英語のtheyだけじゃない!フランス語とイタリア語のノンバイナリーな表現

フランス語・イタリア語と日本語の翻訳家・通訳者である平野暁人さんの連載「舞台芸術翻訳・通訳の世界」。ご専門の舞台芸術通訳の仕事や趣味とする短歌など、多角的な視点から翻訳・通訳、言葉、社会についての考察をお届けします。今回は、日本で意外と知られていない、フランス語とイタリア語の「ノンバイナリ―」な表現についてです。英語よりも「男性か女性か」が常に問われる文法構造を持つ両言語で、どのような試みが行われているのでしょうか?ジェンダーやLGBTQの話というだけではなく、実は誰にとっても関係のある話です。

EJOをお読みのみなさん、こんにちは。翻訳家で通訳者の平野暁人です。

回は、前回の続き=後編です!

▼前編(主に日本語の「自称詞(一人称)」の話)はこちら

実は英語もバイナリーなのでして

さて、前編は日本語の自称詞がバイナリーであることから生まれうるさまざまな悩みや不便について考えてみました。繰り返しになりますが、「Je」や「I」ならこうした不都合に悩まされずに済むのです。ちっ楽でいいよなあいつらはよぅ(急にグレる)。

でも、日本語以外の言語には男女二分システムによる不都合はまったく生じないのでしょうか?

なーんて問いはさすがにEJO読者のみなさんをバカにし過ぎですよね。すまんすまん。義務教育で英語を学んだことのある人なら、英語にもhe(彼)/she(彼女)があるじゃん!とピンとくるはず。そうです、英語に限らず多くの西洋諸語では、自称詞よりも他称詞(いわゆる三人称)の方に男女二分システムが強く表れているのです。つまり、性自認がどうであろうと自称詞で困ることはないけれど、ノンバイナリーの誰かを呼び表すのに適した言葉がないんですね。

そこで英語の世界では近年、ノンバイナリーの人々を指すときには三人称複数のtheyを転用する、という文化が広がりつつあります。he isやshe isの代わりにthey areを使うのです。

「〇〇っていう作家がいるんだけど、heはね・・・」という代わりに

「〇〇っていう作家がいるんだけど、theyはね・・・」となるわけですね。

そもそも「彼」や「彼女」を使わずに話すことができる日本語話者にはあまりピンとこないかもしれませんが〔*1〕、三人称を使う場面のとても多い英語話者にとっては、これは極めて大きな意味を持つ変化です。試しにこの連載のプロフィール欄を見てください。日本語では「私」も「彼」も出てきてませんけど、英語ではこういう文でもいちいち「彼は~を手掛ける」って書いたりするんですよ。そりゃ気になるよねえ。

he/sheの二分法に収まらない人にはtheyを使ってはどうか、という声はかなり以前から存在してはいたようですが、2010年代に入ってモデル、ミュージシャン、作家などを中心に自らをノンバイナリーだと公言する有名人が増えたこともあり、theyを使いましょう、という機運がどんどん高まり、徐々に英語辞典にもこの用法が記載され始めている模様。

ともあれ、このあたりの話は英語表現の例文を日本語で書く(↑)ほど英語のできないぴらの氏の雑文で読むより、例えば英文学者の北村紗衣さんがやはりEJOの連載で書かれていた記事をご覧になるのが吉。すごくわかりやすくまとめてくださっているのでお薦めです。

さ、話の流れの都合上しかたなく挿入した英語の例も終わったことだし、いよいよ次はフランス語の話をしますよー!わーいわーい!(急に元気

実はフランス語こそ超バイナリーなのでして

というわけで、フランス語圏のノンバイナリーな人たちはどうしているのか、みなさん英語なんかよりずっと気になっていることと思います(異論は認めない)。英語がhe/sheの二分法をtheyで乗り越えようとしているのなら、フランス語も同じように三人称複数を転用しているのでしょうか。

ところがどっこい、そうは問屋が卸しません!

だってフランス人はイギリス人やアメリカ人の真似(まね)なんか意地でもしないから!

