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芸術のなかの「カワイイ」について考える~文化を越境する感性~ 

カワイイ論第5回

ハローキティやポケモンなど、今や世界中にファンを持つ「カワイイ文化」。その魅力は英語の「cute」や「beautiful」には収まらない奥行きにあります。この連載では、社会学をご専門とする遠藤薫さんと「カワイイ文化」の真髄に迫ります。

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「カワイイ」は芸術か?

2021年7月10日から2021年9月5日までの間、京都市京セラ美術館で「THE ドラえもん展 KYOTO 2021」という美術展が開催されています。私も行きたいのですが、新型コロナウイルスで緊急事態宣言が出る中、自粛せざるを得ない状況にうなだれています。私の好きなアーティストである、奈良美智さんや町田久美さんも出展しているので、本当に残念です。

最近では、マンガやアニメ作品の美術館での展示が、古典的な芸術作品よりも人々の関心を引くようになってきています。これらの作品は、数十年前だったら「文化」として取りあげる価値のない「幼稚なもの」と言われていたことを考えると、大きな変化です。

私が大学の教員になったのは90年代の初めのことでした。当時は、社会学の講義で「グローバリゼーションと日本の文化」というテーマで、マンガやアニメを取りあげても、学生さんから「マンガやアニメのような低俗なものは日本の恥です。なぜそんなものを『文化』と呼んで、講義で取りあげたりするのですか?」と抗議を受けたりもしたものです。

その学生さんが考える「文化」とは、いわゆる「上位文化(High Culture)」、つまり社会の中で高いポジションにいる少数の人々が、教養として享受してきた文化のことでしょう。例えば、クラシック音楽や古典絵画などが、それにあたります。

ハイ・カルチャーの反対語は、「低級文化(Low Culture)」、「大衆文化(Mass Culture)」、「ポピュラー文化(Popular Culture)」、「サブカルチャー(Subculture)」などと呼ばれます。大衆と呼ばれる多くの人々によって享受される文化のことですね。「カワイイ」という感性も、ひと昔前までは、これら大衆的な関心を超えるものではありませんでした。

しかし、連載の第2回でも触れたように、「カワイイ」をめぐる人々の興味関心は、90年代頃から流れが変わり始めました。インターネットの普及とともに、日本のオタク文化として「Nintenndo」 「Manga」「Anime」が、世界中の人々をひきつけていることが広く知られるようになったのもこの頃です。コンピューターやサブカルチャーに夢中な「オタク」たちは、アメリカでは「Nerd」とか「Geek」とか呼ばれていました。

また、当時はまだ文化的交流が制限されていた東アジアの国々にも、日本のアニメやゲームは広く受け入れられていました。 特に台湾ではハローキティが大人気(図1)で、つい最近も中華郵政とハローキティのコラボ・グッズが即日完売したというニュースがありましたね。

台湾で見つけたキティちゃん

図1 台北市内で見かけた「キティちゃん」(1999年、遠藤撮影) 

韓国でも、ハローキティ、ドラえもん、クレヨンしんちゃんなどは大人気でした。シンガポールでは、通信企業の広告に人気キャラクターのたれぱんだが使われていました(図2)。

シンガポールで通信企業の広告に使われていた「たれぱんだ」

図2 シンガポールで通信企業の広告に使われていた「たれぱんだ」(2000年、遠藤撮影)

イギリスでは、空港からロンドンの街まで任天堂のゲーム、特にポケモンが溢れていました。ポケモンのぬいぐるみを売っている露天商の中には、ポケモンはイギリス産のキャラクターだと信じていた人もいたくらいです。またフィンランドでは、高級ホテルの客室に、任天堂のゲーム機が備え付けになっていました。

こうした流れを背景に2000年、村上隆さんが「スーパーフラット」をキーワードに、アニメやコミック作品を大胆に「芸術」としてブランディングしていきます。ルイ・ヴィトンのようなハイブランドとのコラボも話題になりました。

原宿カルチャーの発信力

さらに2000年代に入ると、原宿カルチャーの発信力が大きな影響力を持つようになってきました。高橋盾さん(UNDERCOVER)やNIGO®さん(A BATHING APE)といったデザイナーが、1990年代から原宿の裏通りにストリート系のブランドの店を出して、これが若者層に人気を博し、地方からもお客さんが列をなして押し寄せるほどの評判となっていたのです。裏原宿のデザイナーたちは、当初、国内のメジャーブランドに対抗する存在として自らを位置付けていましたが、やがて評価が高まるとともに、UNDERCOVERなどの人気ブランドを筆頭にパリコレに出展するなど、海外進出を志向するようになります。そして、海外からも高い評価を受けるようになると、逆輸入の形で、国内でのステイタスを確立していったとも言えます。

