今の時代に合った言葉「ピボット」は、日本人が得意なことの一つでもある【茂木健一郎の言葉とコミュニケーション】

脳科学者・茂木健一郎さんの連載「言葉とコミュニケーション」。第28回は、日本語の中で使われる和製英語や英語について。そして、現状をよく表す言葉「ピボット」についてお話しいただきます。

インパクトやカラフルさが好まれた、かつての和製英語

日本の中ではやっている英語のフレーズだけれども、元々の英語圏ではあまり使われていない言葉というのが時々ある。

学校の中で子どもたちがつくる集団や、序列という意味の「スクールカースト」もそうで、いわゆる「和製英語」であり、英語圏ではほぼ使われない。特定の仲間でつるむ傾向があるということは「クリーク」(clique)という言葉で表す。小集団や群れというような意味だが、スクールカーストに比べるとより価値中立的である。猿の群れで毛繕いをし合う仲間のこともクリークと言う。

和製英語や日本語圏でよく使われる英語が悪いというわけではなくて、どうも私たち日本人はより印象的でインパクトのある、カラフルな表現を好むようだ。簡潔さも大切である。日本の表現が英語圏に逆輸入されることもある。プロ野球の夜の試合は日本ではかつては「ナイター」(nighter)と呼ばれていたが、英語では本当は「ナイトゲーム」(night game)と言うんだとずっと前に誰かが書いていたのを読んだことがある。しかし、今は日本のアニメや漫画からの影響もあってか、英語圏でも「ナイター」と言うことがあるようだ。

言葉は生き物で、日本もまた、英語が得意な国とは必ずしも言えないものの、グローバルな「英語」の進化のサーキットに入っているということなのだろう。私たち日本人がどのように英語を使うかが、回り回って世界中の人に影響を与えていくのかもしれない

「ドッグイヤー」や「マウスイヤー」から「ピボット」へ

ところで、しばらく前に、インターネットがもたらす技術革新の様子を表す言葉として「ドッグイヤー」や「マウスイヤー」という表現がよく聞かれた。犬の1年は人間の7年に当たり、マウスの1年は人間の18年に当たることから、「時代の変化が速い」ことを表す言葉として流行したように記憶する。

ドッグイヤー、マウスイヤーという表現は、英語圏でも使われないわけではないが、日本ほど一般的ではないようだ。やはり、日本人独特の耳当たりの良さとか、印象のつかみやすさといったことに関する価値基準から、これらのフレーズが選ばれ、メディアやSNSで多用されたというのが真相のようだ。

あまり使われなくなったこれらの表現に代わって、最近よく耳にするのが「ピボット」(pivot)である。バスケットボールで軸足を中心にくるくると回転する動作に由来し、環境に合わせて臨機応変にビジネスの方向を変えることを意味する。そして、この単語は英語圏でもよく使われているようだ。その意味で、ピボットは、日本だけでなく世界的な潮流を表しているのだろう。

ドッグイヤーやマウスイヤーには、目的地や変化の方向は決まっているのだから、加速してとにかく速く、というようなニュアンスがあった。日本の政治や経済で「改革」の必要性が叫ばれていた頃には、これらの表現が世間の気分とぴったり合ったのだろう。

今や時代は流れて、世界がどのような方向に行くのかよく分からない。むしろ少し先の未来でさえ見通せないという認識が強い。

流行している技術トレンドも、果たしてどれくらい続くのか確信が持てない。「メタバース」は大切だが、ビジネスとして成り立つのかまだ分からない。「Web3」や「トークン」、「NFT」といった流行の概念も、2年後、3年後にはどうなっているのか分からない。

明日が見通せない今だからこそ流行する言葉

そんな中、変化することだけが確実であり、その時々の状況に合わせて向きを変える必要があるという認識を示す言葉として、ピボットはぴったりなのであろう。また、近未来が見通せずに変化に合わせるしかないという状況は世界共通だから、ピボットは日本だけでなく英語圏でも広く使われているものと思われる。

ピボットで肝心なのは、回転する軸足がしっかりしていなければならないこと。これも最近の日本のビジネス界で流行している「パーパス」がまさにそのような軸足に相当するだろう。中長期的に揺るがない、企業の価値観や理念を表すこの言葉は、英語圏でも広く使われている。

ピボットやパーパスといった言葉が日本で流行しているということは、以前に比べて日本独自の和製英語や、日本でだけ流行する表現が減ってきて、いわばグローバルスタンダードに近づいてきたことを意味するのかもしれない。それはそれで結構なことのようだけれども、一方で少し寂しい気持ちもある。

明日の世界がどうなっているか容易に見通せない現代だが、日本はピボットは得意なように思う。幕末から明治維新、第2次世界大戦から戦後というように、世界の常識からすればあっけにとらわれるような大変革を、日本人は涼しい顔をしてやってきた。日本が停滞している、衰退しているという論がはやって久しいが、実は世界は日本のことをそれほど悲観しているわけではなく、単に日本人が自分たちで嘆くのが、はやっているだけのようだ。

ここは、一つ、日本の得意なピボット力を発揮して、悲観から楽観への劇的な変化を遂げるくらいのことをしたいものである。英語を大いにやるというのが、ピボットの一つの有力な手段だと私は考えている。

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)

1962年東京生まれ。脳科学者、作家。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学大学院客員教授。東京大学大学院物理学専攻課程を修了、理学博士。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。

写真:山本高裕(ENGLISH JOURNAL 編集部)

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