というのは冗談(とも言い切れない)ですが、実は真似しようとしてもできないのでして、なぜならフランス語では、

  • il(彼)/elle(彼女)
  • ils(彼ら)/elles(彼女ら)

のように、三人称複数もきっちり男女で区別されているのです。集団を表す場合でもいちいち男女どちらかの性別を明示するんですね。めんどくさっ。

だがしかし、ここでひとつ疑問が生まれます。

「・・・あれ?でもそしたら、男性も女性もいる集団を呼び表すときはどうするの?」

これがですねお客さん、じゃなくて読者のみなさん(つまり客だが)、信じがたいことに、そういうときはすべて、男性形複数のilsで表すという規則があるんですよ。女性の存在が抹消されるんです。いるのに、いない扱いになるんです、言葉の上では。まじで?まじっす。

しかもこのルールは徹底しており、たとえ男女比が99(女):1(男)の集団でもils(彼ら)と呼びます。

ということはですよ?

新郎新婦だってils(彼ら)と呼ぶし、男女で行う合コンの参加者全員を指すときもils(彼ら)を使うことになるわけです。やばくない?やべーっす。

また、フランス語で人間を表す名詞には男性形と女性形に分かれているものがたくさんあります。

例えば「顧客」という名詞であれば英語ではclient(顧客)/clients(顧客たち)ですが、フランス語では、

  • client(男性客)/cliente (女性客)
  • clients(男性客たち)/clientes(女性客たち)

というようにきっちり4分割されます。

しかもただ分かれているだけではありません。見てのとおり、男性の形を基準として、そこに女性の標(しるし)であるeを付け「この人は女性ですよ」と示す「足し算方式」なんですね〔*2〕。

そして男女両方の顧客が入り混じった集団を指す場合にはやはり、先ほどの例と同じ法則に従いclients(男性客たち)の方に統一される。ということは、企業やお店からの「お客様へ」という呼びかけひとつとっても、「大切なclients(男性客たち)のみなさんへ」と記されるわけです。意味の上では男女両方に呼びかけてるんですけど、表記の上では女性が消滅してしまう。もちろん代名詞で受けるときはils(彼ら)を使うしね。もうバイナリー(男女二分)どころかユーナリー(男性一元)〔*3〕じゃん!ありえなくない?いつも男のゆうなりーになるなんて!あっまずい余計にありえないこと言った。歌丸です(※歌丸師匠に謝れ)。

そら怒って当然なわけでして

実を言うとフランス語には、人間を表す言葉に限らずほとんどすべての名詞に男性名詞と女性名詞という文法上の性別が付されていたり、形容詞まで男性形と女性形に分かれていたり、そのくせ複数になるとやっぱり常に男性形に統一されたり、あるいはまた男性形しか存在しない職業名詞があったりと、全体に明らかな男性優位の構造を持つ言語です。medecin(医者)とかavocat(弁護士)とかministre(大臣)とかみんな男性形しかないんでやんの。わかりやすっ。あと、couturierは「デザイナー」なのに同じ単語の女性形couturiereは「お針子」とかな。いいかげんにしとけよまじで。

で、いくらなんでもド直球の性差別じゃろがい!というわけでフランスでは1970年代後半くらいから公に批判の声をあげるフェミニストが増え始め、1998年には政府主導で職業名詞の女性形を整備したり〔*4〕、2012年には未婚女性を示すMademoiselle(マドモワゼル)や旧姓などの表記が行政文書から廃止されたりと〔*5〕、男性優先の言語社会環境はすこしずつ変わりつつあります。

となると、先ほどの「男性も女性もいるのに男性複数に統一されちゃう問題」は?

もちろんこの件についても盛んに議論が交わされています。

なんでも専門家の検証によれば、男性優位が文法規範として定着したのは19世紀半ばのことで、フランス語史的には最近の現象なんだそうです。それよりもっと昔は平等な規則に基づいていたのに、17世紀半ばあたりからエラい男の人たちに歪(ゆが)められ始めて今みたいに変わっちゃったんだって。理由は「男性の方が高貴だから」「雄の方が社会的に優れた存在だから」〔*6〕。すげえなおい。それが今まで残ってんのか。そら誰でも怒るでしかし。

で、この問題を解決して男女を平等に表記するために近年、提唱されているのが「全部盛り(ecriture inclusive)〔*7〕と呼ばれる方式です。その中から代表的な選択肢を以下に2つご紹介しましょう。

その1. 女性形と男性形を併記する

読んで字の如(ごと)く、女性形複数も男性形複数も並べて書く方法。先程の例を使うとこうなります。

例:cheres clientes, chers clients(直:大切な女性客ならびに男性客のみなさま)

シンプルなんですけど、問題は長過ぎること。特にいろんな人に同時に呼びかける場合(学生、教職員、保護者ならびに近隣住民のみなさま、みたいな)、すべてが倍の長さに・・・。

