言葉の意味:その曖昧さやズレに敏感であることが大切である【茂木健一郎の言葉とコミュニケーション】

脳科学者・茂木健一郎さんの連載「言葉とコミュニケーション」。第27回は、議論が巻き起こっていた「座り込み」という言葉から、茂木さんが考えた「言葉に違和感を持つこと」について話します。

辞書の定義と社会の定義は一致しない

ひろゆきさんが建設中の沖縄、辺野古の基地の前で座り込みして抗議活動をしている方々のところを訪れて、「連続」ではやっていないじゃないかと写真つきでツイートして議論が沸き起こっている。

ひろゆきさんが来たときには、たまたま座り込みをしている方はいなかった。でも、定期的にちゃんと座り込みをしている。そんな反論もネットで拡散した。「座り込み」という言葉に、ずっと座り続けているという意味があるのかどうかは人によって違うだろう。辞書の定義を持ち出しても、それと社会での用法は必ずしも一致しないから、難しい。

言葉には曖昧さがある。だからこそ柔軟に表現できて便利なのだけれども、時には今回のようにすれ違ってしまう。結果として、「座り込み」という言葉の意味合いをめぐる議論を通して、沖縄の基地の問題に関心が集まったことは良かったと思う。これはインフルエンサー、ひろゆきさんの力だろう。

言葉の使い方にはいろいろなニュアンスがあって、人によっても言語によっても違う。当然、関係する人が全く同じ意味合いで使うことは不可能だけれども、ズレに敏感でありたいとは思う。言葉が含意するところのすれ違いに注意を向けていないと、時には変なことになってしまう。

思考停止を生む言葉は使いたくない

以前にもこの連載で書いたことだが、私は日本の社会における「ネイティブ」という言葉の乱用に強い違和感がある。何を言いたいのか、どんな価値観を背景にしているのか理解し難い。つくづく、日本のネイティブ信仰は軽薄だと思う。

英語話者と言っても、アメリカとイギリスでは異なるし、地域や社会のクラスターによっても違う。「ネイティブ」と簡単に言うけど、実態は複雑だ。

正直、「ネイティブ」であること自体には価値がない。先日も国連のアントニオ・グテーレス事務総長の発言を聞いたが、独特のリズムとイントネーションの英語だという印象だった。今調べたら、ポルトガル出身の方らしい。しかし、言葉は聞き取りやすいし、国際情勢についての洞察は当然深い。だから事務総長をやっている。その方が「ネイティブ」であることよりもよほど価値があると思う。

日本のネットでよく見かける「ペラペラ」という言葉もよくわからない。英語が「ペラペラ」しゃべれるという意味らしいが、内容がないことをそれこそペラペラ口にするという意味なのだろうか?そんなことに価値があるとは思えないし、そういうのが売りの英語の学習サイトなどを見かけるとうんざりしてしまう。

私がイギリスのケンブリッジ大学でお世話になったホラス・バーロー教授は、ゆっくりと考えながら話す人だった。言うまでもなくオックスブリッジの英語の「ネイティブ」だが、決して「ペラペラ」としゃべる人ではなかった。

お目にかかったことはないが、マサチューセッツ工科大学の言語学者として著名なノーム・チョムスキー教授も、考えながらゆっくりとお話しになるタイプだと思う。ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれとのことだが、ひょっとしたら移民の方なのではないかと思わせるほどポツリポツリと言葉を発する。そして、チョムスキー教授のお考えを聞く上で、「ネイティブ」かどうか、「ペラペラ」かどうかは関係ない。

結局、「ネイティブ」や「ペラペラ」といった日本の英語学習者が使いがちな言葉は、底の浅い、思考停止の態度の表れだと思う。言葉は時に実体を隠してしまい、本質的な思考をすることを妨げる。言葉にだまされてはダメだ。

立ち止まって考えることが大切である

私は、ひろゆきさんとは沖縄の問題についての考え方は必ずしも一致しないかもしれないけれども、ひろゆきさんが言葉の前でいちいち立ち止まって考え直したいというその気持ちは分かる。ひろゆきさんの前にも、おそらくは何百人、何千人の方が辺野古の現場に行っていたのだろう。そのうちの誰も、ひろゆきさんのような形では「座り込み」という言葉の前で立ち止まらなかった。

その結果起こった論争については人によっていろいろな思いがあるだろうけれども、考えるきっかけになるという意味では良いのではないだろうか。社会の中で使われている言葉をそのまま受け流しているだけでは、思考は深まらない。もし引っ掛かりを感じたら、その違和感を大切にしてものを考えるようにしたい。

私はどうやら変わり者らしく、日本の社会で使われているさまざまな言葉に違和感がある。例えば「専門学校」という言葉。「大学」という言葉に対して、文科省がそのようなカテゴリーを定めているのだろうけれども、なんだか変だと感じる。

「専門学校」よりも、「カレッジ」という呼び名の方がしっくりくる。実際、日本にある「専門学校」の多くは、英語で言えば「カレッジ」だろう。カレッジだったら、例えばケンブリッジ大学を構成しているトリニティ・カレッジやキングス・カレッジとひとつながりだし、一つの道を極めるという点では共通だ。

「ネイティブ」や「ペラペラ」や「専門学校」という言葉は、ともすれば本当に大切な実質を覆い隠してしまうのだと思う。考えたり感じたり行動したりする際の「自由」を何よりも大切にしたいと考えている私は、不自由さへと導く概念に対する強い拒絶感がある。

言葉は、人を自由にする道具にもなれば、固定観念に縛り付けて不自由にする鎖にもなる。ひろゆきさんの辺野古の「座り込み」問題をきっかけに、このようなことを考えたのである。

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)

1962年東京生まれ。脳科学者、作家。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学大学院客員教授。東京大学大学院物理学専攻課程を修了、理学博士。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。

写真:山本高裕(ENGLISH JOURNAL 編集部)

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