一方、2007年には歌うバーチャルアイドル「初音ミク」が登場し、ツインテールをなびかせて、世界の注目を集めました。 同じ頃、機械のようなダンスをするテクノポップユニットPerfumeが、長い下積みの時代を経て、YouTubeを介したファンたちの活動により次第に知名度を上げ、「ポリリズム」で遂に大ブレークしました。

そして2011年7月、原宿から活動を始めたきゃりーぱみゅぱみゅさんは、メジャーデビューシングル収録曲「PONPONPON」のMVをYouTube上で公開しました。当時はまだ無名だったきゃりーぱみゅぱみゅさんですが、そのMVは世界的な注目を集めました。約10年後の2021年7月現在、再生回数は1億8千万回近くに上っています。私も彼女の全く新しい世界観に衝撃を受けました。

きゃりーぱみゅぱみゅさんは、裏原宿の6%DOKIDOKIというお店の常連客で、「PONPONPON」のMVを作るとき、アートディレクションを依頼したのが、このお店のプロデューサーである増田セバスチャンさんでした。

私は最近になって増田セバスチャンさんのことを知ったのですが、2018年に箱根のポーラ美術館で開催された、増田セバスチャン×クロード・モネ「"ポイントリズム ワールド(Point-Rhythm World)-モネの小宇宙-"」というインスタレーションにはとても興味をひかれました。クロード・モネの名画「睡蓮の池」連作(図3)を再構築し、大型インスタレーション作品として展開したものです。

「PONPONPON」のMVからもわかるように、増田さんは「色の魔術師」と呼ばれているそうです。ポップでカワイイ色が洪水のように溢れ出て、宇宙の始めの混沌を再現しているかのような作風です。

一方、モネの特長である点描法という技法は、絵画などにおいて線ではなく点の集合や非常に短いタッチで表現する技法です。1898年から1900年まで描かれた「睡蓮」第1連作では、図3からもわかるように、太鼓橋を中心に、睡蓮の池と枝垂れ柳が、光の変化に従って描かれています*1

増田セバスチャンさんとモネのコラボは、まさに必然と言ってもいいかもしれません。

モネ『睡蓮の池』ナショナル・ギャラリー (ロンドン) 1899年に制作された「日本風の橋」の連作の一つ

図3 クロード・モネ『睡蓮の池』(1899年)

日本と世界がコラボする「カワイイ」

でも、考えてみればモネは、19世紀印象派の代表的画家です。そして印象派といえば、当時、ヨーロッパを席巻した「ジャポニスム(Japonism)」運動の中心でした。モネやゴッホなど当時の画家たちは、日本の浮世絵や着物、扇子やうちわ、陶器などに、当時の欧米にはない新たな美を見いだし、それらに夢中になったのです。図4は、モネが、着物を着て扇子をかざした妻を、浮世絵の描かれたうちわを背景に描いたものです*2。私はこの絵を美術館で見たことがありますが、とても大きなキャンバスが美しいもので埋め尽くされていて、圧倒される感じでした。それとともに、原宿や浅草の街を着物を着て「カワイイ」と楽しそうに歩いている、外国からきた女性たちも思い浮かべました。

ではこのとき、日本の文化と欧米の文化が初めて出合ったのかといえば、ちょっと違います。図5は、モネ夫人の絵から100年くらい前に描かれたものです*3。描いたのは、小野田直武という秋田藩士ですが、普通の日本の絵とは違いますよね。彼は、エレキテルで有名な平賀源内や、『解体新書』で知られる杉田玄白らと親交がありました。彼らは当時、鎖国政策が少しだけ緩んだこともあり、ヨーロッパ文化の摂取に熱心でした。絵の得意だった小野田は、『解体新書』の挿画を担当しただけでなく、ヨーロッパの画法(陰影法、遠近法など)を取り入れた「蘭画(らんが)」を残しています。図5もその一つで、子どもたちが愛犬に餌をやっているのでしょうか、油彩を思わせるようなタッチ、外国風の犬の姿が印象的です。

「着物を着たモネ夫人」(1875年)

図4 クロード・モネ「着物を着たモネ夫人」(1875年)