あと、男女どちらを先にするかという問題も残ります。現在は(今までの埋め合わせとして?)女性を先にする例が優勢なようですが、女性を優先させるのもそれはそれで平等という目的とは違いますし。あ、アルファベット順という案を提唱する人もいますが、その場合は毎回綴(つづ)りの最後の方を確認してどちらが先かを判定することになります〔*8〕。

その2. 「標」を全部盛り込む

こちらは、性別と数を表す「標」を、記号を使って全部盛り込んじゃおう!という発想です。

  • 例1:cher'e's client'e's
  • 例2:cher.e.s client.e.s
  • 例3:cher-e-s client-e-s
  • 例4:cher(e)s client(e)s

こうすれば男性複数と女性複数の標を同時に表示できるから書くのも1回で済む、というわけですね。あ、例がたくさんあるのはいろいろな書き方を推奨する人がいてまだ定まっていないせいです。ともあれ、やはり文字や記号を「足し算」してゆく発想は健在なんですね。

男女平等推進のため政府が設置した評議会も2016年に「いーじゃんいーじゃん!言語ってのはその社会の在りかたや考えかたの写鏡だからね!ガンガン使ってこー!」と「全部盛り」を推進する姿勢を率先して打ち出していますし、「書き方ハンドブック」を出している推進団体〔*9〕、さらに2017年3月にはこの方式を反映させた文法の教科書を出版する会社まで現れたのですが 〔*10〕、これをきっかけに市井の人々はもちろん著名人や有力な政治家たち、当時の教育担当相からも反対論が噴出して一大論争に。

これを受けて同年10月にはアカデミー・フランセーズという、まあゆうたら国立のフランス語審議会みたいな権威の塊が「そんなん許してもうたら共和国の至宝であり文化遺産たるフランス語大明神崩壊の危機やんか!ダメ!ゼッタイ!」と公式に声明を出しまして〔*11〕。ついでに豆知識なんですけど、そんなアカデミー・フランセーズに初めて女性会員が迎え入れられたのは1980年3月6日のこと〔*12〕。ちなみにアカデミーが設立されたのは1635年です。あ、ついでなんで別に深い意味は無いですよ?

翌11月に今度は現役の教員314人がインターネットを通じて「私たちはもう男性優先の規則は教えたくありません」という請願を公表〔*13〕。「不平等が導入される以前の規則に立ち戻ろう」「知によって人間を啓(ひら)くはずの公教育の場で女性の主権を否定するような規則を日々教え込めば、子どもたちの価値観形成に悪影響を及ぼす」ということで、確かにそれはそのとおりだよなあ。

その後、2020年には新たに当選したリヨンの市長が「全部盛り」を採用すると言っているし〔*14〕、前進の兆しかな。と思っていたら、翌2021年2月に行政文書における「全部盛り」使用禁止を訴える法案が超党派の議員グループから提出されました〔*15〕。み、道のりは長く遠い・・・。

やっとここからノンバイナリーの話でして

そして長いといえば、フランス語におけるノンバイナリーな三人称の話をする前にちょこっとだけ前フリしようと思ったらうっかり3000字以上書いてしまった・・・こ、こんなはずでは(ぜいぜい)。

ともあれ、そんなわけで英語と比べても遥(はる)かにバイナリーなフランス語。

男女の「全部盛り(ecriture inclusive)」だけでもこれだけの騒ぎなのですから、そこからさらに一歩踏み込んだノンバイナリーな言語体系構築へののりはいっそう険しいと言わざるを得ません。

それでもここ数年、男女二分法を超えた、誰ものけものにしないフランス語の可能性について関心を示すフランス語話者は着実に増え、ノンバイナリーな三人称についてもさまざまに試行錯誤が続けられています。以下に2つほど有力候補を示してみましょう。

候補1. iel(単数)/iels(複数)

いちおう、現時点でいちばん有力視されているのがこれ。ノンバイナリーな人々のコミュニティではこれを見聞きする率がいちばん高い模様です。

一見して、 il(彼)と elle(彼女)を足し算してから2で割り、間をとった形跡がありありと見て取れますね。で、それにsを付ければ複数形になる、と。

候補2. al(単数)/als(複数)

こちらはソルボンヌ大学で教鞭をとっている言語学者Alpheratz博士が提唱するノンバイナリーな三人称。これは私の憶測ですが、このalのaは「無」とか「欠如」を表す接頭辞のaに由来しているのではないでしょうか。asexualite(アセクシュアリティ/無性状態)やatheisme(アテイスム/無神論)といった語の頭に付いているaですね。いや、まあしらんけど。

