しているのがロンドンの日常の風景だ。
ロンドンの地下鉄で音楽を奏でるバスカー(※)やストリートミュージシャン、また大道芸人へのチップもカードリーダー経由で払うのが定着した。アンティークマーケットやポップアップショップ、マルシェやストリートフードの屋台も、支払いはキャッシュレスが基本だ。
この類のお店は、以前はカードリーダーを持っていない経営者が多かったため現金払いが好まれた。しかしそれはもう遠い昔のこと。お釣りを用意しないで済むこと、レシートもメール転送できるようになったため「キャッシュレス」「コンタクトレス」だけでなく、「ペーパーレス」も定着済だ。もう「現金でしか支払いできない」場所はイギリスにはないのかもしれない、というぐらいの浸透度だ。
こういった状況を反映し、王立造幣局も「まずは既存のコインを使い切る」方針を打ち出しており、チャールズ国王の新硬貨の発行枚数を調節しているようだ。今年中に紙幣も切り替わるが、私が目にする日はまだ遠い気がする。
一時帰国時に思う「日英の違い」
年に1度、日本に一時帰国している。そのたびに日英のキャッシュレス化の違いに気付くのだが、「日本ではまだ現金が機能しているのだな」と毎回思う。
私の実家は関東地方にあるので羽田または成田空港に到着するが、空港の銀行ATMに立ち寄り、現金を引き出すことから私の一時帰国が始まる。電車を使って実家に帰るのだが、現金がないとSuica(JR東日本のICカード)にチャージができないので現金必須なのだ。
「モバイルSuica」をダウンロードすれば現金不要でチャージできるのだが、イギリスではほぼ全てのICカード(本体)にカードやアプリでチャージできるため、現金でチャージすることはほとんどない。お札を手にするたびに、何となく新鮮な気持ちになる。
加え「モバイルバンキングやキャッシュレス決済は、各国ごとにルールや発展の仕方が違うのだな」とも思う。実際の支店を持たず、オンライン上だけに存在するネット銀行は日本でも定着しているが、イギリスの方がより一般的であり、本当にたくさんの銀行や金融機関が参入して戦っている。私もとあるイギリスのネット銀行の口座をよく利用している。この銀行に口座を開設した理由は、日本でも手数料なしで使用でき、かつ預入期間の設定がない(=定期ではない)貯蓄口座(Saving Account)の金利が4.1%だったこと。自由度が高く使いやすいのでありがたい存在だ。
少し愚痴になるが、この数年、帰国のたびに悩ましい存在なのが「PayPay」だ。前回の帰国で、「支払いはPayPayか現金のみ」という飲食店や小売店に何度か遭遇した。しかし残念ながら、私が使用しているイギリスの携帯番号と紐付いたスマホでは、「PayPay」は使用できない。「PayPay」は海外の携帯電話番号ではSMS認証ができないシステムになっているので、私は利用不可となってしまう。
現在円安なこともあり、インバウンド客が押し寄せている日本。しかし外国人観光客は私同様「PayPay支払い」ができないはずだ。セキュリティ上の問題なのだと予想するが、日本でたくさんお金を使ってほしいはずなのに、ここを解決しないのはなぜなのかな?と素直に疑問だ。
デジタル弱者にも優しい社会でいてほしい
キャッシュレスやモバイルバンキングの面では、日本よりイギリスの方が1歩先を歩いているように感じているが、懸念事項もある。キャッシュレス化はデジタル化社会と繋がっているものだが、「今後デジタル弱者が現在の流れに付いて行けなくなるのでは?」と心配されている。
Fears UK’s cashless society will leave more than just the vulnerable behind https://t.co/ZtKBfezafb
— Guardian Money (@guardianmoney) August 14, 2023
イギリス国家統計局によると、2020年1月~2月の段階で96%の世帯が何らかの方法でインターネットに接続している。しかしネットがあるからといってモバイルバンキングを使いこなせるというわけではない。私の周りにはデジタル強者の80代の知人もいるが、いろいろ困っている60代の知人もいる。彼女(イギリス人女性、Rさん)はカード本体を使う「キャッシュレス決済」は仕方なく受け入れているが、コンタクトレス決済は「誤作動があっても確認できないから、本当はやりたくない」と言う。自宅にはネットもあり、PCもスマホも使用しているが、オンラインバンキングは「口座詳細を見る」ことも含め一切行わない方針で、アカウントも持っていない。
私は時折、Rさんのデジタルあれこれをお手伝いしているのだが、決済システムの進化の速さに不安を感じていると語る。
「数年前まで普通に使っていた小切手(※※)も使いづらくなっているし、そのうち銀行明細書の郵送(※※※)も有料になりそう。近い将来、現金ってなくなってしまうのかしら?私にはとても生きづらい世の中だわ」
数年前までキャッシュ派だった私だが、現在のところはまだ世のキャッシュレス&モバイル化の流れについていくことができている。しかし今後、そうでなくなることもあるかもしれない。現在は仮想通貨に無縁の私だが、そのうちそんなことを言っていられなくなるかもしれない。
「大多数の方に寄せないと生きていけない」社会より、「少数派にも道が残されている」社会の方が、「優しい社会」だ。私にできないことが主流になっても、旧式が利用可能だったり、また優しく教えてくれる人・場所を探しやすい社会であってほしいと願っている。
キャッシュレス化のあまりに早い流れを見ていると、世の進化に対して社会がどう対応していくのか、その様子が占える気がする。さて、どうなるか。期待しつつ、観察していこうと思う。
トップ写真: Nathan Dumlao from Unsplash
本文2番目の「コンタクトレス」化の写真:Christiann Koepkefrom Unsplash
本文5番目の「Revolut」の写真:Sophie Dupau from Unsplash
本文6番目のビットコインの写真:Shubham's Web3 from Unsplash
連載「LONDON STORIES」
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