『児童愛犬図』 (1770年代)

図5 小田野直武『児童愛犬図』(1770年代)

蘭画(らんが)の技法は、その後、浮世絵師たちにも受けつがれました。例えば、図6は葛飾北斎「富嶽三十六景 深川万年橋下」ですが、遠近法によって橋の向こうに富士山が小さく見えます*4。また、図7は歌川広重の「名所江戸百景 亀戸天神境内」ですが、こちらも遠近法によって近景の藤の花が大きく描かれ、その向こうに太鼓橋が小さく描かれています*5

葛飾北斎の「富嶽三十六景 深川万年橋下」

図6 葛飾北斎「富嶽三十六景 深川万年橋下」(1830−32頃)

歌川広重「名所江戸百景 亀戸天神境内」(1856年)

図7 歌川広重「名所江戸百景 亀戸天神境内」(1856年)

そしてさらに面白いのは、北斎や広重が描いた日本の橋の姿を、モネは睡蓮の庭に実際に作り、その風景を「睡蓮」第1連作に描いたことです。西欧の画法が鎖国中の日本の絵画に吸収され、その美しい果実が、改めて19世紀に西欧で発見され、新たな芸術として開花したのです。日本において大衆文化として広まった浮世絵が、西洋的な外部の眼差しによって再解釈されたこのプロセスは、文化の多層性を示す非常に興味深い例です。

アール・ヌーヴォーと大正ロマン

ジャポニスムは、印象派だけでなく、欧米の多くのアーティストに影響を与えました。当時のヨーロッパでは、ポスターなどの商業的アートは、高級な文化とは見なされていませんでした。しかし、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックやアルフォンス・ミュシャなどの画家たちは、装飾性に富んだ日本絵画の特長を大胆に取り入れて、アール・ヌーヴォーという芸術運動を起こし、ポスターも優れた美術品となることを世の中に認めさせました。

例えば図8は、ミュシャの代表的な広告ポスターです*6。印象的な花環の意匠は、着物の裾模様としてよく使われる御所車(ごしょぐるま)の紋様からインスパイアされたものだと言われています。このようなアール・ヌーヴォー運動は、日本にもすぐに伝わり、日本の画家たちにも影響を及ぼしました。明治末から昭和期にかけて活躍した画家である藤島武二が手がけた与謝野晶子の歌集「みだれ髪」の表紙装画(そうが)は、ミュシャに刺激された早い時期の作品と言われています。

図8 ミュシャ作「モナコ・モンテ・カルロ」(1897年)

図8 アルフォンス・ミュシャ「モナコ・モンテ・カルロ」(1897年)

つまりここまで見てきたのは、「カワイイ」と関連する感性は、必ずしも一つの文化圏に閉ざされているものではなく、他の文化圏との接触によって新たにインスパイアされ、進化することを繰り返してきたということです。「カワイイ」という感性は、他の文化との交流によって時代と適合する変容を遂げることで、人々の生きる意味を豊かにしてきたとも言えるでしょう。

その一方、そのように混淆(こんこう)を繰り返してきたのも関わらず、連載の第1回でも見たように、「cute」と「カワイイ」は違います。それは、原宿ファッションが大好きなレディー・ガガやケイティ・ペリーと、初音ミクやPerfumeなどが違うことからも分かります。モネの庭園の太鼓橋と亀戸天神の太鼓橋も違うのです。

しかし、まさにそのことが素晴らしい。違いが相互作用し合うことによって、また新たな違いが生み出されていく。世界は決してただ一つの「カワイイ」に収斂(しゅうれん)することなく、どこまでも自由で多様な新しい世界を生み出し続けるのです。まさに「カワイイ」という感性の運動こそが、私たちの世界を多様化するエネルギー源だと言ってもいいのではないでしょうか?「カワイイ」の奥深さは、どこまでも尽きることがないのです。

遠藤薫さんの著書

「カワイイ」の世界について、次のような本も書いています。興味を持っていただけたら嬉しいです。

遠藤薫

遠藤薫(えんどうかおる)学習院大学教授。専門は社会学で、社会の変化、メディア、文化などを中心に研究。著書に、『ソーシャルメディアと公共性』(東京大学出版会)、『ロボットが家にやってきたら・・・――人間とAIの未来』(岩波書店)、『カワイイ文化とテクノロジーの隠れた関係』(東京電機大学出版局)など。
遠藤薫研究室ウェブサイト