ノンバイナリーな人々を指すための選択肢は上記2つのほかにもたくさん、たくさん提案されています。まだ議論自体が始まってから日が浅いですし、英語のtheyとは異なり新たな語彙を作り出すという作業の性質上、関心のある人々が競って創意工夫を凝らし、さながら百花繚乱(りょうらん)の様相。

またフランス語の場合、新しい三人称単数と複数が決まったらそれで解決、というわけにはいきません。先述のとおりあらゆるものに「文法上の性」が割り当てられているので、新たにノンバイナリーな三人称を作るということは、ノンバイナリーな形容詞をはじめ、フランス語の文法体系そのものに「ノンバイナリー(あるいは中性)」という項目を書き加えることにほかならない。つまり、これはさらなる大改革への一里塚というわけです。実際、先述のAlpheratz博士はすでに従来の文法にノンバイナリーの項を加えた完全版の体系を考案、公開していますし〔*16〕、同様の試みを行っている人や団体はほかにも少なからず見受けられます。

さらに、スイス、ベルギー、ルクセンブルク、カナダのケベック州、アフリカ諸国などなど、フランス語圏はほかにもあります。中でもベルギーやケベックは進歩的でフランスがいちばん保守的だとか、理由は「フランス語は神聖にして不可侵」だという思い入れが強いからだとかいう指摘もあるようですが、ここからフランス語圏の比較とか始めるとあと5万字くらい書く破目(はめ)になってお互いつらい思いをするので省略するとして(ちなみにすでに前編からと合わせて1万2千字超えてて泣きそう)、しばらくはそれぞれの国で思い思いの取り組みが交錯してゆくはずなので、とりわけフランス語を学習なさっている方にはぜひ注視していただきたいです。

というわけで、異常に長かった第18、19回もようやくこの辺でお開き。

に、なると思ったあなた!

ごめんまだ続く!続いちゃう!!

実はイタリア語が熱いのでして!

いやね、もう終わってもよかったんですけど、でもフランスとフランス語の現状を見ているとやっぱり気になってくるじゃないですか。お隣のイタリアとイタリア語はどうなってるのかなって。ラテン語起源で言語構造も非常に近いですし、フランス語と同じくやれ「全部盛り」だ、やれノンバイナリーな文法大改革だと苦心惨憺(さんたん)しているのだろうか・・・と思いきや、これが実に、実に熱い展開を迎えているような気配でして!

まあもちろん基本的な流れは同じなんです。「男性も女性もいるのに男性形複数に統一されちゃう問題」を含め、フランス語が抱える問題はだいたいイタリア語も抱えているわけで〔*17〕、時代が下るにつれフェミニストたちから批判の声が上がり始めます。

中でも重要なのは作家で言語学者のアルマ・サバティーニ(Alma Sabatini)が全面的に監修し、男女の平等と機会均等の実現を目的とする政府直轄の委員会から1987年に出版されたガイドライン「性差別のないイタリア語を使いましょう(※仮訳)」です。「どんな語彙を選んで使うかによって、それを口にする人、ひいては耳にする人の考えかたと振る舞いかたも変わってくる」「言語運用の見直しを通して女性の社会的位置づけに本質的な変革を」と訴え、職業名詞の女性形整備、より平等な表現の提案、そして男性優先の文法規則の撤廃などを後世に先駆けて提唱したサバティーニの思想と功績は、現在活躍しているイタリアのフェミニストたちによって再評価され、改めて注目を集めています。

さて、この調子でまた3千字書いてしまうとたいへんなので今度こそ前置きはこのくらいにしてさっそくイタリア語版「全部盛り(linguaggio inclusivo)」の最前線を、「イタリア人(italiani(男・複)/italiane(女・複)」という名詞を例にご紹介しましょう。

選択肢1. 女性形と男性形を併記する

まず、これはフランス語と同じ。

例:care italiane, cari italiani (愛なるイタリア人女性ならびにイタリア人男性のみなさん)

いちいち全部書いていると長くなり過ぎるのと、男女どちらを先にするかという問題点が残るのも同じです。

それよりすごいのが次!次なんですよ!

選択肢2. 綴りの最後を別の記号に置き換える

例:carə italianə(親愛なるイタリア人のみなさん)

あれれ?「全部盛り」のはずが字数はそのまま?フランス語のように文字と記号が入り乱れてチカチカしたりしていない代わりに、綴りの最後が見慣れない記号に置き換えられています。eを逆さにしたようなこの記号、いったいナニモノなのでしょうか。

実はこれ、「シュワー」〔*18〕と呼ばれる音声記号なんです。petit [pəti](小さい)とか、England [íŋglənd](イングランド)とか、発音記号としてなら目にしたことのある人も多いのでは?

でも、いったいどうしてわざわざこれを使おうと思ったのでしょうか。

その謎を解く鍵はおそらく、イタリア語が持つ2つの特性にあります(いや推測だけどさ)。

ひとつめは、イタリア語の複数形の作りかたです。ちょっとこれを見てください。

フランス語

italien(イタリア人男性)/ italienne(イタリア人女性)
italiens(イタリア人男性たち)/italiennes(イタリア人女性たち)

イタリア語

italiano(イタリア人男性)/italiana(イタリア人女性)
italiani(イタリア人男性たち)/italiane(イタリア人女性たち)

男性形単数をベースに性や数の標を足してほかの形を作る「足し算方式」のフランス語に対して、イタリア語は基本的に最後の1文字だけがほかの標に変わる、いわば「入れ替え方式」(ただし一部例外を除く)。そこでこの特性を活かし、最後の文字だけ男女のどちらにも属さない記号に入れ替えれば、フランス語みたいにあれこれくっつけなくても本物の「全部盛り」ができちゃうわけ。しかも!この方法で形容詞や冠詞についても解決できちゃうわけ。えっすごくない?これシンプルにめちゃめちゃすごくない??

とはいえ、ただ最後をほかの記号に入れ替えるだけならほかにも選択肢はあるはずです。実際、イタリア語の「全部盛り」表記をめぐる議論が始まって以来、「italian」や「italian 」や「italian@」などSNSを中心にさまざまな候補が取り沙汰されました。どれも「ə(シュワー)」なんかよりずっと身近で入力も簡単。世間に定着させることを狙うなら「ə(シュワー)」のように一般的な携帯電話では入力できないものはむしろ避けた方がよさそう。なのにどうして?

それはイタリア語が「綴りを全部発音する言語」だからです。

「イタリア語はそのままローマ字読みすればいいから発音が楽」という話はけっこう有名なのではないかと思うのですが(なんせ「ローマ」字っつーくらいだから)、逆に言うとローマ字読みできなければイタリア語として機能しないわけで、「italian」や「italian 」では書くぶんにはよくても発音できません〔*19〕。その点、音声記号である「ə(シュワー)」には固有の音があるので、「italianə 」と書いてもきちんと発音することができるのです。

ここから一気にイタリア語版ノンバイナリーの話になだれ込むわけでして!

しかも!しかもです!

「ə(シュワー)」のもうひとつの大きな特徴は、「中舌中央母音」であること。

これは、開き過ぎてもいなければ閉じ過ぎてもいない口の、ちょうど真ん中あたりに舌を置いて出す音を指します。ですからいわば物理的な面でも、男女二分法に基づかない標、性自認や身体が必ずしもそのどちらにも属していないかもしれない人たちの存在も包含するための標としてふさわしい。さらにこれを転用すれば「彼」でも「彼女」でもない三人称まで容易に作り出すことができるのです。いわば間をとることよって逆説的に真の「全部盛り(inclusive)」を実現させたのです!!!!!!!!

あっ。

なんか興奮し過ぎたけど、これは決してぴらの氏の深読みを超えた妄想が独り歩きしてるわけじゃなくて、「ə(シュワー)とかありじゃない?」と自著で最初に提唱した社会言語学者のヴェラ・ゲーノ(Vera Gheno)さんもちゃんと言ってることですから〔*20〕!

というわけで、イタリア語版「彼」でも「彼女」でもない三人称の現時点での最有候補がこちら。

lui(彼)
lei(彼女)
ləi(ノンバイナリー)

どうですか!この華麗な入れ替え術!

「あれ?複数形は?」と思ったあなた、イタリア語の三人称複数はもともと中性(男女同形)なんですよ。このあたりもイタリア語がフランス語に勝ってるとこだな(なぜかうれしそう)。もう少し詳しく全体像を知りたい方はこちらのサイトがいちばんよくまとまっていて見やすいのでご参考にどうぞ。

ただ、興奮しながらləiについて調べていてひとつ気づいたことがあります。

英語のtheyはもとよりフランス語のielと比べても、イタリア語のləiはあまり注目を集めていないのです。フランス語の方はielが浸透していない現状や見通しの厳しさに関する当事者インタビューなんかも少数ながら出てくるのに〔*21〕。イタリア語話者の数が圧倒的に少ないのは百も承知ですが、同じイタリア語の複数形表示の問題(carə italianə[親愛なるイタリア人のみなさん])と比べても、明らかに言及が少ないんだよなあ。

で、ピンときたのですが、これはおそらく「主語を省略して話せる場合が多い」というイタリア語の特性が関係しているのではないかと思います。フランス語は常に主語が要るんだけど、イタリア語は動詞の変化だけで主語がわかるから不要な場合が多いのだ!このあたりもイタリア語がフラ(以下省略)。まあ常に省略できるわけじゃないとしても、避けるという選択肢があるのは大きいよね〔*22〕。え、ということは同じく主語の省略しやすいスペイン語もそうなのかな? ご存じの方はぜひ教えてくださいね。

最後に念のため。

現時点でイタリア語における「ə(シュワー)」の使用は極めて限定的です。先述のゲーノ博士も「そうすぐに広まるかどうかはともかく、こういう提案を通じて議論が活発化し、問題意識が広く共有されることがまずは重要だ」という旨の発言に留めています。

それでも、2020年7月にはイタリアで初めて「ə(シュワー)」を採用した翻訳書が刊行されました〔*23〕。原著者はマルシア・ティーブリというブラジルのフェミニストで、その人が原文で使用したノンバイナリーな新語をイタリア語に反映させるため「ə(シュワー)」を用いて訳すという判断をしたそう。ということは、ブラジルの公用語であるポルトガル語でも言語改革を試みている人がいるということです!

いやはや盛り上がって参りましたな!!!!!!!!!

おわりに

さてさて、日本語のさまざまな自称詞と自己表現についてちょっくらちょいと考えてみましょうかね、くらいの軽い気持ちで書き始めたはずが、気づけば海を越え大陸を股にかけて大河ドラマみたいな展開になってしまいました。ここまでお付き合いくださったみなさんご無事でしょうか。ちなみに私は無事じゃないです。まじでむり。いろいろ限界。どうしてこうなった・・・。

本稿で言及した事例はほんの一部ですが、スウェーデン〔*24〕やラテンアメリカほか、男女二分システムの克服を目指す言語改革の波はいよいよ世界規模で進行しているみたいです〔*25〕。

「なんだか難しそう」「とてもついていけないよ」と不安に思う人もいるでしょう。

大丈夫、新語や新規則を最初から完璧に使いこなせる人なんていません。というより、言語の実際の用法というのは使われながら長い時間を経てだんだん定まってゆくものなので、安心して一緒に間違えまくりましょう。

「あれも差別これも不適切と言われたらオチオチしゃべれない」と窮屈に感じる人もいるでしょう。

慣れ親しんだ言葉との別れは確かにつらいですが、新しく使える言葉との出会いも待っています。言語システムが大きく移り変わってゆく様子に立ち会えるって、わくわくしませんか?新しい言葉を考えたり使ったりしながら、言語体系を主体的に変革してゆく。もしかしたら、日本語にも新たな自称詞や他称詞が発明されるかも!?そうやって私たちひとりひとりが言語史を作ってゆくのです。すごいなあ。ほんとにすごいことだなあ。

「そんなことを許したらうつくしい〇〇語の伝統が破壊される」と懸念する人もあるかもしれません。

そういうご批判は式部と寸分違わぬ言語運用をしている人からのみ受け付けまーす!というのは冗談ですが、平安とまでは言わずとも試しに明治期の作家の文章とご自身のそれとを比べてみてください。大丈夫、あなたの日本語も私の日本語もすでに大きく変わっているし、これからも変わり続けます。言語も私たちと同じく生きものなので。

もちろん、読書する人が激減したりSNSでしか読み書きしない人が増えたりして単に「荒れる」一辺倒なのは私だって嫌です。はっきり言って困ります。

でも、言語のために人がいるのではありません。人のために言語があるのです。女性の存在を明示したり、男女二分システムから締め出される人々が安心して使える言葉を創り出したりすることは、言語をみんなのものにしていくために必要な手続きだと思います。たとえ私にとって快適な言語体系であっても、それを無批判に行使することがほかの誰かを圧迫し困らせることにつながるのなら、それは私自身にとっても困ることにほかなりません。

正直言って、他者の不便や不都合や悩みや苦しみなんて見えない方がずっと楽に決まっています。

でも、楽だから見えないままの方がよかったかと聞かれたら、やっぱりそうは思えない。

例えばなんの制約も受けず一切のストレスも感じずに「私」と「僕」と「オレ」を行き来できている自分の知らないところで、「彼」とか「彼女」とか言われるたびにいちいち戸惑ったり悲しんだりしている人や、「わたし」という自称詞を使うだけで性自認がバレてしまうのではないかと怯(おび)えながら暮らしている人、そのほかさまざまな形で現行のシステムに不自由を感じている人たちがいるとしたら、その人たちが今よりすこしでも心安く暮らすための言語運用の可能性について一緒に考えるのは、同じ社会で同じ言語を話しながら生きているほかのすべての人々にとっても大切なことだからです。

もちろん人間が人間である限り、倫理的に完璧な振る舞いをすることは不可能でしょう。それは誰であっても、どんなに特別な経験の「当事者」であっても同じこと。けれど、いつでも「今よりすこしよい」を希求してゆくことには意味も意義もあります。

私自身、この原稿を書くにあたり、気になるところを信頼する友人に読んでみてもらいました。自分なりに慎重を期して、細心の注意を払って書いたのですが、それでも「この表現は使わない方がよいと思う」という貴重な助言を受けました。その友人の名前は本人の希望によりここには記しませんが、その人の存在がなければ本稿が「すこしよく」なることはありませんでした。この場を借りて心からの謝意を記します。

最後に、Kさんという友人の話をさせてください。

数年前、思いがけずKさんと再会し立ち話をしていたときのこと。Kさんが笑いながら、

「ひらのさんは相変わらず立ち居振る舞いが繊細ねえ。なんだかちょっとコッチの人みたいよ」

と言って、自分の右手の甲で左の頬を覆うような仕草をしました。僕が

「Kさん、古いなあ」

と苦笑いするとKさんは、

「あらそう?今はどうやるの?」

とにこにこしながら尋ねるので、僕はKさんの目を見て言いました。

「今はね、もうやらないんですよ、そういうことは」

するとKさんは目をまん丸くして、しっかりとした声でこう答えたのです。

「あらそうなの!ダメねぇ私、ぜんぜん知らないのね。これから勉強しなくちゃ!」

Kさんは85歳です。

僕にはかっこいい友人がたくさんいて幸せです。

追伸:

それにしても書いたなあ。書きも書いたり前後編合わせて約2万字。これがほんとの「全部盛り」だってね!歌丸です(※懲[こ]りてません)。

次回は2021年5月12日に公開予定です。

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参考文献

※前後編の文献リストです。

  • 鈴木孝夫『ことばと文化』岩波書店
  • 藤井洋子「日本語の親族呼称・人称詞に見る自己と他者の位置づけ――相互行為の「場」における文化的自己観の考察」日本女子大学紀要Vol. 60
  • 呉 秀賢「日本語・韓国語の人称代名詞の比較」『立命館言語文化研究』22巻2号
  • 鄭惠先「日韓対照役割語研究――その 可能性 を探る――」金水敏編『役割語研究の地平』くろしお出版
  • 宋 善花「日本語、朝鮮語、中国語における人称詞の対照研究」
  • 河崎道夫、黒田綾乃「自分の名を言うこととはどういうことか?」『心理科学』第26巻第1号
  • 野原加奈子、松田勇一「大学生の一人称の使用についての研究」
  • 木川行央「一人称代名詞としての「自分」」言語科学研究:神田外語大学大学院紀要17巻
  • 寿岳章子『日本語と女』岩波新書
  • れいのるず秋葉かつえ「日本語における性差化――欧米語との比較対照から見えてくるもの」『女性学教育への挑戦』(渡辺和子・金谷千恵子)明石書店
  • 北村紗衣『不真面目な批評家、文学・文化の英語をマジメに語る 2』 EJ新書(アルク)
  • 井田好治「訳語「彼女」の出現と漱石の文体」英学史研究第1号
  • 小玉博昭「成人日本語学習者における人称代名詞の使用――僕と俺を中心に――」日本学刊 第19号
  • 大久保朝憲「フランス語の性差別的言語構造について」關西大學『文學論集』第55巻第3号
  • ブロッソー・シルヴィ「セクシズムと言語。フランス語の例と現在の議論」『早稲田政治政治經濟學雑誌』 No . 393
  • フランス・ドルヌ「フランス語――ジェンダーと性――」井出祥子編『女性語の世界』明治書院
  • クレア・マリィ『「おネエことば」論』青土社
  • イ・ヨンスク『「国語」という思想――近代日本の言語認識』岩波現代文庫
  • Vera Gheno, “Femminili Singolari effequ”

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平野暁人(ひらの あきひと)
平野暁人(ひらの あきひと)

翻訳家(日仏伊)。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手掛けるほか、舞台芸術専門の通訳者としても国内外の劇場に拠点を持ち活躍。主な訳書に『 隣人ヒトラー 』(岩波書店)、『 「ひとりではいられない」症候群 』(講談社)など。
Twitter: @aki_traducteur

〔*1〕それに、「あの/その人」「あちらの/そちらの方」「〇〇さん」「先生」など、彼や彼女よりも自然に第三者を呼び表す手段が豊富にありますよね。
〔*2〕このような現象を言語学の世界では一般に「有標化」と呼びます。しらんけどな。
〔*3〕unary「単項の、ひとつの項目からできている」。ここでは文脈に即して「バイナリー」の対義語になるよう「男性一元」と訳しています。そんなことより歌丸師匠に謝れ。
〔*4〕https://www.legifrance.gouv.fr/jorf/id/JORFTEXT000000556183 /ただこれに関しては「avocat(男性弁護士)」に対して「avocate(女性弁護士)」にするのもやっぱり男性基準の足し算による「有標化」じゃん、という批判もあり議論が分かれています。確かに日本語の「看護婦→看護師」や英語の「police man→police officer」を考えるとむしろ逆行しているようにもみえます。フランス語における文法性の支配はそれほど強力だということですね。言語っておもろい。
〔*5〕https://www.legifrance.gouv.fr/download/pdf/circ?id=34682
〔*6〕https://www.elle.fr/Societe/News/La-masculin-l-emporte-sur-le-feminin-comment-quelques-hommes-ont-impose-la-regle-3567371
〔*7〕これはぴらのの意訳。一般的には「包括的書き方」と訳されているみたいです。
〔*8〕例:les plombieres et les plombiers(女性配管工ならびに男性配管工)。この場合はrまで同じだからその後にeが来てる方を先に置く。
〔*9〕https://www.ecriture-inclusive.fr/
〔*10〕https://actualitte.com/article/22914/reseaux-sociaux/hatier-tente-l-ecriture-inclusive-dans-un-manuel-scolaire-tolle-general
〔*11〕https://www.academie-francaise.fr/actualites/declaration-de-lacademie-francaise-sur-lecriture-dite-inclusive
〔*12〕https://www.leparisien.fr/laparisienne/people/quand-jean-d-ormesson-faisait-entrer-la-premiere-femme-a-l-academie-francaise-05-12-2017-7434819.php
〔*13〕https://www.slate.fr/story/153492/manifeste-professeurs-professeures-enseignerons-plus-masculin-emporte-sur-le-feminin/
〔*14〕https://www.lyonmag.com/article/108960/lyon-les-elu-e-s-de-la-majorite-adoptent-l-ecriture-inclusive
〔*15〕https://www.bfmtv.com/societe/ecriture-inclusive-des-deputes-veulent-l-interdire-dans-les-documents-administratifs_AN-202102250173.html /主な反対理由としては「難読症や識字障害、弱視といった困難を抱える人にとって深刻な負荷となる」「目の見えない人が使う文字の自動読み取り/読み上げ機器に対応していない」など。
〔*16〕https://www.alpheratz.fr/linguistique/genre-neutre/
〔*17〕厳密に言うとイタリア語の方がいくらか悩みが少ないんですけどね。フランス語より男女同形の名詞が多いし、三人称複数も男女同形だし。これはラテン語の名残でやんす。
〔*18〕ウィキペディア「シュワー」
〔*19〕その点、フランス語の形容詞の場合、全体の約65%が発音の上では変化しません。つまり、男性形と女性形で綴り字の違いこそあれ、その違いは読み方には反映されないということです。
〔*20〕https://thesubmarine.it/2020/08/03/schwa-linguaggio-inclusivo-vera-gheno/
〔*21〕https://www.elle.fr/Societe/News/Transidentie-iel-un-pronom-neutre-qui-peine-a-s-imposer-3894908
〔*22〕このあたり、日本語とちょっと似てますよね。言語っておもろい。
〔*23〕https://www.effequ.it/il-contrario-della-solitudine/
〔*24〕https://wired.jp/membership/2019/11/19/gender-neutral-pronouns-change/
〔*25〕https://www.vogue.co.jp/change/article/gender-neutral-pronouns-cnihub

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